『鹿島建設』(朝鮮研究-165)展望社が昭和34年3月10日に刊行している。写真が多い。鹿島守之助会長の写真が冒頭に、次いで鹿島卯女社長と本社社屋の写真が掲載されている。白黒写真だが、二人が結婚したのは昭和2年4月25日である。守之助社長の誕生は昭和15年、紀元2600年の年であった。 翌年の6月に、茂山鉱山工事を竣工している。 「鹿島建設創業120年年譜」は北朝鮮地域開発を知る手がかりに成った。これで鮮交会の刊行物を側面から読む手法に目が開かれた。 咸鏡線を新幹線化する手懸りとなった。