茅野徳治事務局長の平和への闘い(つくば市政展望-335) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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太平洋戦争は戦場で苦労した世代のひと世代下は、戦時下から敗戦直後に生活上で苦闘する。茅野徳治事務局長はそういう世代の一人として、戦争は嫌だ、平和こそと思ったのであろうか。戦争をもたらした米帝を憎み、平和を主張する日共に親しみを感じたのであろう。朝鮮戦争時には米軍こそが悪い奴という信念で、朝鮮戦争を推し進める米軍との闘いの戦列に立っている。

労働運動の第一線でベトナム戦争を推進する米軍への憎悪を強める。アジアの人々を傷つけるのは米軍だという信念を持ち、労働運動を進める。

79年に筑波移転で谷田部町松代へ移住して来てからも、地域社会の中に平和の大切さを訴えていく。

そこに右翼の権化のような顔をした中曾根康弘首相が米国のレーガン大統領と手を組んでSDI研究に乗り出すてくる。SDI研究は電総研が中心的担い手であった。冷戦の終端場でSDI研究が登場し、電総研にはフランスのミッテラン大統領と英国のサッチャー首相が訪れる。

平和の守りのソ連を助け、戦争の権化の米帝の足を引っ張る最前線に筑波研究学園都市の電総研が位置した一瞬、茅野徳治事務局長の存在が大きく映る。

竹内藤男県知事の目は学研労協茅野徳治事務局長の上に注がれていく。茅野徳治事務局長と親しげな沼尻民平町長に横田美農夫助役は頭の中が、茅野徳治事務局長と同じアカくなくとも、アカイ色が少し混じったピンクに見えてくる。

中曽根康弘首相から言われなくても竹内藤男県知事にはピンと来るものがあった。SDI研究に反対する、それに和するものは許せなかったのだ。