『エクスプレス建設物語』(つくば市政展望-357) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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最後になった町長選時代には第二常磐線から常磐新線の建設が叫ばれていた。つくばエクスプレスの建設は昭和60年の運輸政策審議会答申第7号に基づき計画される。科学万博開催の年であり、渡辺安重県議が急死した翌年である。

竹内藤男県知事の三選は昭和58年、4選は62年であり、その間が谷田部町名が消されて行く過程となる。竹内藤男県知事の4選は、谷田部町に木村操新町長の誕生を見てからだという事が全てを語っている。つくばエクスプレス建設の構想が都市再開発の一環であり、三井不動産発展の礎と成って行く。

2024年の時点でテレビをつければ「三井のすずちゃん」が出てくる。昭和の時代にテレビで三井不動産の広告など気がつかなかった。

昭和60年9月に万博が閉会すると沼尻民平町長三選の選挙が行われた。対立候補は、事実上渡辺派残党を纏めた石浜代貸が擁立した高野慎吾氏であった。谷田部農高卒の沼尻民平町長に対して高野慎吾氏は慶応大学卒であった。それに高野慎吾氏には三井不動産の江戸英雄会長が就いていた。新住民的感覚では勝負あったと思われたが、横田美農夫氏など長屋門層は沼尻民平町長を支援した。

江戸英雄氏は旧制水戸高校卒で、竹内藤男県知事の先輩にあたった。それなのに長屋門層の壁は破れない。つくばエクスプレス建設構想が大きく竹内藤男県知事の頭の中を占めて行く。そして谷田部騒乱の幕が落とされた。