失脚を狙った(つくば市政展望-239) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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裁判で沼尻民平町長は、「私の失脚を狙ったもの」だと断言した。

水戸地裁で開かれた筑波郡谷田部町発注の町立高山中学校舎改築工事に絡む贈収賄事件の初公判で「今回の事件は石浜が私の町長職失脚を狙ったものだ」と、厳しく甲高い声で起訴事実を否認した。

ここは「石浜さん」と陳述したとされるが、沼尻民平町長の怒り心頭の発言だ。石浜さんはなからろう。もともとは石浜代貸は島名の貧農出身で、町役場の運転手だった。だが、頭の回転が速いことに渡辺安重県議が目を付けて引き上げる。いつの間にか土建業者となる。70から80年代台へ架けて、谷田部町では農民が土建業者へ転進する例が多かった。おりからの農政の減反政策に、研究学園都市建設が重なって土建業が多く生まれた。そして多く生まれた土建業者の生存競争が85年の科学万博を境に激しくなる。その過程で渡辺安重県議の急死は渡辺派の土建業者へ冷たい風が当たる。特に、沼尻民平町長はここぞと沼尻派拡大へ動く。当然の如く、渡辺派の石浜和夫代貸の立場は弱くなる。

この一回目の公判での沼尻民平町長の語気強い発言は、何で無罪の俺を、という意識が強い。

四選を目前に、合併を推進したい竹内藤男県知事の黒い手が見えていなかったのだ。