#卒業式の思い出
コロナ禍となり、戦後初めての選抜甲子園中止、インターハイ中止。確か、修学旅行も、なくなったところもあったのではなかったか。最後の活躍の場を絶たれ、思い出の機会を奪われ、絶望の淵に追いやられた生徒達。当時、高校最後の晴れ舞台を絶たれた2020年度高校3年生。まさしく、長女は当時の高校3年生。ただ、我が家では、そんな絶望を感じることはなかった。ないならないでいい、何なら、部活なくってよかったと言ったところ。そこまで心底熱い情熱の取り組みではなかったようだ。あの頃、学校の行事は、ことごとく延期や、変更を余儀なくされていた。なんとか企画された代替え行事の案内も、長女達は、そこやったら行くのやめよかなーと言った気ままな感じ。世の悲壮感とは対照的に、自分達のペースで、自分たちなりの高校生活を謳歌していた。その長女の高校卒業式。活躍の場を、思い出の機会をと、奔走し、変更に変更を重ね、結局機会を作れなかった行事もあった・・・・・父兄への挨拶で、いろいろ叶わなかったけど、卒業生達は自信を持って送り出せると言う学年主任の先生。そんな先生の立場から、ただ、別れを惜しむだけではない、コロナに翻弄され、教師としての無念を強く滲ませた学年主任の先生の涙は印象深い。親として、そうして何とか高校生活の充実を実現させようとする先生の元、子供が高校3年生の時間を過ごせた事、機会を失ったことなんかより、先生方が、生徒達のために奔走した姿から、自分達への先生方の姿勢を、彼等は感じ入ったはずだ。その時は特に意識しなくとも、いつかそんな時もあったと、振り返る日もあるんじゃないだろうか。深く感謝している。そして、先日の次女卒業式。1年2年と担任して頂いた先生は、学校を辞めたか代わったか、3年時に学校に在籍はなかった。生徒や父兄と折り合いが合わず、先生も、メンタルがやられたんじゃないかと思う。ひとつひとつ、いい加減にせず、一生懸命関わった下さったと思う。やっぱり、一生懸命な先生ほど、潰れやすくもあるんだろうか。次女の不登校騒動でも、多々先生とは直接やり取りを重ね、ともに次女の今を考えた。その先生と、ともに卒業を祝えないのは寂しい。ただ、卒業式では、隣席し、卒業を見届ける先生の姿があった。お礼が言いたかったけど、機会が取れなかったのが残念。卒業の別れの涙と共に、惜別する先生方側の思いを、想像に巡らし、思いを馳せたい。