『南十字星の戦場』(つくば市政展望-333) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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ラバウル経友会が1985年に刊行している。ラバウル経友会の竹内藤男県知事も会員の一人でした。竹内藤男県知事の苛烈な沼尻民平町長への対応は、この書籍を手にするまで単純に4選を果たしたい為であったとだけでしか捉えていませんでした。この本を手にした後、その後にラバウル経友会関連の著作を積み重ねる過程で、竹内藤男県知事はニューブリテン島での戦闘経験がその人生を大きく左右している、と感じるようになりました。竹内藤男県知事の前の岩上二郎県知事もしゃにむにに鹿島建設へ邁進します。それは南方での迎えた敗戦の日の思いを引きづっての建設だと気付くことにも関わっております。二人の茨城県知事ともに陸軍の経理将校でした。二人ともソロバンをはじきながら敗戦を迎えておられます。二人合わせると8期半の任期、34年間も茨城県の知事を務めております。その二人の知事に共通するのは敗戦の悔しさを全身に受けての日本復興です。岩上二郎知事は、敗戦は鉄の生産力で招いた、という硬い信念で製鉄所を招致します。竹内藤男県知事は航空戦力で負けた、だから以上にSDIの研究に興味を持ったのでしょう。竹内藤男県知事から見ればSDI研究に反対する連中は国賊です。そのSDI研究に反対する連中と手を組む谷田部左派は許せなかったのです。沼尻民平町長は飛んだトバッチリで黒羽監獄へ、高野水道工事は竹内県政の間は暗く暗く過ごさざるを得なかったのです。高野水道工事自身は木村操のせいで10年間発注工事を受けることが出来なかったなどと恨みを述べていましたが、根源は竹内藤男県知事からの睨みであったと見るべきです。彼奴ら戦いの最前線で敗戦を迎えた俺の気持ちが判るか、というのです。

この『南十字星の戦場』には多くの戦友の死が語られております。その戦友の顔を思い出しながら竹内藤男県知事は県政を動かしていたのです。