北関東型支配(つくば市政展望-337) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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敗戦前の日本の支配構造を地主階級が構成していたと米国は分析する。地主の子弟が陸海軍の将校から内務官僚を構成していた、と分析する。GHQの一大占領政策が農地解放であった。その支配構造が崩壊した後に出て来たのが北関東型と言われる水利に関わる人間関係による支配である。北関東から、福田赳夫、中曽根康弘、船田中、渡辺美智雄、山口武平、梶山静六という北関東三県を代表する政治家が輩出して、その「北関東型」という表現を裏付けている。

農地解放が山林解放に行かなかったこと、水利事業が旧制の中学校人脈と重なって支配構造を形成したことなど、が共産革命を阻止した。農地解放をして行けば、天皇制も自然に消滅すると米国は見ていたようだ。第一次世界大戦に負けた独逸から皇帝が居なくなったように考えていたのであろうが、日本は北関東型が天皇制の保持に大きな役割を果たした。

筑波研究学園都市の概成が順調に進んだ背景に、北関東型支配構造に連なる横田栄一谷田部町長、藤沢勘兵衛桜村長の存在が大きい。もし、横田栄一、藤沢勘兵衛という二人の存在がなければ成田闘争の二の舞であったろう。成田飛行場建設地には北関東型支配構造に連なる人物を欠いていた点が、あの泥沼の闘争を招いている。

そして谷田部町長選に於いて、北関東型支配構造に連なる横田美農夫助役が当選して治まるのが当然の道であった。だが、中曽根・レーガンの提携によるSDI開発研究が浮上した。

竹内藤男県知事は事前面接で横田美農夫助役がアカを引き入れるのではという疑念を抱き、学研労協の茅野徳治事務局長は長屋門イコール封建制の遺物と捉えた。竹内藤男県知事と茅野徳治事務局長の挟撃に横田美農夫助役は会い、潰されて行った。

今日に至る、つくば市政のピンクというかあいまいさの根源であろうか?