『日本の科学者』(つくば市政展望-346) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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この雑誌は少なくとも横田美農夫助役は読んでいない。野村文雄候補は手にしたこと、あるかもしれない。だが、後藤田官房長官も竹内県知事も気に架けていた雑誌である。ひょっとすると梶山静六代議士も気にしていた可能性がある。

『日本の科学者』誌は月刊誌であり、日本科学者会議の機関誌であった。日本科学者会議とは世界科学者連盟と関りの深い科学者の組織である。その科学万博の開催された1985年の掲載論文を見る。

6月号に、「反核を訴える7000人の科学者たち」が掲載されている。8月号には、「核廃絶と科学者運動」と、この雑誌を機関誌とする科学者の運動体の全体像を浮かび上がらせ、「レーガン核政策とSDI」という論文は明白に組織の狙いを明らかにする。そして「日本科学者会議第20回定期大会報告」が掲載され、役員名簿が出ている。筑波研究学園都市からも選出されている。むろん、電総研からも役員は選びだされている。学研労協加盟の労組で言えば、通産は複数、農水省も選出されている。そして12月号だが、特集が「核兵器の完全禁止・廃絶をめざす国際学術シンポジウム」である。

谷田部町騒乱の1986年に入ると1月号が「非核都市宣言の理念と目的」が巻頭論文にある。沼尻民平町政を考えさせる論文である。8月号に「SDIと科学者」、「日本のSDI協力とその欺瞞性」、「アメリカの軍事戦略とSDI」という谷田部町長選挙の背影を示す論文が掲載される。これら三つの論文は学研労協が谷田部町政へ嘴を入れる重要な動機なのだが、明白に理解して選挙戦を動かしたのは、竹内藤男県知事と茅野徳治事務局長であった。

11月号に日本科学者代表団の世界科学者連盟総会報告が掲載されているが、総会の場所はモスクワであった。9月9日に、後藤田正晴官房長官はSDI研究への参加を決定してほっとしていたとは言え、モスクワでの世界科学者連盟総会へ日本の科学者が参加していることに、苦虫を噛み締めていた筈である。