早くももう一月も中盤ということで、この「斬る!」シリーズも本題に入っていきたいと思います。


みなさんもよく考えることでしょう。

男と女は、どこが違うのか??」

特に、恋愛なんかで彼氏・彼女とすれ違いを感じたとき、考えずにはいられないトピックであると思います。


僕もよく考えます。

そして考えるたびに、違う結論にたどり着いている気がします。


それは今自分が置かれている状況が、特に反映されやすいトピックだからだと思うんですね。

たとえば、ジェンダー論に関する本を読んだ直後なんかは、極端にその著者に偏った答えを出すかもしれない。また、自分が恋愛でうまくいってないときなんかは、異性を卑下する見方しかできないかもしれない。

これらは他のことを考えるときでも同じでしょうが、特に男女のことを考える際は、私情が入り込みやすく注意が必要です。


なぜ客観的に見れないか。簡単です。それは我々全員が生まれながらにして、男か女かというどちらかの選択肢を、半強制的に与えられてしまっているからです。

いわば、我々は必ず白組か赤組かに属しているのです。


こういった言い方は、性同一性障害などの一部の方々には大変失礼だと思います。またこれ以降の記事で、また失礼になる記述があるかもしれません。

その点は深くお詫び申し上げるとともに、予めご了承いただきたく存じます。


さて、僕の意見を述べていきましょう。

僕の場合、正直周りの意見に流されやすいと思います。

しかし、大きく見れば、自分はジェンダーに関してはかなり古い見方をしている気がします。


そもそも、「男と女は違うんだ!当然だ。」みたいな感じで冒頭から始めているのが、古いのではないでしょうか。

最先端の人は、「男と女の違い??ナニソレ??」くらいの感覚かもしれません。


しかし多くの人は男と女には考え方になにかしらの違いがあると考えていると思います。

そして、それぞれの意見を持っていると思います。


細かなことを挙げていけば、キリがないようにも思われます。

ただ、僕が最近思ったのは、、、


マクロに考える。ミクロに考える。」


これ、どうですか??

結構的を射た、そしてなんか多くの男女間差異の説明の柱になりそうなアイデアじゃないですかね。


もうちょっと詳しく説明しましょう。


僕は男だから、男側の考えは比較的よくわかるつもりです。


男は、自分の伝記を書きたがる


たとえば、一週間くらいどこかに旅行に行ったとしましょう。

それを振り返るとき、男はなによりもその旅行が自分に与えた意味を探したがる。

その旅行を通して、自分は何を学んだのか。この旅は、自分にとってどんな意味があったのか。

旅行全体が、今の、そして未来の自分に与えられた影響を、自分の言葉で語りたがる


対して女はどうか。まああくまでも推測にすぎませんが。


女は、自分の写真を撮りたがる


上の旅行の例でいきましょう。

それを振り返るとき、女は自分が楽しく過ごした瞬間を思い浮かべる。

旅行全体がどういったものだったかはあまり関係ない。あそこで見た景色。あそこで食べた味。あそこで出会った人々。

その一つ一つを楽しい思い出として、自分の頭の中のアルバムにしまい込む


つまり、男は旅行を全体としてマクロ的に捉え、女はひとつひとつの場面としてミクロ的に捉えているといえるのではないでしょうか。


ちょっと例を変えてみましょう。

男女のすれ違いの典型例。夫婦げんかによくある場面。


男は、今のことよりも、将来のことを語りたがる


今はたしかに苦しい現状かもしれない。でも俺も頑張ってるんだから、温かく見守ってほしい。

そのうち必ず出世して、お前と子供を幸せにしてやるから。


女は、将来のために、今のことを語りたがる


わたしは、今の二人の問題の話をしてるの。話を逸らさないで。

第一、今のあなたのやり方で、出世できる見込みはあるの??そのうちできるっていうなら、今その証拠をみせてよ。

少なくとも、その成功までの方法をわたしにわかるように表してみてちょうだい。


男は、演繹論的に計画を立てる。

初めに目標を定め、それを体現している自分をイメージする。ゴールは動かない。


女は、経験論的に計画を立てる。

一つ一つブロックを積み重ねて、目標に近づこうとする。ゴールは動く。


言い方を変えれば、男はロマンチスト。女は現実主義者


とまあこんな感じでしょうか。

なんかありきたりといっちゃありきたりの理論だったかもしれません。

でも最近ちょっと考えたことなんで、書いてみました。


男「将来はとにかく大きな家に住みたいね。」

女「うん。でも私お掃除するの大変そう・・・」

男「そうかもね笑。あと大きな犬も飼いたいなぁ。」

女「犬の名前どうする??」

今日だけは斬らせて、こいつを!


北斗⑥で75000円負けたよ~。うぇ~ん。。。


実は僕つい先日(11日)、同じく北斗⑥で万枚出してるんです。

同じ⑥でもここまで違うかね。


考えてみると、僕はキレイに朝一から⑥に座ると、なぜか負けてしまうことが多いような気がします。

なんででしょう。欲みたいなもんが出るんでしょうかね。


って精神論どうこうの話じゃないっしょ!?

マジくやしいわ。


でもいい機会だから、先日打った「出る⑥」と今日打った「出ない⑥」は何が違うのか、検証してみよう。


まず、そもそも、どこで⑥という判断をつけるのか

北斗には設定判別要素が多様にあり、それを総合的に判断するというのはどこの攻略雑誌にも書いてあることだけど、じゃあ実際どこで⑥っぽいなあって思うのかは人によってそれぞれ基準があってかなり違うと思います。


僕の場合は、第一にBB後の高確移行を重視。やっぱこれは基本です。

その上で、実際一番⑥っぽさを感じるのは、スイカ・チャンス目後の挙動

BBならもちろんいいけど、よく高確に移行するというだけでも期待感は高まります。

小役確率は、実際あんま気にしない

初めの方は判別要素がほとんどないから一応チェックするけど、途中からはもうカウントしません。

たまに小役落ちるたびにメモりながら打ってる人がいますが、それやるなら小役後の移行モードまでしっかり書いておかないとまるっきり意味ないんでヤメた方がいいですね。

あと、せっかく高設定掴んだらブン回したほうが絶対トクだしね。


まぁ上のを簡単に言っちゃうと、いかに2チェ以外で入るかに尽きると思います。

なんか低設定は2チェ引かないと話になんないみたいなイメージなので、スイカ・チャンス目が主戦力になっていれば高設定の期待は高まりますね。


あと、ついでに、今高設定と書きましたが、北斗は④⑤はキープする意味無しなんで、ある程度勝ったらヤメが望ましいです。

終日打つなら、⑥に限る!実際結構掴めます。


でねでね。

今日の台は俺の基準から見れば明らかに⑥。

で、俺のシマ全台いい感じだったから、全⑥を確信したわけよ。で、実際そうだったわけよ。発表されたし。


なのに・・・。


出ない⑥のダメなとこその1オーラの色がショボい・・・。

今日BB17回引いたんだけど、なんと全部白オーラか青オーラ。

そら連チャンしねーって話ですよ。実際JAC47で平均2.7連

でもさ、全部白or青でそれならしょうがないって思わない?思うよね!?


出ない⑥のダメなとこその2めぐり合わせが悪い・・・。

これは⑥負けの王道パターン。小役は確率通り引いてくるのに、高確上がったと思ったらパッタリと来なくなるとか、すぐにモード降格するとか。

特に2チェのめぐり合わせは死活問題。高確で4チェばっか来るときはほんとキレそうになるよね。


出ない⑥のダメなとこその325%が、引けない・・・。

はっきり言って、今日の敗因は、これに尽きる。

上に2チェのめぐり合わせって書いたけど、2チェは当然高確以外で引いても25%で入る、はず・・・。

入んなかったんだよー!たったの一度も!

20連続スルーですよ。信じられる??こんなんで勝てるかーっ!

あと、スイカ・チャンス目の25%も今日は引けなかった・・・。くさるほどスイカ引いた後に、サウザー→シンとか、マジなえました。

結局スイカ・チャンス目で昇格できてないから2チェがスルーするんだよね。ほんと悪循環ですわ。


まあ主な特徴は以上って感じでしょうか。

それでも僕の⑥基準は満たしてる台だったんです。だから信じて打ったのに・・・。

こんな結果になるとは、ほんと悲しいです。


結果⑥だったんで僕の立ち回りは間違ってなかったってことで、このことは忘れます。

もう寝ます。

この題名「臭い(くさい)を、斬る!」じゃありませんよ。「臭い(におい)を、斬る!」です。

こういった混乱を招かないよう、この記事では「くさい」「におい」はひらがな表記にします。


よく考えてみれば、くさいという言葉とにおいという言葉が全く同じ表記をするというのはおかしな話です。

漢字ができた頃は、においというのは全てくさいということだったのでしょうか。それはかなり的を射た答えである気がします。


「におい」「くさい」は当然、訓読み。日本でできた読みです。

平安時代の日本では、においは大問題だったようです。平安時代の貴族たちは、生活のありとあらゆる部分を迷信に縛られており、風呂に入れる日も限られていました。そのため、ほとんどの人間がかなりの異臭を放っていたと考えられます。優雅な生活からは想像もつきませんね。

今われわれも普通に焚いているお香。あれはもともとにおい消しの役割で生まれたものです。体臭をお香の香りでごまかすというわけです。

つまり、においは無いに越したことはないわけで、いいにおいという概念は存在していなかったと考えられます。

におい=くさいという考えが妥当であったと思われるわけです。


さて、では現代ではどうでしょうか??


驚くほど大きく変わったと思います。明治の文明開化以降、一番大きな変化が起こった分野の一つが、「衛生」です。日本人は、ほんとにキレイ好きになりました。

最近では、ほとんどの人が潔癖症なんではないかと思ってしまうくらい、汚いものというのはどんどん生活の中から排除されています。


そして、この汚物排除の流れの最先端にいま位置しているのが、においの分野であると僕は思うわけです。

においというのは、排除しづらいものです。

人間の五感を考えてみて下さい。視覚は、ものをさえぎってしまえば見えない。聴覚は、なにか他に大きな音があれば聞こえない。触覚・味覚は、直接接触しなければわからない。

嗅覚というのが、最も排除しづらいものであることがわかります。においのもとを消してしまう以外に、あまり方法がない。


また、嗅覚というものの特殊性は、他の感覚に比べてあまり磨かれてないということです。

においをもとに生活している人って、あまりいないのではないでしょうか。おそらく、芳香剤をつくっている会社のにおいのスペシャリストと呼ばれる人たちくらいです。

ですから、人によって大きな差がある。そういうものです。


ちょっと切り口を変えてみましょう。

そもそも、僕がにおいについて書こうとしたのは、昨日の麻雀中に、Gくんがうんこを漏らしたからなんです。


うんこ漏らし」ほど恥ずかしいことって、考えれますか??

なかなかないように思います。


「うんこ漏らし」は様々な人間の弱みを示しています。

忍耐力の欠如計画性の無さ緊急時対応力の甘さ

そしてなによりも、それを「におい」という形で周囲に告知しなければならないという事実。


自分のにおいって、ほとんど気にならないものですが、実は驚くほど周りには意識されている場合が少なくありません。


たとえば、驚くほどのワキガで、なんともいえない異臭を放っている人がいたとしましょう。

あなたはこの人を目の前にしたとき、どうしますか??


ワキガの大きな特徴の一つは、上にも述べたように自分ではほとんど気にならないという点です。

しかし周りの人間には結構気になるものです。


多くの人は、ほんと無意識的に、この人から距離を置くのではないでしょうか。話すときとかも、他の人より若干長めの間を取る。

それを見て当の本人はどう思うか。

特に違和感は感じないはずです。なぜなら本人にとってはそれが当たり前なのですから。

なんかちょっと避けられてる??とか気づきすらしないでしょう。


ですから、周りの人間が何も言わなければ、特に問題はない。


しかし、特に正義感の強い人間はこう思うのです。

これでいいのだろうか??


これを果たして「平和」と呼んでいいものだろうか。何か違うのではないか。

この問題は、特に小学生・中学生くらいは頭を悩ませる難問です。


きっとそのうち誰かが言い出します。

「誰か、あいつに『お前くさいぞ』って言えよ。」と。


この手の問題を僕は「臭さ告知の問題」と呼んでいます。


これは、何も小中学生に限らず、我々にとっても結構難しい問題である気がします。


これは、極めて日本的な問題であると僕は分析します。

」を尊ぶ日本人だからこそ、こういった問題が生じる。いかに和を乱さずに問題を解決するか。


なんというか、一度和を壊してしまおうという発想が日本人にはないんですね。

常に現状をもとに修正修正で問題に対応しようとする。


何かを失うということに大きな恐怖があるんです。


上のワキガの例の場合、「くさいぞ」という発言のせいで、もしかしたらその人の世界が崩壊してしまうかもしれないという恐怖を抱く。

それを自分だけの判断で実行するのは、ほとんど考えられない。

またそこで相談が始まる。


こうして問題は先送りされていくのです。


そろそろまとめましょう。

重要なことは「解決すべき問題の見極め」と、「解決方法の用意」です。


問題を抱えたネットワークを、むやみやたらに壊すのはもちろん得策ではありません。しかし、それを正すには根本的な改革が必要な場合がほとんどなのです。


破壊というリスクと問題解決という恩恵のバランス

それを見極めることが第一。


そして、壊すからには予め必ず成功のビジョンが描けていることがもう一つの条件。


これらを総合的に判断し、僕は勇気を持ってGくんに言ったのです。

お前、うんこ漏らすなよ。」と。

僕の問題解決能力が試された瞬間でした。



最後になりましたが、Gくんの話はフィクションです

ちょっと正月は風邪ひいてました。病み上がりです。ABCです。


今月のテーマです。斬る


なんて強気な言葉使ってるわりには、慎重な記事になるかもしれませんが、そこはご了承ください。

あと、新年いきなりこんなテーマ持ってくるからには、何か特別な考えが・・・全くありません。

要は、世の中のいろんなことに関して、僕の独自の意見を言っていきたいと、ただそれだけのことです、はい。

すいません、思いつき人間で。


早速始めていきたいと思います。


記念すべき一発目は・・・箱根駅伝を、斬る!


みなさん、見ましたか??今年の箱根を!?

こんなに展開が面白い箱根は近年なかったんじゃないでしょうか。

僕はもう全区間見てしまいました。

僕がかなりの「箱根好き」だということは、以前このブログにも書いたと思います。


結局優勝したのは亜細亜大学でしたね。これも驚きです。

ただ、今回の箱根で特に目に付いたのは、有力選手と呼ばれる選手たちのブレーキ。


1区の日体大・鷲見から始まり、2区の日大・サイモン、5区の東海大・伊達。

この流れは復路に入っても止まりませんでした。8区では順大・難波。そして、最終10区では今まで箱根で絶対的な安定感を見せていた駒大・糟谷までもが大ブレーキ。


思えば、今までの箱根でも、有力と呼ばれる選手ほど極端なブレーキを起こしていたように思います。記憶に新しいところでは、去年の中大・上野。

あとかなり前になりますが、山梨学院大のエース中村がブレーキを起こして途中棄権したときは、僕は涙目になって画面に食い入っていた思い出があります。


やはり、スピードのある選手は、それだけ大きなリスクを抱えて走っているということなんでしょう。ですから、一つ間違えれば今回のような総崩れの事態になるわけですね。


あと、箱根駅伝というのは、他の大学駅伝とは明らかに違うものだと思うのです。


そのひとつは、距離

箱根の1区間の長さは、はっきり言って異常です。

ハーフマラソンよりも長い区間がほとんどなんですよ。他の大学駅伝に比べれば、違いは明らか。


さらに、アップダウンの激しさ。

なにも箱根の山道だけじゃありません。権太坂、遊行寺の坂など、箱根のコースは他のレースよりもアップダウンが多めです。これを越えていくには、かなりのタフさが必要です。


そして、気温

今回の箱根ではこれが一番の厄介者だったのではないでしょうか。往路では最後雪が降るほど冷え込んだのに、復路では逆に太陽が照り付けて気温がかなり上がりました。8区・難波選手の大ブレーキは、急な気温上昇に伴う脱水症状が原因ようです。

このように、急な温度変化に負けない体作りも不可欠。


最後に、プレッシャー

箱根は、どの大学も特別な思い入れがある大会です。どんな駅伝大会よりも注目度の高い大会だとも言えると思います。そんな最高の舞台で、結果を残さなくてはいけないというプレッシャー。特に優勝候補・有力選手にかかるそれはハンパじゃないでしょう。逆にいえば、「そこそこ」の大学・選手は、晴れの舞台で逆にのびのびと力を発揮できるということも考えられます。


結論として、箱根に勝つために僕が考えたのは(←お前誰だよって感じですが・・・)、

なんといっても強い」選手作りです。

この強いとは、タフだということです。10000メートルのタイムなんかは、そこそこでいいんです。全選手中平均くらいのタイムならば十分でしょう。

エース級の選手を伸ばすよりも、選手の平均的な力を上げた方が、絶対に箱根は有利です。

どんな状況下でも平気で走れるような、タフな選手が揃っていれば、それだけで優勝候補です。


だからこそ、箱根はおもしろい。練習が、そのまま結果に繋がるんですから。

才能とかは、あまり関係ないんですね。


今までの箱根は、そう言い切れなかった部分がありました。あまりに大学間で戦力の差がありすぎたりしたので。

でも、今では指導者のレベルも上がり、戦力の整っている大学は驚くほど多いのです。

今回の亜細亜大学の優勝は、いい例です。


これからの箱根は、去年までの駒大のように、何連覇もする大学はなかなか出てこないのではないかと思います。考えれば、箱根ほど順位を予想しづらいスポーツはありませんね。

来年も、おもしろい箱根を期待しましょう。

みなさん、あけましておめでとうございます


昨年はなかなか定期的に更新できませんでしたが、今年は最低でも去年よりは頻繁に記事書いていきたいと思ってますんで、相変わらずの粗末な文章だとは存じますが、益々のご愛読を心よりお願い申し上げます


さて、昨日の続きです。


2006年。僕の選んだ二文字は、、、

本気」。


ちょっと、まじめになろうかと。


最近、まじめの強さに驚くことが多いです。やっぱりまじめは美しいんですよね。

昨日見てた「女王の教室」なんかも、そんなテーマだと思います。

ほとんどロボットのように統一のとれた動きをする生徒たちを見て、僕なんかはちょっと気持ち悪いと思ってしまうんですが、そこで思わず笑いそうになる自分がどこかで恥ずかしい気持ちもあるわけで・・・。

なんか自分は人間的にこの子たちより劣っているのではないか、と。


昔からよく言われた言葉、そして今もよく僕が言われる言葉の一つに「まじめにやれ!」というのがあります。

なぜでしょう。自分では普通にやってるつもりなのに、なぜか怒られてしまうんですね。

どうやら、自分は、まじめにやるだとか、本気になるだとかいうことが、極端に苦手な人間のようなのです。


それって「人間らしさ」ということに繋がってくる考えだと思います。

どんなに理性的になろうとしても、理性的になりきれないのが、人間。

何かに執着して、周りが見えなくなるのが、人間。なのです。

僕はそういったことを、極端に嫌って生きてきたと思います。

そして、そういう感情に縛られる人間を、心のどこかでバカにしていたんだと思います。


でも、同時にそういう人間に嫉妬していたんだと思います。

人間らしさを、素直に表現できるのがうらやましかったんだと思います。


だから、今年は、何かに一生懸命になってみたいなぁと思いました。

思えば、僕は今までの人生で、高校時代の野球以外に、「本気」で取り組んだことなんてないと思うのです。

それは、誠意を見せるといったことにも近いと思います。

信用を得るといったことにも近いと思います。


なんか、今までどうにも恥ずかしくてできなかったこと。

今年はできればいいなと思います。


それが、今まで僕がどうにも突破できなかった壁なんだと思います。


人間のこと、もっとわかるといいな。

いよいよ2005年も終わろうとしています。


僕にとって、この1年はどんな年だったか。


いままでで、一番楽しかった一年。

一番不規則な生活をした一年。

一番お金を使った一年。


こんな意味づけができると思います。


僕は毎年、2001年からですか、その一年を漢字二文字で表すとどういう言葉があてはまるだろうかと考えることがあります。

さすがに漢字一文字はちょっと難しいので二文字でね。



2001年は、挑戦

この年、僕は高校3年生。

夏までは、ただひたすら野球に明け暮れた。

夏が終わり、いきなり投げ出された受験の戦場。

出遅れていた僕は、完全にチャレンジャーだった。

勉強すればするほど、知識は身についた。知らないことばっかりだったから。

ましてや、まだ世間のことなんて何も知らない、ほんとのガキだった。

それゆえの、強さもあった。


2002年は、我慢

一浪した。

浪人時代に学ぶことは、驚くほど多かった。

自分が今までどんなに世間知らずだったかを思い知った。

僕はまるで、ようやく歩けるようになって初めて外に連れ出された子供だった。

やりたいことが、どんどん沸いてきた。

しかし、僕はこらえねばならなかった。

その忍耐は、僕に何を築いたのか。

膨大な、でもほとんど無駄な知識と、驚くほど分厚いプライドの壁。

そうしないと、今にも溢れ出てなくなってしまいそうなほど、軽くサラサラと流れるこころ。


2003年は、経験

初めて一人暮らしをした。金持ちの道楽か。

しかし、そんなみんなの非難の意味を理解する余裕もないほど、僕の周りは刺激で溢れていた。

なんでもやってみたかった。でも、できなかった。やらなかった。

きれいすぎるほどきれいに開けた道を目の前にして、僕は一歩を踏み出せずにいた。

月日だけが、たしかに流れていた。

そして、僕は初めて自分で自分をバカにした。

自分の弱みが、唯一の収穫だった。


2004年は、変化

家に戻った。

寂しかった。友達が欲しかった。とにかくウケたかった。

だから、僕は、自分を捨てた。

これはちょっとかっこつけすぎたか。自分のちょっとしたこだわりを捨てた。

みんなを笑わせられれば良かったから、僕はなんでもやった。

事態は、驚くほど良くなった。

楽しかった。

こんな楽しいこと、経験したことなかった。

もう十分楽しかった。もっと多くの人とこの楽しみを共感できればいいと思った。


そして2005年は、充実

に、なればいいと思った。元日に、そう思った。

実際そうなった。と、言ってもいいと思う。

たくさんの、素晴らしい人と出会えた。

今まで気づかなかった他人のいいとこも見えた。

気づかないフリをしてた自分とも出会えた。

考えてみれば、形になることは何もやってない気もする。

それでも、この一年は、数少ない間違いなく良かったと言える年。

忘るる間ぞなき、ゆく年月。



見てみれば、見栄えのいい言葉ばかり並べてるな、俺は。

ほんとカッコつけマンですね。これだけは直んないみたい。


2005年は、近年稀に見るほど穏やかに終わろうとしています。


みなさん、最後に一つお願いを。

みなさんあってこその俺です。どうか来年も、どうぞよろしく。

では、よいお年を!


ちなみに2006年の二文字も、もう決めました。

しばらく会ってない友達から久々に電話がかかってくると、無駄にドキドキしてしまいませんか??

なんも怒られるわけでもないのに、ちょっと緊張しちゃったりして。


これは、久々に話せて嬉しいからそうなるんでしょうか。

きっと、そうではないですね。


この「久々ドキドキ症候群」は、簡単に言えば、感覚を取り戻すための作業ですね。

人間は誰しも社会の中のあるネットワークに属して生きています。

ほとんどの人間は複数のネットワークに属しており、それを行き来しているわけです。

そして、当然それぞれのネットワークで、ほぼ無意識的に、違う自分を演じています


そんな複数のネットワークのうち、あるひとつのネットワークにちょっと疎遠になってしまったとしましょう。

すると、その人はそのネットワークでの自分の役割を、完全にではありませんが忘れてしまいます。

そして、今自分が最も親密にしているネットワークの中での自分を「ほんとうの自分」だと思うようになるのです。

すいません、これも正確ではないですね。自分が属しているネットワークの「比重」をそれぞれ考え、そのバランスで統合して出来上がったものが、それぞれの人が考える「自己像」になるわけです。


今、その疎遠になっているネットワークの住人から電話がかかってきたとしましょう。

そのネットワークの比重が、自分の中でとても小さかった場合、あなたは自己分裂を起こします。自分にかかってきている電話なのに、自分で対応できないというおかしなことがおこるのです。

しかし、あなたは一人しかいないのです。あなたは必死に自分を取り戻そうとします。会話を無理にでも弾ませて、昔を思い出そうとします。これが、ドキドキの過程ですね。

ドキドキ研究の第一人者である僕が言うのですから間違いありません。


思うに、このネットワークの比重のバランスをうまく取れる人が、いわゆる「社交的な人」ということなのではないでしょうか。いつでも即時に自分の切り替えができて、いつまでも昔の友人と幅広く付き合っていける人間というのはいるものです。


では、僕の場合はどうか??

うーん。こんな長く引っ張っといて申し訳ないけど、結構普通かな。

もしくは、ちょっと上手いくらいかも。

ま、中の上ってことで。


さて、前置きがかなり長くなったんですが、昨日は、そんな疎遠になってたネットワークに久々にどっぷり浸かってきたって話。

高校時代の野球部の仲間と、久々に会ってきました。

僕はね、自分からこういうOB会を開いたりしようとはなかなかしないんですよ。

呼ばれたら絶対行くんですがね。


どうやらこれからは定期的にこういう会も開かれるようになるみたいで、なによりです。

昔の仲間は大事にしないといけませんよね。かけがえのないものですから。


って大事だな~って、最近ほんとに思います。

年賀状とか、恥ずかしながら今年も一枚も書いてないんですが、こういうのマジダメですよね。


だから縁を広げるためにも、mixiを始めてみました!みなさんよろしく!

はい、今日も最後は強引にいってみました。

また行ってまいりました。合コンです。


昨日の合コンはね、これぶっちゃけ今までの合コンで一番楽しかったかも☆ってあんま行ったことないですけど・・・。


なんかうまく決まったね、昨日は。

手品もネタばれしないで決まったし。あややのダンスもそこまで引かれずに済んだし。(←どこでもやってることは変らない人ですね)


こんなこと言っちゃうとすげーカッコわるいんですけど、ちょっと自分の成長を感じたね、これ。

うん、成長したよ、俺。この一年で特に成長した。


一言で言っちゃうと、妥協がうまくなったな~って思うんだよね。

これもすげー見た目はカッコわるい言葉ですけど。


でも、それこそが成長なんだなって思う。大人になるっていう感じかな。

だから成長って、必ずしもいい意味とは限らないんだよね。


よくみんなが使う言葉で、「ハードルを上げる・下げる」っていう言葉があると思います。

最近、この言葉に敏感なんです。

なんか、絶対に自分からはハードルを上げないぞって、そんなことばっか考えて生きてる気がする。

これは自分だけじゃなくて、周りの人も含めて。


昔の俺は、そんな人間には絶対になりたくないって思ってました。

ハードル下げるくらいなら、自分からハードル上げて、それで失敗してもいいじゃないかって感じで生きてたと思います。

これを、ちょっとスタンスを変えてみました。っていうか、あることに気づいたんです。

ハードルは、自分から上げなくても、勝手に上がるんです。そこで見事に飛べれば、こんなカッコいい(っつーかおいしい)ことないじゃないかって思いました。


ですから、一番大事なことは、場の空気が読めるかどうかってことだったんですね。ハードルが上がるのか下がるのかを読んで、それに合った対応をするという・・・。

はい、こんな年の瀬にめっちゃ当たり前のことを書いてしまいましたね。


にしても、昔の俺の考え、ほんとに実践できてたらカッコいいですよね~。きっと全然実践できてなかったでしょうから。

多分、どうこうしようって頭で考える前に、体は動くと思うので、所詮人間は後悔しかできない生き物なんですね。


あれ、なんかどんどん意味がわからない文章になってきたな。

ま、とにかく昨日は楽しかったってことです。

はい、以上。『ABCの寺から 2005 ~成長~をお届けしました。

クリスマス

心から仏教を信仰する僕にとって、それは本来は何の意味もなさない宗教行事。

しかし、住む国が無信仰国」日本とあれば、話は違ってくる。


果たして誰の陰謀か??その日街中は煌びやかにライトアップされ、勝者敗者をくっきりと浮かび上がらせる。

その日この国を支配しているルールはただひとつ

ひとりの異性と手をつなぎ、二人の世界の中でゆっくりと歩いている者は勝者。

その他の者は、有無を言わさず敗者。

当事者の気持ちなどは全く意味をなさない。


12月24日の夜。そういう格好ができるか、できないか。

ひとつのミッション。僕らは人間としての価値と社会性を試される。


もしあなたが、そんなゲームをくだらないと思ったら、どうぞ降りてもかまわない。

ただ、そんなあなたを見る世間の目はご存知だろう。この負け犬


逆に言えばこの日だけだね、モテるやつが絶対的に偉いのは。

聖夜っつーの。あれ、性夜の間違いだっけ。ま、いいか。

とにかく、負けず嫌いの僕は、毎年基本的には悔しいようなもどかしいような思いをして過ごす日です。



さて、今年はどうだったかと申しますと・・・。


結論から言いましょう。今年は楽しいクリスマスでした


いやー、よかった。これだけ心からよかったって言えるクリスマスはめったにないよ。


23日がクリパでしょ。

で、問題の24日。この日何やったかって言うと・・・。


ドライブ!!


山梨までドライブ!!


もう遠い遠い・・・。


メンツはね、ご想像にお任せします(女子は入ってないのでご心配なく・・・)が、何しに行ったかはだいたい想像つくでしょ。

山梨っていうとピンと来る人が一人いますね。その人の実家におじゃましたってわけです。

ええ、そりゃもちアポなし

で、ちょいと小粋なプレゼントを、ね。メリークリスマスってなもんで。

いわゆるアポなしサンタってやつですか。電波少年思い出しますね。


そこで小1時間くらいお家に上げさせてもらって、すぐ帰ってきました。

なにせ突然押しかけちゃったもんですからね。長居もできず・・・。

近所の方に迷惑でなければよかったんですが。


ま、僕ら的には、かなりやり遂げた感のある企画でした。


んで、では25日は何やったかと申しますと・・・。

缶ケリですね。缶ケリ。


参加者は、6人!


まず六本木ヒルズでは、あまりの人の多さに当然缶は蹴れず、「サンタクロース&トナカイを探せゲーム」をやりました。これがかなりおもろい。


さらに、その後東京タワーに場所を変え、今度こそ缶ケリを6ラウンドほど。


もう大満足ですね。マジ楽しかったっす。


僕なりの基準ってもんがありまして。あ、クリスマスの話です。

やっぱり最低でも何かをして遊んで過ごしたいっつーのがこだわりですね。良くも悪くも「特別な日」ですから。普通に過ごしたらつまらんってな話です。


で、その遊びにも基準があって、

オリジナリティのあるものほどよい・・・自分たちで工夫した企画

アクティブなほどよい・・・より動きのある企画

レアなほどよい・・・クリスマスならではの企画

といった観点から何をやるか考えるのが、これ結構楽しいんですよね。


今年は、そういった意味で、クリスマス企画としては合格点を与えられる内容だったと思います。


でね、もういいかと。

さすがに3年ですよ。もうそろそろ僕も勝ちたいなと。

企画の最中、来年は勝ちに行こうかと何度も思いました。


そりゃもうバイク乗ってピザ配達してるサンタさん見る度にですよ。


クリスマス終わって、街は一気に年末モードです。

この切り替えの早さもまたクリスマスならではの特徴ですね。

今年は穏やかな年末が迎えられそうです。

昨日は我がAぷりのクリパでしたね。


思ったこと。これ、ほんと素直に思ったこと。


執行じゃないと、なんて楽なんでしょう!!!


今年一年、執行部として様々な企画をしてきましたが、よくよく考えれば、このクリパこそが執行としての最初の大仕事だったと思います。


ほんと、マジでテンパってたよ、あん時は。2時間が一瞬だったもん。

余裕なんてねーねー。

次から次へとやることが沸いてきて、ほんとにあたふたしてたのを覚えてます。


それに比べて、今年のクリパはどうだったでしょう。

もうそりゃゆったりんこですよ。


余裕がありすぎて、会場の一角で「徹子の部屋」始めちゃうくらいでした。


なんか全体的にもまとまってていいクリパだったなぁと思います、個人的には。


これは、やはり新執行の皆さんの仕切りが素晴らしかったからでしょうかね。

まあそれももちろんありますけど、何よりも良かったのは会場時間だね。


これは見事だと思います。

100人強入っても余裕のあるスペース。そして適度に動きの出る座席配置。

そして、2時間半という時間。通常の飲み会等での2時間に比べてたった30分違うだけなのに、こんなにも余裕ができるものかとビックリしました。


そして、企画の数も適当だったと思います。

あまり詰め込みすぎず、少なすぎず。歓談の時間も十分取れましたね。


今の2年生は、セッティングがとても上手だなぁと思いました。

感覚・センスがいいです。その調子で執行を続けていけば、きっと僕らなんかよりもずっといい企画ができると思います。


って、あんまり褒めすぎてもプレッシャーか・・・。

ま、気持ちにゆとりを持って頑張ってください。