親 | ハナの着の身着のまま木の実ナナ!

ハナの着の身着のまま木の実ナナ!

夫が発達障がいっぽく、通級通い等の娘いて、色々あって夫と別居中。まだカサンドラで統合失調症の私です。

こんばんは、ハナですチューリップ

 

 

 

今日二つ目のブログを書きます、

 

 

 

書きたい書きたいと思いつつもなかなかブログに出来んかったの、沢山ありましてほっこり

 

 

 

 

 

 

昨年秋のこと。

我が夫、「旦那さん」のことでちょっと精神的にキツイな~ってことがありました。

 

 

 

それでも、

そっから一か月くらいした頃、そのことで自分の中での「底」はついたと思っていて。

 

 

 

あーまだまだキツイけれど、こっから後は上がってくだけだなコーヒー

 

 

 

と、思ってたところで、

実母と言い合いになりました、ケンカです。

 

 

 

言い合いも、もともとは旦那さんのことが発端ではあるし、「底」はついたけれど上がる途中だったから。

 

 

 

そういうの背景があるとは言え、

実母の言葉がひどくひどく私に刺さりました。

 

 

 

母との言い合いは、

だんだんと私が何を言っても母がマウントとってフルボッコにしようとしてるだけのものに私は思えてきて。

 

 

 

発展性もない、

解決がみえない、

これ以上やっても不毛だな、と。

 

 

 

言い合いを自分からやめて、自宅に帰りました。

 

 

 

そして、一息ついたらすぅっと。

消えたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「消えたい」

 

 

 

「死にたい」んじゃないんです、「消えたい」んです。

 

 

 

「消えたい」って、思う時、

わーっと慟哭してる中じゃないんです、激情してるんじゃないんです。

 

 

 

無風、揺れてんのか揺れてないのか分かんないくらいの水面、のような、静かーな状態。

めまぐるしい感情もなく、思考もなくて、

 

 

 

ただ一つだけ。しゅー、と出てくる、

 

 

 

「消えたい」

 

 

 

 

 

 

 

「消えたい」なんて、13年ぶり。

 

 

 

「底」についた後の、上がりはじめが一番の命の危険、っていうのはこういうことなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

幸い、「消えたい」って気持ちがわいてきたときに、

「あ、これはやべー思考だ」って気づける時があって。

 

 

 

そんでもその気づきだけじゃ到底逸らせないなって思って、

包丁とか、車のカギとか。

 

 

 

そういったものを出来るだけ自分から遠ざけて、

家の中で一番物が置いていない洗濯場で一晩しのぎました。

 

 

 

気づけるくらいの衝動で良かった、実行ー完遂ができなくて良かったです。

 

 

 

それでもその夜はかなり、かなりキツかったです。頭が狂いそうでした。

 

 

 

 

 

 

 

久方ぶりで、、、

この感情がこの状況だっても、20代の時ほど自分が追い込まれている感覚が無かったから。

また自分に湧いてきたことに、すごく驚きました。

 

 

 

(ちなみにその時旦那さんは私が「うちらのことで母ともめた」や、確か「辛くなってきた、しんどい」とか「消えてい」も言うたと思うけれどタラー鬼スルーして寝室で娘とグーグー寝ました、あいつ〇ロスニヤ

 

 

 

 

 

 

 

このエピソードから言いたかったのは。

 

 

 

「消えたい」出ました~ゲラゲラ

って、報告ではありませんねー

 

 

 

私にとって夫、パートナーとのことで揉めるよりも、

実家の家族、親、母親と揉めることがはるかに嫌で、辛いことなんだ、ということです。

 

 

 

親、特に母親とのつながりって、

ものすごく大きなもんなんだな、と30過ぎてようやく気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

話は変わって。

昨年秋よりもずっと前のこと。

 

 

 

娘に私が何かして欲しかったとき、

でも、なかなか娘がとりかからなかったとき。

 

 

 

「早くやらないと○○(娘の名)のこと嫌いになっちゃうよ~ぶー

と、言いました。

 

 

 

その途端、

娘はこの世の終わりのように、わんわん激しく泣き始めました。

見たことない号泣でした。

 

 

 

普段こういった言い方を私はしません。

旦那さんはしてました。

 

 

 

でも、この日初めて、

気をつけていたのに、何となく言ってしまいました。

 

 

 

娘は、たまたま機嫌がよろしくなくてちょっとしたことでもワーってなるタイミングだったかもしれません。

 

 

 

それでも、

この言い方を娘に私が言うのは最初で最後だと思いました。

 

 

 

もう二度と言うまいと思いました、反省でした。

 

 

 

子にとって、どれだけ親って大きな存在なのか。

小さい頃なんて特にそう。

 

 

 

1人の人間の親としての責任と、

自分次第でこの子がどうにかなるかもしれない恐怖を感じた出来事でした。

 

 

 

(そういえば「自分達次第で、、、な恐怖」を感じたのは娘が乳幼児の頃以来ですくちびる

 

娘高熱で寝込んでる時、

旦那さんが、娘に食事や水分摂らせなきゃアセアセと思ったのか?寝てる娘の口をこじ開けてラムネや水を注いだ時おねがい

 

ヤー、、、ぼけー

あれはホントに怖かった、身の毛がよだったおばけくん気づいて良かった。)

 

 

 

 

 

 

 

昨年秋頃の実母とのこと、

その前の娘とのこと、他にも。

自分の中で一つの線につながっていってます。

 

 

 

親の心、子知らず

 

 

 

って言葉があるように、

今だに私が気づいていない母の想う気持ちとか、ほどこしてきたことがひょっとしたらある、、、かもタラー(イヤ、ないかもねー)しれない。

 

 

 

それと同じで自分的にほどこしてきたとしても、いつか娘に、

「お母さん、あの時私はこういう気持ちで嫌だったよおーっ!

って言われたり、

 

 

 

もう会話すら、連絡すら拒否られることがあるやもしれませんねー

 

 

 

女の子は母親に厳しい、シビアって言うし。。。

 

 

 

良かれ良かれとした振る舞いは受け入れられるべきかって言ったら、そうではない。

それこそ親のエゴで、親の勝手で。

 

 

 

子知らず、でいいだろし、

子が死ぬまで気づかないこともあるだろう。

 

 

 

当時実は娘が欲しいこととは違うことだっても、この先いくつもあると思う。

 

 

 

(実母を否定してるわけでもない、

実母が施してくれたことで乗り越えてこれたものはちゃんとある。

 

ただ最近、

実母は私が思ってたより、全く私のこと分かってなかったんだなと気づいたり、愕然とすることがあったり。

 

実家では当たり前なことや、子どもながらに私がしてきた振る舞いが、よそさんではそうではなかったことが分かって。

 

その当たり前が実は良くないことだった、てことにいまさら気づいたり。

 

子どもながらの振る舞いが、子どもがしなくていいことだったんだな、無理してたんだなってことに気づいたり。

 

だけども昔も今も変わらない母のスタンスがうったえてもうったえても、変わらない。

 

それに対して、私もいい年こいて腹が立ってくることがある。

 

ある、、、けどね笑い泣き

 

 

 

 

 

 

 

それでも、

私は私で、今の娘に対して保護者の責任?責務?うーん、かたいなアセアセ

 

 

 

一生懸命、子に寄り添って果たしていけたらなと思います。

 

 

 

娘のことでも時々途方に暮れる時もある、、、けどね笑い泣き

 

 

 

 

 

 

ヤー真面目な話しちゃったアセアセクセードクロ

 

 

 

寝かしの部、入りますグーハッ

行ってきます!

 

 

 

また更新します流れ星

 

 

 

ではではではくちびる