前回の記事では、脱衣所の戸棚に南京錠をつけて泣いていた、過酷なワンオペ育児時代のお話をしました。
必要か不要か
必要な物の基準は人それぞれ異なると思うのですが、片付けのできない頃の私はまだ使えるか、使えないかで判断していたと思います。
その基準も間違いではないのです。
でもそうすると、このご時世で使えなくなる物って結構少ないのです。
だから使い倒すというのは中々難しい事だと今ならわかります。
ただ当時の私はその事に気がついていないし、祖母と同居していた事もあり、もったいない精神を骨の髄まで染み込まされて育ったので、とにかく使える物を捨てられない人間でした。
そんな私が、自分の物でももったいなくて手放せないのに子育て突入。(勿論望んでいたし幸せです)
義実家からありがたい事に沢山のおもちゃが送られてきたり、私の方の親戚からも沢山のおもちゃを頂きました。
この時、とても嬉しかったけど、後々そのおもちゃが牙を剥いてくるとは想像すらしていませんでした。
子育て中や子育てを経験した方ならお分かりになるかと思いますが、おもちゃ地獄です。
当然楽しいおもちゃを子供は、際限なく文字通り足の踏み場もないほど広げます。
そんな時に身内の集まりで兄弟姉妹におもちゃが散らかって困るとポロッと話をしたら、
「あまり遊んでいないおもちゃは押し入れの奥にでもしまうといいよ。それでおもちゃをたまに入れ替えすると子供も飽きも来なくて少ないおもちゃで楽しく遊ぶからやってみて」
こう言われました。
この時の衝撃はいまだに忘れられません。
目から鱗だった私は帰宅後早速おもちゃを半分箱に詰めて収納に入れ込みました。
すると、なんという事でしょう!
物理的にも半分になったおもちゃ、広がるスペースは変わらないけど、足の踏み場ができた!
勿論お気に入りは残して、あまり遊んでいない物だけを箱詰めしましたが、あのおもちゃはどこ?という言葉は全く出ませんでした。
私は使える物なのに、いらないの?
あれ?これは私にも言える事じゃないのか?
いつか使う、まだ使える、もったいない。
こんな呪いにかかっていたのではないか。
当時、目の前にある物だけで遊ぶ我が子を眺めて、そんな考えがふわっと浮かんだのです。
しかし長年染みついたもったいない病がそこですぐ昇華されるわけでもなく、まだまだざっくり片付けられるまでは道のりが遠かったのですが、必要か不要かの見極めはある意味わが子に教えられた様な気がします。
もったいないとは……
お片付けの漫画に載っていたのですが、もったいないと言って物を大切にする事はとても大切。
でもその考えのことの起こりは物のない時代、もっというと物を作る事がそもそも大変な江戸時代の頃だとありました。
確かに江戸時代は究極のリサイクルやリユースの時代でした。
その時代から何百年経ってるのよ。
それは物の持ち方も変わるよね。
変わってないのは価値観だったのか。
こんな事を今なら感じます。
そして後々、使わない物を置いておくスペースの方がもったいないのではないか?
必要のない物を置くために収納場所という家賃を払っているのではないか、それこそもったいないよね……こんな風に感じる様になるのです。
物に対して価値観が少しずつ変化
とはいえ、当時はおもちゃが多少減ったくらいでどうにかなる訳もなく、大カオスだった我が家ですが、年少さんになり、子どもが保育園に行き始めたことで、少しずつ立て直しの時間が持てるようになりました。
自分の管理できる量を知ることの大切さ
新しくモノを買うときは「置き場所の枠(スペース)」で考えて、例えば服なら1枚買ったら古いものを1枚手放す、というルールを決めました。
わかっていないと、
もったいない病を治すには実感が必要だった
楽と便利を追求したら起きた変化
お仕事に行かなくなったこともありますが、ワンピースだと着替えの時間が短縮できるし、何より洗濯のときに1枚干すだけで終わるから、家事の手間が劇的に減るんです。
ときめきでは選べない私の手放しルール
今のライフスタイルにあっていて、さらによく着るなら手放す必要はないと思います。
そうやって少しずつ仕組みや考え方を変えてきたからこそ、2年経った今のお家で、ようやく「散らかってもすぐ戻せる暮らし」ができるようになってきました。

