世界科学者連盟最後の戦い(つくば市政展望-256) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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86年の谷田部町長選挙に世界科学者連盟の影が無ければ、沼尻民平町長の逮捕劇など生じる事も無かった。むろん、竹内藤男県知事が石浜代貸を示唆することもあるまい。少し時間を掛けて合併への道筋を付けた事にして知事選4選出馬を図ったであろう。県政会のドンである山口武平県議も猿島開発を焦らずに推進できた。つくばエクスプレスは山口武平県議の頭の中には、猿島開発と連動していた。

谷田部町の非核化宣言に続いて、戦略防衛構想(SDI)への日本の技術供与を中曽根内閣は決めて行く。官房長官は竹内藤男県知事の水戸高校の先輩の後藤田正晴であった。後藤田・竹内ラインは右翼色が強いと見られていた。科学万博の年は日本の工業品の輸出額が世界一に輝いている年であった。世界の工業は日本の上に造られていた。

そして日本は谷田部町長選挙の61年9月に米国のSDI研究に参加を決める。SDI研究参加で世界の注目を浴びるのは電総研であった。

世界科学者連盟の対日工作は当然のように電総研に集中する。そして学研労協の事務局長の茅野徳治氏は電総研出身の職業革命家で知られていた。竹内藤男県知事の目は、茅野徳治事務局長の上に注がれていた。その茅野徳治事務局長は松代の公務員住宅から谷田部町長選で自治労を母体とする野村文雄候補を全面的に推していた。その野村文雄候補を、なんと沼尻民平町長が後継者として押し出している。

竹内藤男県知事の目はテンになる。ふざけんな、伊達や酔狂でニューブリテン島の洞穴で3年過ごして来ていない、どと。竹内藤男県知事の闘争心を一番高めたのは86年9月であった。

こと志と違って沼尻民平町長は、国家反逆者と見られて行く。一方、木村操候補は一段と白く輝いて見える。

木村操候補陣営のブチ屋群の士気は高まる。