早くももう一月も中盤ということで、この「斬る!」シリーズも本題に入っていきたいと思います。
みなさんもよく考えることでしょう。
「男と女は、どこが違うのか??」
特に、恋愛なんかで彼氏・彼女とすれ違いを感じたとき、考えずにはいられないトピックであると思います。
僕もよく考えます。
そして考えるたびに、違う結論にたどり着いている気がします。
それは今自分が置かれている状況が、特に反映されやすいトピックだからだと思うんですね。
たとえば、ジェンダー論に関する本を読んだ直後なんかは、極端にその著者に偏った答えを出すかもしれない。また、自分が恋愛でうまくいってないときなんかは、異性を卑下する見方しかできないかもしれない。
これらは他のことを考えるときでも同じでしょうが、特に男女のことを考える際は、私情が入り込みやすく注意が必要です。
なぜ客観的に見れないか。簡単です。それは我々全員が生まれながらにして、男か女かというどちらかの選択肢を、半強制的に与えられてしまっているからです。
いわば、我々は必ず白組か赤組かに属しているのです。
こういった言い方は、性同一性障害などの一部の方々には大変失礼だと思います。またこれ以降の記事で、また失礼になる記述があるかもしれません。
その点は深くお詫び申し上げるとともに、予めご了承いただきたく存じます。
さて、僕の意見を述べていきましょう。
僕の場合、正直周りの意見に流されやすいと思います。
しかし、大きく見れば、自分はジェンダーに関してはかなり古い見方をしている気がします。
そもそも、「男と女は違うんだ!当然だ。」みたいな感じで冒頭から始めているのが、古いのではないでしょうか。
最先端の人は、「男と女の違い??ナニソレ??」くらいの感覚かもしれません。
しかし多くの人は男と女には考え方になにかしらの違いがあると考えていると思います。
そして、それぞれの意見を持っていると思います。
細かなことを挙げていけば、キリがないようにも思われます。
ただ、僕が最近思ったのは、、、
「男はマクロ的に考える。女はミクロ的に考える。」
これ、どうですか??
結構的を射た、そしてなんか多くの男女間差異の説明の柱になりそうなアイデアじゃないですかね。
もうちょっと詳しく説明しましょう。
僕は男だから、男側の考えは比較的よくわかるつもりです。
男は、自分の伝記を書きたがる。
たとえば、一週間くらいどこかに旅行に行ったとしましょう。
それを振り返るとき、男はなによりもその旅行が自分に与えた意味を探したがる。
その旅行を通して、自分は何を学んだのか。この旅は、自分にとってどんな意味があったのか。
旅行全体が、今の、そして未来の自分に与えられた影響を、自分の言葉で語りたがる。
対して女はどうか。まああくまでも推測にすぎませんが。
女は、自分の写真を撮りたがる。
上の旅行の例でいきましょう。
それを振り返るとき、女は自分が楽しく過ごした瞬間を思い浮かべる。
旅行全体がどういったものだったかはあまり関係ない。あそこで見た景色。あそこで食べた味。あそこで出会った人々。
その一つ一つを楽しい思い出として、自分の頭の中のアルバムにしまい込む。
つまり、男は旅行を全体としてマクロ的に捉え、女はひとつひとつの場面としてミクロ的に捉えているといえるのではないでしょうか。
ちょっと例を変えてみましょう。
男女のすれ違いの典型例。夫婦げんかによくある場面。
男は、今のことよりも、将来のことを語りたがる。
今はたしかに苦しい現状かもしれない。でも俺も頑張ってるんだから、温かく見守ってほしい。
そのうち必ず出世して、お前と子供を幸せにしてやるから。
女は、将来のために、今のことを語りたがる。
わたしは、今の二人の問題の話をしてるの。話を逸らさないで。
第一、今のあなたのやり方で、出世できる見込みはあるの??そのうちできるっていうなら、今その証拠をみせてよ。
少なくとも、その成功までの方法をわたしにわかるように表してみてちょうだい。
男は、演繹論的に計画を立てる。
初めに目標を定め、それを体現している自分をイメージする。ゴールは動かない。
女は、経験論的に計画を立てる。
一つ一つブロックを積み重ねて、目標に近づこうとする。ゴールは動く。
言い方を変えれば、男はロマンチスト。女は現実主義者。
とまあこんな感じでしょうか。
なんかありきたりといっちゃありきたりの理論だったかもしれません。
でも最近ちょっと考えたことなんで、書いてみました。
男「将来はとにかく大きな家に住みたいね。」
女「うん。でも私お掃除するの大変そう・・・」
男「そうかもね笑。あと大きな犬も飼いたいなぁ。」
女「犬の名前どうする??」