父のいない世界 | 負けるが勝ち犬

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40歳を前に突然会社を辞めてしまった女、独身。しかし、ここからが真骨頂の「リアルタイムサクセスストーリー!」…勤労意欲をなくすこと1年10カ月。のち、不惑にして東京デビューの荒技に出るも、2年後の春にリストラに!またまた崖っぷち~!

1月20日、大寒の日の夕方、父の入院先から電話があった。

担当医ではなく、当直の先生からで、父の容体が大変よろしくないとのことを告げられた。

実際の数値とか出して説明されたのだが、そんなのよくわからんので

 

「それは危篤状態ということでしょうか?」と、聞いたら

「そう考えていただいてよろしいかと思います」と。

 

では、明日朝いちばんでそちらに向かいます。と、告げたら

それまでは持ちこたえないと思われます。と…

 

そして

大変緊急なことなので、県内在住の姪っ子さん(父からみたら孫)に連絡させていただきたいのですが、と先生。

なにやら、死亡確認に立ち会ってもらう必要があるらしかった。

 

しかし、よくよく問いただしたら、じつはもうすでに「死亡している状態と思っていただいてよいかと思います」と、先生。

 

え、そんなことって・・・

先生が目を離したすきに亡くなってしまったのか

もしかしたら

コロナ禍、県外の人たちがドヤドヤ院内にかけつけられるのを危惧してのことだったのか

よくはわからないが、今となっては しかたのないことである。

 

もっとも、自分は親元遠く離れて暮らしている身の上ゆえ、親の死に目には立ち会えないと覚悟はしていた。

それに、このご時世、親元近くにいても死に目に会えない人はたくさんいるのだろう・・・

だから、このことについては生前からすでにあきらめはついていた。

 

はたと、死亡確認がとれた後はどうしたらいいのか?という疑問わく。

で、先生に、移送先とかの手配をしたほうがよいものでしょうか?と、聞いた。

先生は言いづらそうに、「はい。準備されていたほうがいいと思います」とおっさった。

 

で、電話を終えたあと、すぐに葬儀屋さんに連絡して移送とセレモニーホール(遺族も宿泊できるタイプ)をおさえることにした。

が、死亡が確認されないと予約は入れられないと、葬儀屋さんに言われる。そりゃそうだな・・・

で、仮予約とさせていただいた。

 

一方

兄にはなかなか連絡がつかなかったが、姪っ子ちゃんにはすぐに連絡がついたて、彼女はすぐに病院に向かってくれた。

ホント最後の最後まで、姪っ子ちゃんにはお世話になりっぱなしだ。

 

母にも連絡しなければならなかったのだが、どう伝えてよいかわからぬまま、とりあえず いとこにLINEしたら、「早く(かーちゃんに)連絡しないと!」って返信があって、そうだよなと、ハッと我に返る。

 

そのときはまだ死亡確認をしていない状況だったので、危篤であると、明日まではもたないだろうと、父のことを告げた。

それと、本家にも連絡をしないとダメだよね、ということで、母ともども、オラも本家に連絡を入れたのだった。

 

母はその後(夜中)、本家のおやじさんとその息子さんと共に、父が移送されたセレモニーホールへ向かうことになる。

 

兄とも夜遅くに連絡がとれ、兄夫婦は夜どおし運転して夜中2時頃にセレモニーホールに到着した。

オラは翌日の飛行機で夫とともに帰省。

 

葬儀等々の打ち合わせが午前中からあるということだったが、オラは間に合わないため、兄夫婦と本家のおやじさんに全部託すことに。

 

生きている間のことはオラががんばったが、ここからはバトンタッチという感じで (オラ達がセレモニーホールに到着した頃には)兄夫婦が中心となってがんばってくれてて、すでに着々と準備が整えられ、今後のスケジュールも整っていた。

 

コロナ禍、兄夫婦、姪っ子ちゃんはもとより、甥っ子ちゃんとは数年ぶりの再会となり、父死亡の悲壮感がものすごく和らいだ。

不謹慎かもだが、なんだか数年来の団らんのひとときが楽しい宴の席のようでもあり

こんなことでもなければ、このような時間は絶対に持てなかっただろうなと思うと、亡き父の粋な計らいのようにも思えた。

 

 

生きている間、現実的な介護というのはなにもしていないわけだが、あれこれ介護保険のことについて知り、本人に一番最適なサービスを探したり、利用手続きしたり、衣類やら必要な品々を連絡あるたび買い物して送付したり、時には駆けつけたり、月一でオンラインで面会したり、煩雑なことだったり、緊急な対応だったり、オラとしてはできる限りのことはやった、という感じだ。

 

また

常に、ケータイに連絡があるたび

父に万が一のことがあったのでは!と、不安を抱えてずっと過ごしてきたのだが、やっとその不安から解放されると思うと正直ホッとした。

 

よく

あの時こうしたらよかった。

ああしてあげたらよかった。

と、(死亡後)後悔するという話を聞いていたが、不思議とそれはまったく無かった。


甘い!と言われるかもしれないが、オラとしてはやれることはやった。後悔はない、という感じ。

悲壮感がないのは、そのせいもあるのだと思う。

 

そして、そう思えるだけ長きに渡り、最後の最後までがんばって粘り強くしぶとく生き抜いてくれた父に感謝の思いでいっぱいだ。