表紙を飾る人名は、大きく橋本登美三郎、竹内藤男であった。直ぐこの『茨城県戦後汚職年表』の売りがわかる。他の人名は活字で小さく箱根宏元土浦市長、中村喜四郎前建設大臣、豊田稔北茨城市長であった。
茨城県の戦後史において1976年の「ロッキード事件」、1994年の「ゼネコン汚職事件」が大きな影響を与え、今日まで影響を残している。1976年の橋本登美三郎元運輸大臣の逮捕は稲敷台地の開発をとん挫させている。その影響が建設官僚の竹内藤男県知事への期待となっていく。だがその終末が1994年の竹内藤男県知事の逮捕であった。戦後史に置いて、現役の県知事の逮捕は二例目だったそうである。
そしてこの『茨城県戦後汚職年表』には、竹内藤男県知事の前知事も後知事も名前が登場しない。前知事はクリスチャンであることから清廉潔白さで知られていた。後知事は委縮して茨城県を小さく小さく纏めていき、茨城県を全国一の無名県というか、魅力度47位にした。いま、茨城県は全国最低の県として知られている。
この年表からは、沼尻民平町長の無念の胸の内、横田美農夫助役の県の方針を素直に受け入れなかった感情が読み取れる。
汚職塗れの竹内藤男県知事に反抗、或いは抵抗の素振りを見せたが故に、沼尻民平町長は栃木県の監獄へ、横田美農夫助役は長屋門をむなしく抱え、筑波台地の地方政治から消されて行った。