おはようございます、ハナです
なんでかふと思い出したお話です。
私が高校生の時の部活のお話です。
私は、団体競技をする部に所属をしていました。
練習の合間や終わった後、監督を取り囲んで話を聞く時がありました。
ある時監督が、
その、取り囲んで話を聞く際に。
「ハナは、こう、心電図にたとえると、、、
死んでるみたいな、ピーって。一定だよな、変わらない。
悪い時もなけりゃ、良い時もない」
で、その後は、
「逆に○○(別のチームメイト)は、心電図が上へ下へだよな、激しいよな。
ムラがあるよな、良い時はすごくいいし、気が乗らないときは箸にも棒にも掛からない。」
と、言われました。
んなことを、すっごく唐突に
先日なぜか思い出しました。
今振り返ってみると
この監督、ひっどいこと言ってんなぁ~って思うし。
(死んでるて言うな、クソめもっといい言い方あるだろ、って)
この人が言うてたことを思い出して、
今自分が嫌な気持ちになることはないし。
この監督について、まともにとらえなくていい。
深く考えなくていいって思うけれど。
その高校生の時のワタクシ、ハナは。
「そうか、私は『死んでる』のか~」
「いいとこないのか~」
って、
まともにとらえてしまったし、
文言の一部にフォーカスしちゃって、
『否定的』と、嫌な文言にとらえちゃって。
確か、当時も自分で自分を励ましてはいた気もするけれど。
なんかなんか、落ち込んで。
嫌ーな思い出として、しっかりと胸に残った。
私が高校生だった当時は。
他のチームの監督が選手に手をあげることもまだあった。
自分達の監督も私たちが入学する数年前まで、竹刀を標準装備していたという
(自分たちの代で覚えてるのは、
監督が怒って、ではないけれど監督も周りもふざけた調子で、コーヒーのせるお盆で軽くボカンがあったくらいかと。
「くらい」とも言っちゃいけないかもだけどね。)
それと併せて。
私は監督からも、親からも、常々、
「しっかりしろ」
「自信をもて」
「悔しかったら、頑張れよ」
と、言った文言をよく言われてた(ということは、私は周りからみたら頼りなく見えたんかな分からん)ので。
当時の私は「死んでる」発言に内心モヤっとしていたんだけど、
「そんなことにクヨクヨしていてはならない強く強くあらねば」
みたいなことを自分で自分に言い聞かせてたし、
モヤっとしたことを周りの子にも言わなかった、言えなかった
あとは、
「(ハナは)死んだ人の心電図みたいに一定」ってのを、
「なんも特徴も、取り柄もない奴」
みたいな、マイナスにとらえていて。
私の後にたとえられた、
「心電図が上下はげしいみたいな子」が、
「取り柄あるヤツ、光るものがあるヤツ」みたいにとらえていて。
「(その子が)羨ましい。取り柄があるのはスゴイ子」や、
「コレってものが無い、自分はアカン子」っていう価値観?みたいなもんが、より強固になったのもこの時期かもしんない。
そんな高校生の私を思い出しつつも。
今思うのは、
どんな時でも一定、
それってめっちゃいいじゃん
抜群の安定力ってことじゃないか
ドラクエのパーティで言ったら、絶対居て欲しい人だよね
死んでねーし、生きてるしー
なんて、思う
やっと今になって、心から思える。
そんな、
ふと過去を思い出して、それについて考えたお話
次生まれ変わった時、また人間が出来るとして
そこがわりと豊かな国で「部活」って制度があって、自分がそれに参加できるならば
速記部とか、
手話部とか、
バレー部とか、乗馬部とか。
お米や果物や野菜とかの品種改良部とか、
なんでもござれな校内・地域ボランティア部とか、
いっそ、放課後に拘束されない帰宅部とか
そういうのやりたいなぁ~、なんて想像する。
まだ人生の終盤でないのに、(そうであって欲しい)んなことに思いを巡らしてみる。
ちょっと、楽しい
また更新します
ではでは