2007年の法政バスケ部をプレイバック!

能代工のキャプテン 高橋優さん
田臥よりもセンスはあると思うと評価された信平さん。
洛南のキャプテン 深尾晃生さん。
深尾さんとバスケがしたくて法政大に進学した次の代のキャプテン
佐々木亨さん。
僕に最後まで最後まで、、、、という言葉を教えてくれた神津祥平さん。


みたい!選手が多く揃っていたので、、凄く楽しみなチームでした。


冬のインカレ 準決と決勝だけでいいかな。順位決定戦もあるから、それくらい見れればいいかな、、と思ってた。

でもその考えがよくなかったとは準決をみて思い知りました。


その時は法政は全くのノーマークだった。
秋のリーグ戦で8連敗した時なんかは、あんなにいい選手そろってるのに何で勝てないんだ。。?

て思ってました。


バスケの試合はもう何試合もみてるけど、法政 対 東海 青学
の試合が一番印象に残ってます。
決勝はもちろん予想外に勝ち進んだ(失礼)法政を応援してました。



試合終了後、、法政が負けて頭を抱えた深尾さん、そして高橋優さん。
その悔し涙を流してた姿をみて、熱く胸打たれました。
そんなに強い気持ちだったのか、、。



後日 法政の記事を読んで、知られざる物語があったのか、、と衝撃を受けた。
1部チームなのに他大学に比べて練習環境が悪い。指導者がいない。
専用の体育館がない。練習時間も限られてる。




チャラチャラしてそうだけど、
学生コーチが悪役になって選手を鼓舞させてた。
確かにあの名門高校でバスケしてたのに、東京にきて悪く染まってしまったのかな、、。
練習してなさそう、と思ってたけど、深尾さんの記事には、、


『大学に入るとバスケ以外にもいろんなものがみえる。自由な環境でどう頑張ればいいのかわからない奴もいる。
高校までの財産でやっていては消えていく世界です。』


この記事を読んで、高校に比べて大学は練習に強制が無いし、自主性が重んじられるとは他の選手も言ってた。大学は高校に比べてさらに行動範囲が広がるし、ましてや都会の東京だから、大学という世界でバスケをすることがどういうことなのかを言ってる気がしました。



練習しないで高校の財産で大学バスケをしてるんじゃないか?と思っていた自分が恥ずかしい。



高橋優さん。中学時代キャプテンとして全中優勝に導き、そして
能代工でも優勝を経験、外から見れば輝かしい道を歩んではいたが大学では2年の新人戦以降は優勝とは無縁だった。
『もともと能力のある選手がいるのだから優勝できるはず』
と大学でも、チームキャプテンとして引っ張った。

そんな高橋さんだが
リーグとインカレで出場機会に恵まれなかった姿をみて少し切なかったな。



決勝では何度も粘り強いドライブをみせたゲームキャプテンの深尾さん。



ホントに勝ちたい!!!っていう気持ちが伝わりました。
決勝で見せたドライブ。
勇気づけられます。なんかこう厳しい現実の壁を打ち壊すような気持にさせてくれます。
どんな環境でも勝ちたい!!!ていう
気持ちが伝わりました。



法政の記事を読んで、偏見を持ってはいけないことを学びました。
何も知らないのに決めつけてはいけないなって。
ほんとにイメージだけでは分らない、知られざる物語が絶対にあるんだなと。 
何に対しても、そういう裏側を想像するようになりました。



以前は、あのレベルの高い名門高校で活躍した選手が試合で負けたのにあっさりしてた姿を見たときは高校の時の頑張りが無くなった?
と、ショックだったけど。
マンガのイメージがあるのか、名門高校ってバスケに対してストイックなイメージがあったので、、。


このインカレを機に深尾さんのファンになりました。
洛南時代のインタビューを通じてクールに見られがちだけど、よくしゃべる人だと知ってましたが、サインをもらった時、ほんと笑顔でしたね。w

ファンからすると、憧れの選手に声をかけるのは緊張するんです。
それに対してあんな笑顔で返してくれると、うれしいです。



試合終了後の悔し涙から、閉会式では笑顔で記念撮影をした法政。
会場で流れていたGREEEENの愛唄が流れてて、、この歌聴くたびに2007年のインカレを思い出します!


2007年にみせた法政の勇姿は忘れない!



お茶のブログ


BOJさようなら4年生試合に貼ってあった写真!
これホント奇跡の一枚!
洛南で活躍した3人。

もうこのメンバーでのバスケはみられないな。。
チーム洛南!!

竹野明倫  福大大濠 → 大東文化大 → bj


僕が初めて竹野選手を知ったのは、大濠高校3年のウィンターカップにて。決勝戦の対能代工戦。当時バスケのビデオはその1試合しか見るものが無かったので、毎日のようにその試合を観てた。


なんでも、大濠高校入学当初は田臥2世と言われた選手。

173センチの小柄なのに自分からよく攻める選手だなと思った。
ボールハンドリング能力、シュート成功率の高さ、ドライブ能力の高さ、気の強さ、半端ないクロスオーバー、どれも凄いなと思った。こんな選手みたく上手くなりたいなと思った。

通販で、大濠のビデオも購入しました。




すっかりその選手のファンになっており、大東文化大に進学したのを知った。でも、当時、僕は札幌に住んでいたので、竹野選手の試合を見ることはできなかった。




竹野選手が大学3年になったとき、僕も上京し、生で竹野選手の試合を観たのは夢のようだった。だが、大東大は暗黒の3年間を過ごしていたらしい。



でも、僕は竹野選手は絶対何かしてくれるんじゃないか?、思っていた。

大人しく大学バスケを終えるはずはないと思っていた。

そしたら4年生の時に、春のトーナメントでは優勝、秋のリーグ戦で優勝し、1部昇格を決めた。 ここぞ、、という時に決めるのは天性を感じる。ノッたらもう止められないオフェンス能力は圧巻。


カリスマ性を感じてた。


大学卒業後はbjの道に。
bjに行った理由は 

 


 「バスケットボールをやらない生活は考えられなかった。」





と、記者に言ったそうです。
あ、、、、やっぱりバスケで生きてく人だったんだと、


やっぱりバスケが凄く好きな人なんだなと予想通りの人だった。


今もbjで活躍している竹野さん。高校時代から夢をみていたNBAに行く目標は今も持っているんだろうか。


もっと多くの人に竹野さんを知ってほしいなと思った。


能代工業高校ファンの人じゃなくても、高校バスケをずっと見ている人なら、この人の名前を知らない人はいないんじゃないでしょうか?


北向由樹  能代工業高校 → 明治大学 → bj埼玉


北向選手を初めて知ったのは、彼が高校2年生の時です。
たまたま友達の家に行った時、バスケのビデオを見てました。


あの9番凄いよ。 


と、言っていたので、注目してました。
その試合は 2002年の ウィンターカップ。能代 対 洛南



誰しもが、



 



あの9番は一体何者??






と思ったと思います。


それ位すごかった。





当時、僕はバスケに興味無かったのですが、そんな自分でも、北向選手の3P後方からのシュートには驚きました。凄いなと思った。

そして、高校3年のウィンターカップにて。その頃には、僕もバスケを好きになっていた時でした。





友達にウィンターカップのビデオを見せてもらいました。
ホント3Pはるか後方から、シュートを決めるのが、凄いなと衝撃的だった。



今ではもうたくさん、バスケの試合を見ているので、
3Pラインよりもかなり後ろでシュートを決めるのは、そこまで珍しくないと思ってるんですが、当時は、バスケの試合を見たことが無かったので驚きました。


北向選手は、中学時代に全国に行かれていましたが、能代工ではBチームからスタートだったそうです。
そこから、シュートに磨きをかける為に、相当個人練習をしたそうです。




その努力が報われて、高校2年のウィンターカップでは彗星のごとく現われて、一躍、全国に名を知れ渡りました。




僕が初めてバスケット選手を好きになった選手が、北向選手でした。
そして、明治大学に、、。
嬉しい事に、大学でもずっと試合に出てました。


北向選手といえば!! スリーポイントっというイメージがどうしてもあるので、3P打つたびに注目していました。



ただ、どうしても高校の時に比べたら、目立つ?事が無かった気が。
能代のインパクトが強すぎたんだと思います。
あんなにスリーをどんどん打てるのは、能代のスタイルだけだと思います。



Uー18日本代表には選ばれてたのに、学生選抜には選ばれてなかったのし、さようなら4年生試合にも出ていなかったので、
ちょっと寂しいなと思いながら、大学卒業後の進路が気になっていた。
もしかして、学生バスケで燃え尽きちゃったんじゃ?? と気になっていたが、それは全くの無用だった。



bjの道に。



なんでも、バスケを始めた時から、将来はバスケットボールだけで生活していきたいと思っていたそうです。


bjに行ってからの北向選手の試合はまだ見に行ったことないんですが、、思い入れのある選手だけに、ずっと応援してますよ!!