竹野明倫  福大大濠 → 大東文化大 → bj


僕が初めて竹野選手を知ったのは、大濠高校3年のウィンターカップにて。決勝戦の対能代工戦。当時バスケのビデオはその1試合しか見るものが無かったので、毎日のようにその試合を観てた。


なんでも、大濠高校入学当初は田臥2世と言われた選手。

173センチの小柄なのに自分からよく攻める選手だなと思った。
ボールハンドリング能力、シュート成功率の高さ、ドライブ能力の高さ、気の強さ、半端ないクロスオーバー、どれも凄いなと思った。こんな選手みたく上手くなりたいなと思った。

通販で、大濠のビデオも購入しました。




すっかりその選手のファンになっており、大東文化大に進学したのを知った。でも、当時、僕は札幌に住んでいたので、竹野選手の試合を見ることはできなかった。




竹野選手が大学3年になったとき、僕も上京し、生で竹野選手の試合を観たのは夢のようだった。だが、大東大は暗黒の3年間を過ごしていたらしい。



でも、僕は竹野選手は絶対何かしてくれるんじゃないか?、思っていた。

大人しく大学バスケを終えるはずはないと思っていた。

そしたら4年生の時に、春のトーナメントでは優勝、秋のリーグ戦で優勝し、1部昇格を決めた。 ここぞ、、という時に決めるのは天性を感じる。ノッたらもう止められないオフェンス能力は圧巻。


カリスマ性を感じてた。


大学卒業後はbjの道に。
bjに行った理由は 

 


 「バスケットボールをやらない生活は考えられなかった。」





と、記者に言ったそうです。
あ、、、、やっぱりバスケで生きてく人だったんだと、


やっぱりバスケが凄く好きな人なんだなと予想通りの人だった。


今もbjで活躍している竹野さん。高校時代から夢をみていたNBAに行く目標は今も持っているんだろうか。


もっと多くの人に竹野さんを知ってほしいなと思った。