『風雲の満ソ国境』(満洲研究-57) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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日蘇通信社茂森唯士主幹編で、昭和12年に、北支事変の始まったのを受けて刊行された。満洲国に隣接するソ連軍配備の国境は5千キロ、東京日日新聞の田中香苗記者は「満・ソ・蒙の国境」を寄稿している。その中で琿春について「最初の境界は非常に変化し、勘界使成琦の図面では、当初のものから50里ばかりソ連邦側が満洲に喰い入っているという事である」(57頁)とある。張鼓峰事件の一因を記述している。

南牛は2000年代の時点で支那側、北京政権がかなり押し戻している現状を見た。琿春市の案内人は平和裏に国境をロシア側へ押し返したと述べていたが、50里ではなく1里くらいの感じであった。実際はもうちょっとか?