今一つの子育て
今一つだった、子育ての時間。「それ、どうなんですかねぇ」反発し、意見し、自分達が上に立つよう、自分達より他が目立たぬよう、事の進行にケチをつけ、その立場を露骨に潰していく。背中の後ろで、ヒソヒソこそこそ。「●●さんなぁ・・・○△×」言葉尻は聞こえないが、自分の名前だけは、耳につく。知らないところで、お気に入りを集めてその母体を肥やしていく集い。自分は呼ばれることはない。「なんか、地区のみんなで、親子そろってご飯食べたりしてるんやて」「俺も行きたい言うたら、お母さんどうし、仲良くないから駄目なんやて」我が子が言う。地区のかなりのメンバーで集うようだが、そこに寄ることはない。学年や活動が同じでない人達が、仲良さそうにやっている。やたらにお互いを知っている。その集いの存在を私の前では、口にしないが、 そんな不自然が、その集いの存在を突き付ける。ずっとずっと、不安に、我が子を不憫に、感じてきた。同じ地区で集うなら、みんなに声かけしようという、気遣いはない。そんな、関心を持たれない立ち位置で、例え、集いへの参加の機会に恵まれたとしても、居心地のいいものではないだろう。この地域は、囲い込みが激しい。ずっと、不安だった。孤独だった。誰が味方で敵なのか。気さくな感じで好感を持つ付き合いだと思えても、結局は、そんな集いへの話題の提供のネタを探されているかのような雰囲気もある。この地での子育てには、もう、期待しない。あてにしない。もうすぐ、我が家としては、最後の中学卒業を迎える。ただ、そんな殺伐とした思いの私に、温かく接し、気遣いをしてくれた、他地区のママさん。義務教育最後の数年を、習い事を通して関わることができた。細やかな、温もりの時間。いつも、向こうから、手を振り、笑顔を見せる。こんな私やのに……いつも、ありがとう