今年もありがとうございました
2017年ももうすぐ終わります。
拙いブログながら、今年もご訪問して下さり、どうもありがとうございました。
今年最後の猫たちの晩ご飯も、先ほど無事に終わりました。
うちでは朝晩2回だけ、全員がそろって食事をします。
全員の食べ方を見て、体調の悪い子の見落としが無いようにするためです。
ただ珍しく今日は、たれちゃんが晩ご飯の催促をしてきて、本当に珍しいことなので
不思議に思っていましたが、今日は朝ご飯を食べ過ぎて「食後リバース」をしてしまい、腹ペコだったからでした(苦笑)。
毎年同じようなことを言っていますが、今年もやるべきこと、やりたいことが半分も出来なかった一年でした。
また、これまでの人生最大の危機にも直面しましたが、先日手術をした病院での再診の結果も良好でした。
旅立った命に護られて、そして今ある命たちの健康に感謝し、静かにこの一年を見送ろうと思います。
僕の入院中に猫たちのお世話をしてくれたご夫婦に挨拶に行き、その話しの中で
「ご夫婦」二人きりで暮らしていますが、名字は別々ということをチラっと聞きました。
詳しい事情までは尋ねませんでしたが、誰でも何かしらの事情を抱え、そして日々を暮してゆくものだと。
物置暮らしのメイのベッドには電気アンカを入れてありますが、今日はベッドに
三角お屋根を被せてあげました▲

メイ「これで暖気の逃げロスが少なくなるニャね❤」
我が家の「年越しそば」は昔から普通の夕飯時に食べていました。
年末年始の漁は休みでも、夜寝るのが早いいつもの習慣によるものでした。
今年は僕一人きりなので、定刻通り?の年越しそばに挑戦してみようかな、と思っています。
それでは、皆様も良いお年を。。。
涙の入院日記 その2
入院初日の夜はたぶん一睡もしていなかったと思います。
猫たちのことも気がかりでしたが、急きょ入院が決まった病棟は、お年寄りの末期治療、緩和治療が主で、そこの4人部屋でした。
(翌日知ることになるのですが、その部屋から3~4つ隣りが1年前にお袋が入院し、息を引き取った部屋でした。)
食事の時に痛み止めを服用しましたが、やはりそれだけでは治まらず座薬を入れてもらい、痛みのほうはどうにか落ち着きました。
しかし消灯後、しばらくすると廊下を挟んだ向かいの部屋の辺りから、認知症と思われるお婆さんの「煙が来てるよ!火事だよ!」という声が聞こえ始め、息子?の名前まで連呼するように。
看護士さんたちはいつものことなのか、そのうち眠ると思っていたのか、結局対応に来たのは深夜になってからでした。
会話でなだめた後、薬で眠らせたのか静かになり、これでやっと眠れる思ったら、今度は台風の豪音が響き始めました。
昨年の台風9号で未曽有の被害を受けたことを書きましたが、今年はそれ以上の強風が吹いたようで、話しによれば砂浜の砂が海岸沿いの道路に押し寄せ、砂浜が空っぽに近い状態になったそうです。
停電も発生し、夕方近くまで復旧が遅れたため、町で唯一のスーパーまでもが臨時休業したそうです。
僕の家回りの物も強風対策を取れないまま入院することになってしまったので、重しを乗せることが出来なかった物が片っ端から近所へ飛散し、後述するお爺さんがそれらを拾い集めてくれたそうです。
病院のベッドで豪風の音を聞いている間、怪我の前に新しく作った窓のシャッターを下ろしてきて本当に良かったと、胸をなで下ろしました。
もしもガラス戸のままだったら飛んできたものでガラスは確実に砕け、そうなった後の惨状は想像に堪えません…。
風の音は外が明るくなってから、しばらくすると止みました。
翌朝、携帯電話は間もなく電池切れとなり無用の長物となりました。
とにかく一刻も早く猫たちの世話をしてくれる人を見つけなければいけない。
病院へ運んでくれた従兄弟の家は猫とは無縁で、また係争中のバカ姉と親しい人物のため頼りにするわけにはいかない。
唯一の親戚の叔父の家は自宅から20キロ以上離れているので、毎日餌やりを頼むには無理がある。
朝9時を回った頃、昨晩怪我の報告だけしておいた、向かいの家で独り暮らしをしているお爺さん(←?結構なお歳だがサーフィンやバイクを今でも。)がお見舞いに来てくれ、説教もしてくれました(苦笑)。
猫たちの世話を頼みたかったのですが、糖尿から来る持病がいくつかあり、東京の病院に泊りがけで通う日がしばらく続いてしまうとのこと。
別の近所のご夫婦にも僕の入院を知らせてくれていて、お爺さんと入れ替わりでそのご夫婦もお見舞いに来てくれました。
近所で猫を飼っている家は唯一そこのご夫婦だけということもあり、うちの猫たちの面倒を頼むと快諾してくれました。
僕の家の中はそこらじゅう荷物であふれかえっていて歩くと危険なので、玄関から上がった場所に餌場を作ってもらい、ふたつある猫用トイレも家の奥まったほうはそのままで、玄関に置いてあるもののほうだけ処理を頼みました。
他にも物置にいる2匹の(外)猫の餌とトイレ、メダカの餌やりも引き受けてくれ、
一気に肩の荷が下りました。。。
帰り際に「一生の恩に着ます!」と言うのが精一杯で、それ以上は胸が詰まってしまい、言葉を声に出来ませんでした。
その日の夜は昨晩のような騒がしい声も無く、ようやく安心して眠れたように記憶しています。。。
涙の入院日記 その2・終
涙の入院日記 その1
退院から早くも一週間以上経ちましたが、自宅では安静にするという約束もどこへやら、毎日忙しく過ごしていています。
今回の怪我の一連の報告に励ましや労わりのお言葉を頂いていたにもかかわらず、きちんとその状況を説明していなかったので、自分への覚書の意味も含めて、
詳細を書き記しておこうと思います。
タイトルの「涙」は入院生活が辛かった、という意味では決してなく、いろいろあって
いい歳をした大の男がベッドの上で泣いてばかりいたので、あえてこのタイトルにしました。
まず事の発端は季節外れの超巨大台風に備えて、物置代わりにしているボロ家の屋根の補強をしようとしたことでした。
古い家で屋根の傾斜がきついため、屋根に立ったり歩く、といったことが出来ず、縁の下の柱に結んだ命綱を屋根に渡し、それをつかんだり体に巻き付けたりしながら屋根に張り付いて作業をします。
去年の台風9号で半壊したこのボロ家の屋根を丸一年かけ、100回以上登って、
こつこつ修理してきました。
修理はほぼ完了し、今年の今までの台風にはビクともしてこなかった屋根ですが、去年の台風9号を上回る強さが予想されたので、雨の中カッパを着込んで補強にかかりました。
これまでの作業中に事故は一度も無かったので、その慣れと奢りがあったかもしれません。
命綱が屋根の反対側で大きくたるんでいたにもかかわらず、何かに引っかかって止まったために、てっきり綱が張った状態になったと思い込んでいました。
ハシゴから屋根の端に乗ると同時に、命綱に全体重を預けて手元へ引いた瞬間、
それまでの引っかかりが外れ、命綱はただの「綱」になりました。
落下中、思わず「ウソっ!」と声に出していました…。
そして、綱をつかんだまま仰向けに地面に叩き付けられました。
やっちまった!なんてことを!と頭の中で何度も繰り返しながら、激痛もかまわず立ち上がり、壁づたいに歩き、そのボロ屋の隣がいとこの家であったため、玄関に辿りつき助けを求めました。
隣町の病院まで車で送ってもらうよう頼み、出かける支度が出来るまでの間、僕はカッパの上下と長靴を脱ぎ、路駐してあった自分の車まで行き、たまたま車内に置いてあったスウェットの短パンとジャンパーを着込むと、玄関にあったサンダルを拝借しました。
その時の衣服が以後3週間近くに渡る入院生活の全てになりました(叔父にパンツを一枚だけ売店で買ってきてもらいましたが)。
病院に着いたのは夕方5時少し前、いとこは帰宅し、僕はすぐにレントゲン撮影に。
診断は第一腰椎の圧迫骨折(背中の骨は下から数えて5つの骨だけが腰椎(腰骨)として区別され、その上は背骨。その5つの骨の一番上が第一腰椎)、ひとつの骨が見事にペシャンコになっていました。
すぐさま入院が必要と言われましたが、僕はその前に一度だけ帰宅させてもらい、
家の猫たちに晩ご飯をあげさせてくれと懇願しました。
でも仮に家まで送ってもらったとして、僕の体はもう床を這いずることはおろか、痛みで寝返りと打つことすら出来なくなっていました。
猫たちのご飯は諦めるしかありませんでした…。
4人部屋の入院ベッドに移動すると、時間的にもう入院食の晩ご飯は出せないと。
その日は朝にお菓子を食べただけだったので既に腹ペコで、ボロ家の修理から戻り次第、ご飯が炊けるように炊飯器にお米を研いでセットしてありました。
猫たちと同じように僕も晩ご飯を諦める決意をした矢先、特別に入院食を出してもらえることになり、煮魚やらご飯が乗ったトレーが運ばれてきました。
上体を起こすのは無理なので、寝た姿勢のまま体を90度回転して立ててもらうと、
ベッドから10センチくらい口元が高くなり、両腕は問題無いので、その高さを頼りに食べ物を口へと運びました。
空腹に食べ物が染み渡ってくるのを実感すると、真っ暗に静まり返った家の中で、
台所から僕の「ご飯だよー」の声が聞こえてくるのをじっと待っている猫たちの姿が思い浮かび、涙がとめどなく溢れて来ました。
涙の入院日記 その1・終