横田三郎海軍大尉(つくば市政展望-321) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

安部南牛 | 朝鮮文化資料室

安部南牛が、朝鮮関係の本の書評を中心に掲載していくブログです。

昭和18年11月2日、ブーゲンビル島沖夜戦で巡洋艦川内と横田三郎海軍大尉は運命を共にした。海兵69期だった。横田三郎海軍大尉は、県政会のドンと呼ばれた山口武平の水海道中学校の先輩であった。水海道中学校の一年後輩であっただけに、憧れの先輩の戦死は山口武平を動かした。海軍へ志願したのである。夜間戦闘機月光の整備士官として終戦を迎え、厚木航空隊反乱事件に与し、生涯喋ることがなかった。横田美農夫助役は横田三郎海軍大尉の甥である。谷田部町長選挙では助けるべきであった。だが、中村喜四郎代議士の選挙介入を阻止するのが精いっぱいであった。中村喜四郎代議士が学研労協と提携して野村文雄候補を当選させようとするなど、竹内藤男県知事同様にオドロキ以外の何物でもなかった。

水戸天狗党に与し、藤田小四郎と生死を共にした高谷篤三郎の実家、面野井の高谷長屋門家から嫁を貰ったことを矜持としていた高野水道工事の打つ手の凄さは、県政会のドンから知事を走らせている。県政会のドンは横田美農夫助役を助けることよりも中村喜四郎代議士の町長選介入阻止へ力を注がせ、竹内藤男県知事はフリージャーナリストを谷田部に走らせる。カネを石浜代貸に渡してブタせる。

粗暴と評判が悪くても頭の中はシロイのだから、谷田部町民にカネをばらまいて当選させろと檄を飛ばすのだった。竹内藤男県知事の敵は学研労協、アカ一色なのであった。ピンクの横田美農夫助役のことなど、頭の中から飛んでいた。