何故合併か?(つくば市政展望-340) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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竹内藤男県知事に合併を急がせた背景は、「学園都市対策特別交付金」の期限が斬れても続けられていた。一般に10年間の期限斬れに関わらず61年、62年と継続された理由は合併督促金などと言われていた。収入役経験のある横田美農夫助役は、対策特別交付金が斬れても良い、と判断していた。谷田部町は、税収増で続いていたからだ。大穂や豊里と違うという認識であった。当時、大半の町道が未舗装であった筑波町などと合併する必要性はなかった。谷田部町では未舗装の町道を探すのが大変だったのだ。判り易く言えば、未舗装の多い豊里大穂筑波の町道を舗装する為の合併に見えたからであった。

だから、竹内藤男県知事から「横田君、桜村とは合併してくれるな」と、言われた時に「桜村との合併は考えます」と答えたのであった。桜村には藤沢勘兵衛村長の努力もあっていち早く村道はほぼ全て舗装されていた。

処が、竹内藤男県知事は横田美農夫助役の返答に、「この男は使えん」と嘆息した。竹内藤男県知事は、横田美農夫助役に「桜を含めて合併を考えます」との答えを期待していたのだった。その背景に桜村の村長選挙の結果が重く圧し掛かっていたのだ。確かに、結果としては桜村最後の村長選挙で倉田弘村長の誕生を見たが、圧勝とは言えなかった。学研労協を背景にした東京からの輸入候補に肉薄されたのである。桜村に地縁の無い若い対立候補は、肩書がただ東大卒で工学博士号取得とあるだけであった。それでも地縁人望威風堂々の倉田弘候補に肉薄した。それは次の村長選挙で大学教授歴を持ち、共産党の党派色を薄めた候補者を学研労協が擁立してきた場合に革新村政、軍事研究阻止、SDI反対の村長が生まれることを予測させるモノであった。

筑波研究学園都市にいわゆる「革新首長」を誕生させてはならない、その為に革新色を薄める町村合併を竹内藤男県知事は考えていた。谷田部の連中は谷田部の事しか考えていない、竹内藤男県知事の悩みは山口武平県議が横田美農夫助役を連れてきた後、深まった。横田美農夫助役を首長に据えると、それは沼尻民平町長と同じになる、と感じたからである。