18才の春、桜咲く。希望と未来への期待を胸に、家を離れ、寮生活。大学や社会人を経て入学した新入生、子育て中の主婦までいる。今までとは違う、多彩な仲間との療法士への道。私の明るい未来への一歩を踏み出したはずだった。50を過ぎた今、私は………
就活中大学3年生長男。はっきりここが1番というのは定ってないが、志望度高いIT企業早期選考に向け、成績証明と履歴書を提出予定。母は、封書前の履歴書を覗いてみる。写真添付・氏名・生年月日・住所・学歴、、、、折り返しを裏返してみると、、、、何じゃコラ、、、、せっかく取った基本情報処理技術者資格や、趣味として取った中国語検定資格、高校時代に取った数検、何にも書いてないじゃない‼️‼️‼️‼️😭😭😭😭😭一体何をアピールできると言うんだ‼️‼️‼️😤😤😤😤😤大学のキャリアセンターなり、誰かのアドバイスを受けろと言っても聞く耳持たず。あの子は、一体誰の子なん、、、、ほんとに💦💦💦💦💦😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨
当時車で6〜7時間かかった両親の故郷。両親とも、きょうだいの中で、唯一郷里を離れている。「 おばあちゃんとこ行くの、後3日 」などと、指折り数えて両親の故郷への里帰りの日を待ちわびた子供時代。秋には、その田舎から箱いっぱいの柿が届く。柿は、私の好物だ。学校中退が影を落とし、高校卒業後は、結婚して両親に連れられるまで、一斎足を運ばず。その後も、両親の故郷とは、事実上の断絶状態と言っていいかも知れない。誰も来るなと言う訳じゃない。自ら行かないだけ。音信不通とも言える、そんな時間が、かれこれ30年を超えた。叔父叔母いとこと、年々訃報が続き、代も変わった。今や、今さら行けないとも言える。疎遠にしつつも両親の故郷への想い。ありし日の祖母の記憶。大きな松の木の並ぶ家。母の祖父が植えたという大きな柿の木。「 よお来たなあ、、、、、さあ、あがあだわ(家にあがりなさい) 」と、家族総出で出迎え、帰る日も家族総出で送ってもらった。愛想ないこの身でも、両親の故郷への想いは消えない。この秋も実家にまた、箱いっぱいの柿が届いた。甘くて美味しい柿を食べながら、子供時代を思い出しつつ、両親の故郷の温もりに包まれた今。
通勤圏内IT企業の早期選考を受ける大学3年生長男。就活真っ最中。既に適性検査は済ませている。成績証明・履歴書を送るようにと連絡あり。母もしかして、適性検査の出来が良かったんじゃない?長男も、自信満々だったし、、、採用を検討してもらえそうとか?😊😊😊😊🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶🎶大して細かい先方の事情などつゆ知らずの母は、期待値満々その裏で、履歴書の購入先は?書き方は?郵便局には、いつ出すん?と、神経すり減らす長男。20歳過ぎてもなお、社会性はまだまだこれから身につけていかなければ、、、上手くいってもいかなくても、全ては、何でも経験だ‼️‼️‼️今さらながらであるかも知れないが、ほんの些細な事でも、経験を重ねていってほしい。少しずつでも、大人の男になりなさい‼️‼️‼️
大学はない、バイトもない、就活もない、、、予定のない日も多々ある情報系大学3年生長男。母はまた、地元大手企業のインターンシップ応募を促す。今回は、IT企業ではない。母からLINEに送られたサイトから申し込みを試みる長男。ゆっくり読む事もなく、機会的な登録作業氏名、住所、生年月日、在籍大学、学部、、、、、超高速な手さばきで、スマホに打ち込む長男。今後の予定を見ると、志望動機など、細々提出必要。あー、めんど‼️やーめた‼️‼️‼️‼️超高速に、申し込みは辞めた長男。就活で何十社も受けるとか、どこかで聞いたよな、、、みんな、そんな感じなの?????母の格闘は続く・・・・・・・
個別企業に応募機会がそう多くない、大学3年生長男。個別企業応募については、2時間程度の説明会や、半日程度のインターンシップ参加が、いくつかあったくらい。合同会社説明会は、何度も足を運んできた。いろいろ広く見聞きする機会も大事。だけど最終的には、どこかには決まらないといけないという意味では、個別企業にもっと応募すべきでは?事前に会社の吟味をして選んで応募するとなると、個別企業への応募は少なくなってしまう。こちらが選んでも、会社は選んでくれるかわからない。夏前から就活してきた長男だから、もうそろそろ、個別の応募を多くしていけばと思う。多数選考を受け、受かった中から選んだらいいのではと思う。どのタイミングで選ぶかではないだろうか個別企業のアプローチに大きく関わるこの母。長男本人より、母の方が、個別企業への理解が深いように思う。情報系学部の長男に合う就活をと、母は必死。本当は、本人が熱量を持って取り組んで欲しいが、「膨大な中から知り選ぶ」のは、極めて苦手な長男だから仕方ないか、、、新卒カードが使えるのは今しかない。本人任せでは、絶対機会を逃すから、やはり母の検索がものを言う。
就活中大学3年生長男。母の勧めで、電車で40分ほどのIT企業会社説明会に応募。希望日は、他参加者無く、説明会は中止。その代わり、個別に会社説明と、希望なら早期選考を行うとの事。今日適性検査、小論文を、早期採用に向けての選考としてオンライン上で受けた長男。夏の他企業インターンシップ適性検査に続き、今回も手応えがあったよう。大学選び、学科選び、会社選び、膨大にある中から選ぶとか決めるとか、いまいちな長男。面倒臭がりな性分。かなり、この母の探索行動に助けられている。自分でも、合同説明会に足を運び、就活を進めているが、その説明会も、日々送られてくる郵便物から、母が急かして、申し込みさせたものだったりする。長男本人によるものもあるが、かなり母が主導して、時に個別の企業に直接インターンシップ、会社説明会、オープンカンパニー申し込みへと導いている。社会に出る前段階として、就活生としてのこの貴重な時間を、是非有意義に過ごしてほしい。是非、様々な世界の入り口に触れてみるがいい。今しかないこの時間。長男の就活の時間。緊張しつつも、就活を楽しむ側面も見せる長男。
子供が減った年寄りが増えたいつも買い出しに行くスーパーの景色も、客の年齢層が高くなっている。そして数年で子供達が自立していく自分も、老いに向かっている。いつも通る道路の脇の歩道には、割れ目から雑草が生い茂っている。公園も、こんなに乱雑に生い茂った木々だったんだろうかーそう思う日常が長く続いた後、ようやく剪定され、綺麗になった公園。人手不足から起こる事なのだろうか、、、明らかに、今まで当たり前だった日常は、少しずつ崩れていっている。知らず知らずのうちに、日常の平和が脅かされている。少子高齢化を、実感せずに居られない。両親の老い、老いに向かう自身。病院は、この物価高の中、診療報酬変わらず、経営的にも疲弊している。高齢化社会なのに、いったいこの国は、大丈夫なんだろうか。中高校生だった頃の日本は、世界最強だった。高度経済成長を遂げ、経済大国となった。日本が活気立つ時代に青春時代を送った。あの時気付かなかった、当たり前の安心は、何処か崩れつつあるように思えてならない。
私は、人より出来なきゃいけないですか?私は、あなたを喜ばせなきゃいけないですか?私は甘えたらダメなんですか?・・・・・・娘から母への、問いの沼地私を、あなたの生きがいにはしないで
『私の心の拠り所』あと何日と、行く時を指折り数えて楽しみにしていた両親の故郷そこに居た、祖父母 叔父叔母 従兄弟同じ寮生活をしながら同じ学舎で友に励んだ仲間私には大事にしていきたい仲間だった同じ家で一緒に育った我がきょうだいたった1人のきょうだいやっと再会は果たしたが、どう付き合って良いのか戸惑っている3人の我が子は、すでに大きくなった我がきょうだいである叔父との交流を知らず今に至る疎遠にしてきた月日の長さは、きょうだいの縁の復活に影を落とす私は大事にしたいものを、ことごとく手放してきた。夫婦関係にも疑問を抱えつつも、気付けば子供たちは大きくなった。末っ子はもう大学生だ。旦那に不満だとか言いつつも、子供達との何気ない日常は、ささやかな私の幸せ。長男の就活、その後の次女就活、あるかどうかはわからないが子供達の結婚や子育て、子供達の義実家との付き合い子供達の幸せの応援を、地味なりに、ささやかながらしていくのが私の幸せ。この幸せだけは、手放してはならないそう思うと不満たらたらの旦那もそれなりに大事にしないといけない子供達が帰ってくる場所この家は、子供達の心の拠り所n
待ち針をして放置してから1年半。やっと、ミシンを出してパンツの裾上げに取り掛かる。だが、、、家事力ゼロ直さず、知らんぷりして履いてやる‼️
昨日も、企業合同説明会に足を運んだ大学3年生長男。自宅から1時間半の都会。気になる企業にも巡り会えた模様。多々の企業を見て行く中で、自分なりの方向性も見出しつつある。IT系志望の長男には、地方より、やはり都会の方が、志望対象になり得る企業も多い。ずっと地方での、大学周辺地域中心の活動だったのが、他地域でも説明会参加をするようになってきた。これはどうだ、あれはどうだと、情報収集し、機会の提供は母中心。「もっと自分から見つけんかい😡😡」と、内心、長男には文句たらたらの母。いや、内心ではなく、ちょいちょい文句も溢れ出ている母。胸内に留め切れない母。もっと自立を求めはしたいが、それでも、母が背中を押す事で、就活もぼちぼち進めて行けている。今日も明日も就活に熱い訳ではないが、それでも、今だからこその、数々の企業との触れ合い。合同説明会に足を運びつつも、インターンシップ等で、具体的に個々の企業と関わり、体験を重ね、見識を深めていってほしい。その先の選考に、より良く繋げていける事を願う。長男に幸あれ‼️‼️‼️‼️
就活中の大学3年生長男。大学4年時の研究室選びで、夏は大学に何度か足を運ぶ。希望者が多ければ成績順に決まるとか。第1希望から第20希望までだったか、提出し、いざ研究室配属決定‼️そこそこ学内では成績いい長男。配属先は、第8希望だとか。周りは、第1希望とか第2希望とかで決まっていたりするようで、、、夏に研究室に足を運び、希望した研究室の先生から一言。「君、うちの研究室に希望出してなかったね」ネットでの希望提出。どうやら、最後の送信手続きに不備でもあったのか、研究室希望の提出が、出来ていなかった模様。どうせ、テキパキ スクロール、スクロール、、、で、最後の送信でも出来てなかったんじゃないだろうか。なんか、希望の提出が出来てなかったみたい、、、でもまあ、それなりなとこだから、まあいいか、、、、と言う長男に怒り浸透の母。「 まあいいわけないやろ❗️結果良かったから良いとか悪いとか、そう言うもんじゃないやろ‼️ 大事な事やんか‼️‼️‼️ 大事やからこそ、手間をかけ、時間をかけ、一つ一つじっくり確認しながらやって行くもんやろ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️」長男には、心配尽きず。
朝着替えよう、、、あっ、、、、眼鏡ない‼️どこどこ👀洗濯物干そう、、、あっ、、、、眼鏡ない‼️どこどこ👀出かけよう、、ゴソゴソ、、さあ、行って来ます❗️、、、あっ、、眼鏡ない‼️どこどこ👀下校中の小学生とかち合わないように歩きたい、、さあ、行くぞ‼️、、、あっ、、、、眼鏡ない‼️どこどこ👀フレームが目立たないものを好む私。その辺に置いただけでも、景色に溶け込んでわからない🤔🤔🤔ないと思ったら、頭にかけてた事も、、、、私の人生の無駄遣い。急ぎたい時ほど、じれったい‼️‼️‼️‼️
なんの交流も無い。大人の付き合いを知らない。身内ですら、疎遠にしてしまったこの身。その時その時、私なりの主張があった。今にして思えば、そうじゃなかったら、今頃ああ良かったとか思う事も度々。それでも、決してそれらを後悔だとは思わない。思ってはならない。私が決めた事。私が選んだ事。私の歩む道。
大人は全て正しいと、疑わなかった子供時代。優しい気遣いをしてくれてた友達が、何のきっかけもなく、突然冷たくなった。うちに帰ってお母さんに、その事を話したら、いつも落ち着いて諭してくれてたお母さんが、急に独り言でぶつぶつ怒り出した。そして確か、何やあの子は!って、もう一緒に遊ぶなと言ったか、覚えてはいないが、そんなテンションでムキになり、いつもと全く違う母の反応に、子供心に戸惑い、気を使った覚えがある。あの日から、私は母に、自分の事が言えなくなった。言えるのは、人より出来たって自慢話だけ。あの日から、私は母に、相談事は出来なくなった。今でも、母が喜ぶ話はしても、自分の悩みや困り事は言えないでいる。今ならわかる。あの時あの子が、私に急に冷たくなったのは、私のせいじゃない。お母さん達ママ友関係のこじれから、子供が影響受けたもの。あの子の私への個人攻撃は、しばらく続いた。そして、あの子と仲良くなる事はもう無かった。その事は、その後の私の人生に影を落としている。誰かがしているヒソヒソ話は、全て私の悪口と思って、居たたまれなくなる。あの時も今も変わらない。
脳血管系不安を抱える夫ただ、薬を飲み、いつもと変わらない日常ではある。何かあって、大きなダメージでもあれば、この何気ない日常という、ありふれた幸せも、同じには続かない。夫メインの家計。扶養範囲内収入の私。子供達も大きくなった。長女はすでに家を離れている。就活中の長男は、家を離れての就職を希望している。母としても、一度くらいはそんな経験をしてもいいのではと言っている。次女はまだ、就職について具体的な考えはないようだが、地元で就職とは考えないように思う。3きょうだいが、みんな学業を終えたら、もしかしたら夫婦2人の生活になってもおかしくは無い・・・・むしろその可能性の方が高いと思う。高齢の両親健康不安を抱える夫これから歳を重ねていく私達夫婦10年後の未来は、この家に私ひとりぼっちという事も、あり得るのではないか。関係に疑問を感じる夫婦だとは言え、ひとりぼっちの未来は、あまりに寂しすぎる・・・・・でも、あながちあってもおかしくない未来。お出かけもない、会話もないと不満の対象である夫や、散らかし放題の子供達。それでも、彼らの存在が無くなるとなると、それはそれで悲しい。あって欲しくないけど、あるかも知れない未来。ずっと前から自宅でこじんまりでいいから教室を開きたく思っている。子供達みんなが独り立ちしたら、、、と思ってきたが、もしかして機会を逸する未来も無きにしもあらず。
一人暮らしで看護師として日々奮闘する長女。いつも、帰省は突然。「 もしかして明日かあさって帰るかも 」いつもの如く、突然帰ってきた。今回は、残業した仕事終わりすぐの帰省。「 お母さん、ちょっと聞いて聞いてー 」いつもの長女の常套句。処置に痛がる患者の脇で、他の患者に、まるで虐待だと言われてムカついたとか、、、うちにいる他のきょうだいと一緒に、「 お腹お腹〜 」と、この母のふくよかな腹を触りまくる。きょうだいで、ちょっとしたゴロゴロ寝る場所争いや、ちょっとした、それ取って、それ作って争い、、、昨日は、長女と一緒にテレビを見てゲラゲラ笑った。長女の帰省は、専門学校の友との再会以外は、家でゴロゴロ。愚痴りに帰ってくると言うか、母をおちょくりに帰ってくると言うか、、、、こんな何気ない幸せが、いつまでも続くことを、心から願う。
あの時の仲間を遠ざけ両親の故郷を遠ざけ挙げ句、兄弟を遠ざけ、、、、「よお来た、よお来た 」と私達一家を、家族総出で迎えてくれた両親の故郷ーーそれは、私の第2の故郷とも言える。指折り数えて両親の郷里に向かう日を楽しみにしていた幼き自分。そして、未だ想いを馳せ続ける自分。同じ教室で、同じ寮で泣き笑い集ったかつての仲間。必死の中身は間違っていたのだろうが、それでも、同じ仲間の一員であり続けるべく、必死にもがいた若き日の私。こんな私を、生活を共にし見守ってきた親兄弟。私は、その時その時、自身の周辺にあった大事にしたいもの、大事にしたかったものを、ことごとく粗末にしてきたのではないか。相手も粗末にしたが、そもそも、その時のあの時の、その時々の自分自身を余りに粗末にしている。自分の生きてきた道に、泥を塗っているかのような。そんな思いに駆られる時間は、どこまでも切なく悲しい思いの真っ只中。
自分で出来るように自分から関われるように・・・・・あなたのその手は、私の未来を奪う。可愛がるというよりは、自身の拠り所として、毎日かと言うように、顔を見せて来た我が母。人と比べ、頼らせなかった母。いくらかは頼らせてくれていても、ある程度以上は線を引いた。母自身の意地張りに振り回されたこの身。独身時代に貯めた私のへそくりさえ、思うように使わせてくれなかった。私は今も、甘える先を探し続けている。
見守られる愛情励まされる愛情過ちを許し受け入れる愛情人と比べない愛情共に行動し、教育する愛情共に行動し、感動を共有する愛情50代半ばにして、未だ求める母親像。理想とは違い、自慢話で母に褒めてもらいたい、母の愛情を未だまさぐる、おばさんになりし子供。我は未だ、母を欲す。