先読みに優れていた渡辺利秋(つくば市政展望-218) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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牛久沼には東西二つの谷田川が流入する。東谷田川が茎崎村から谷田部町に入ったところに丸山集落がある。渡辺安重県議の出身集落であった。

東谷田川は研究学園都市建設に伴って改修工事が行われたのであろうか、人口的であり、昭和前期にはサケマスが俎上していた時代の趣はない。だが、西谷田川は本来の、というか建設官僚の竹内藤男県知事の手の入っていない、筑波大地を開析する川であった。そして春に見られる鯉ののっこみの風景には見応えがあった。その鯉の壮絶なるのっこみを、渡辺利秋から知らせを受けて駆け付け、橋の上から見た。

渡辺安重県議は小学校卒でも県議になれる、という意識で長男を大学へ進学させていない。近くの茨城大学農学部に進学させ、農林省系の研究所へ押し込めば、利秋は良い仕事をしたであろう。南牛に孟宗竹からシナチクを造れないかとか、カップラーメンを瞬時に暖かくするにはカーバイトを使えないか、などと提案してきた。それらが市場化する、はるか以前の話であった。目の付け所が違っていた。先を読む才能は優れていた。

父親のブチ屋をしていながら愚痴をこぼした。政治家は利に合わない、使ったカネほどの稼ぎはない。

その渡辺利秋が石浜代貸の言うままに横田美農夫助役支持から、木村操候補のブチ屋に転進するなど、不思議ではあった。石浜和夫は親父の子分であった。年長とは言え、石浜代貸が右向けと言えば右向くのか?考えられないことではあった。

土建業を生業としていた渡辺利秋を選挙目前で転進させた力、竹内藤男県知事の大きな力を感じた瞬間であった。

渡辺利秋が木村操候補のためにカネを配り始めた瞬間から、横田美農夫助役の当選は遠のいたのである。