18才の春、桜咲く。希望と未来への期待を胸に、家を離れ、寮生活。大学や社会人を経て入学した新入生、子育て中の主婦までいる。今までとは違う、多彩な仲間との療法士への道。私の明るい未来への一歩を踏み出したはずだった。50を過ぎた今、私は………
甲子園の夢を息子に託すとか言って、世の中には、若かりし日の思いを、ずっと持ち続ける人も居る。もしかしたら、そんな秘めた思いを持つ人って、いっぱい居るんじゃないんだろうか。私もその一人。『希望の終わり、最後に降り立つその駅』春は桜咲く、単線にある無人駅。上り側真っ直ぐの線路向こうは、南側にカーブする。下り側は、その向こうのトンネルまで、真っ直ぐ延びていて、そのずっと先にあるのは、…ameblo.jp時間にゆとりを持てば持つほど、思いを巡らせる。今となっては、学歴も経歴も大して誇れるものはない。知る人ぞ知る、ちょっとした凄い学歴を手に入れ損ねた私。正確には、学歴がすごいんじゃない。それなりに難関の受験を経て、入学した学校だった。高校時代の私の頑張りの結晶とも言えたはずだった。寝食共にした仲間。共に笑い励まし合った仲間。私の青春。あれから顔を見せる事は出来なかった。やっぱり出来なかった。それでも、私には宝の時間。同期の仲間と、今でも思っている。
『やったぜ内定ゲット‼️‼️‼️』6月から就活を始めている大学3年生長男。通勤圏内IT企業11月平日オープンカンパニーに応募した。大学のテストシーズンと重なったのか、他の参加者はなく、希…ameblo.jp内定連絡後、早速「 内定承諾書 」が送付があった。今月末までに提出しなければならないが、都合で〆切期日の変更を申し出る事もできる。大学3年生長男就活終了と思われたが、友達に誘われたからと、他IT企業も検討する模様。在学県内No1 IT企業の本選考案内もきている。内定企業より、基本給は3万以上高い。夏インターンシップは、適性検査は通るもWeb面接で選考落ちだった。選考を受けた同じ大学の友の中では、適性検査通過は長男のみ。母は周辺では1推しIT企業。でも、別企業の内定が取れた事で、長男の関心は全くなくなった。まあ、内定企業は大企業ではないが、基本給は、そう悪くもないといったところ。今回、誘われて検討しようとする会社は、内定企業より基本給は3万落ちる。どっちの会社がどういいとかわからないが、内定企業は、①自宅から通勤可②基本給はこっちの方が良いである事から、誘われた会社は、母としては、あまりお勧めでない。母の思惑も交差するとは言え、長男の選択だ。どう転んでも、必要なことは言いつつも、最終的には、長男本人の決断に任せよう。とは言いつつも、内定企業の書類が、ずっと置き去りなのが、気になって仕方ない母、ここにあり。
仲間内でないと、私をママ友の中で蚊帳の外扱いにした長男同級生母。買い物先でバッタリ会うことがあるが、いつもお互い知らん顔。なのに最近、妙に馴れ馴れしい。わざわざ「こんにちは」と話しかけてくる。「長男元気?」「妹ちゃんはいくつになったっけ?」などと、言ってくる。前回も同じ会話。うちの子供の事など興味なし。興味ないから同じ会話なんだろう。ところが今回は、大学3年生長男の就活事情を聞いてくる。ついつい合同会社説明会があったりなどと知ってることを言うが、後になって、癪でしょうがない気持ちになる。散々意見してきたりした相手。蚊帳の外に扱われた相手。なんであんたの役になんか立たなきゃならないんだ。どこか誰かと関わりたい衝動がある私。人と付き合わないから、相手にされるとつい、調子に乗ってしまう。この同級生母は、結局私を使い捨てにするに違いない。今度なんか聞いてきたら、「 そんなん、私じゃなくても他に相談できる人くらい、いくらでもいるでしょ! 」と言って片付けてやるんだ‼️‼️😤😤😤
木曜日、看護師2年目長女帰省。仕事で母不在中は、夜勤明けで、ひたすら寝ていたよう。帰宅した母に長女は、早速いつもの「お母さん、ちょっと聞いて聞いて」攻撃。専門卒長女にとって、今年度の新卒は、同い年の後輩。同期も後輩も、所属病棟は大学卒ばかりの中、ポツンといる専門卒の長女。だが、看護師資格者同士、業務上学歴は関係ない。対等に仕事をこなしている。厳しい看護学校を卒業したからか、同い年の後輩たちが、あまりに頼りなく感じるそう。リーダーとして担当を振るも、「そんな、、、今日はもう帰れないですう💦💦💦」と嘆く後輩に、そんな言い方と怒る長女。「私先輩やで!」とおかんむり。2年目看護師は、まだ指導してはいけないというルールがあり、イライラの元でもあったりする。先輩が辞めた、後輩が休職した、来年度は新卒二人しか入ってこない、、、昨今病院はどこも経営難。人手不足もある。自分と比べてあれが出来てない、これが出来てないと、並べ立て、人を追い込んで辞めてしまったりしたら、、、、結局長女達に負担がかかる。これからどんどん、気の利かない後輩は増えていくだろう。自動化され、ネット上で人と付き合う時代には、この流れは止められない。残業続きで心身疲れを溜めるなか、後輩との摩擦も起こりやすいのかもしれない。あれやこれや聞いていたら、30分過ぎていた。長女の愚痴を聞くのも楽しみの一つとは言え、理解しながら聞き続けるのも結構疲れるものだ。きょうだいで、ギャーギャー言いながらゲームを楽しみ、祖父母にも顔を見せた長女。「明日仕事嫌やなー😮💨😮💨 熱でも出んかなあ」と、期待するも元気はつらつ。一昨日帰ったばかりの長女は、熱を出すことなく、さっきまた、戦いの地へと戻っていった。
6月から就活を始めている大学3年生長男。通勤圏内IT企業11月平日オープンカンパニーに応募した。大学のテストシーズンと重なったのか、他の参加者はなく、希望日のオープンカンパニーは中止。個別にオンラインで会社説明を受け、希望するならばと、まさかの早期選考を受けることとなった。適性検査、1次面接は無事通過。 先週金曜、いよいよ会社上層部との2次面接。それほど早く起きることもなく、呑気に構える長男に、ズボンのアイロンかけくらいしろとキツく言った。それくらいと、気にしない長男。母「ここ1番の時やからこそ、そんな細かい事も気にせなあかんやろ‼️😤😤😤😤」長男「俺だって緊張しとるんや‼️‼️ この間から落ち着かへんのやから‼️‼️なんとか落ち着こうとしとるのに、そんな事言われたら、余計緊張するやん‼️‼️」と、長男は怒鳴り散らして主張する。そんな支度時間を経て、いざ、長男、最終面接へ。電車の遅延で予定時間を遅れるも、それでも面接後すぐ、内定の連絡をもらった。長男は、何もなくともニヤニヤしそうなほど、この上なく嬉しそう。やれやれ。まあ、とりあえず、ひと安心。
思い起こせば、いじめられ人生。職場も、子育ての世界も、婚家との付き合いも、学校生活の後、なにもかも、摩擦多い人生。譲れない、頑なに変えられない、、、、マイルールに縛られ、摩擦を生みやすい、そしてコミュ障半端ない、というのが、自己分析とするところ。そんな自分に寄り添おうとしてくれた男子もいた。いいお付き合いもした。なのに結局は自分から去って行った。あれがこれがと不満を持ち、こんな自分に寄り添おうとする人を、自ら遠ざけた。結婚がチラつくと、自信のなさを背景に、それに向き合わず、その付き合いの未来を、勝手に悲観し、関係を切る、、、、、今となっては、馬鹿だと思っている。そして今に不満たらたらの自分。自身をいじめられっ子と思いつつ、その根底は、実はいじめっ子だったんじゃないかと、ふと思うこの頃。他社と比較し、下と思う人を、内では馬鹿にする、そんな両親の元で育った私は、知らず知らず、いじめっ子人格を形成していたのではないかと思っている。自身をやさしいと思い込んでいるが、実はいじめっ子の邪悪な心を秘めた自分がそこにある。だから、誰も寄りつかない人になってしまったんだ。
自信愛情友情思い出共有する時間子に寄り添う母親
しつけというものは、あまり感じなかった自身の育ち。子供だからと守られ、とは言え、点数で比較できる学業は、真横につき、時にヒステリックに関わった母。特に小学校低学年時は、周囲のママ達との関係の中で、子供の成績の良さで、よりいい気になっていた我が母。人と比較し、恥の文化の強い母に育てられた私は、母に褒めてもらいたい呪縛が解けない。子育てに協力的だったのは、第一子の就園前まで。物やお金の支援で、子供や孫の信頼を得ようとする。純粋な子供や孫への支援というよりは、上のものが下の者に施して、親という権力を強固にする、、、そんな無意識下の下心があったと思う。親は、それは純粋な娘の結婚生活への支援だと思い込んでいる。心は、物やお金では買えない。「 もう歳だから、、、 」と、遠巻きに、むやみに頼るなと促す。娘が夫の実家を疎遠にするのを、どこか面白がるというか、、、母は、結局自分が大事。「 向こうのお家とも上手くやりなさい 」みたいな事は絶対言わない。「 向こうの親を看るんか‼️ 」と毎日言われた結婚初期、子育てに追われた数年。私が姑を悪く言うのを面白がるかのような。実家が立てられていないと激怒し、夫の家を粗末に扱ってきた私。事実上の駆け落ち婚をしたきょうだいを、疎遠にした私。そして、子供達も大きくなり、末っ子でも大学3年生。まだ下2人の大学生は実家暮らしだが、就職はどうなることか、、、実家暮らしとて、大きくなればそう家には居ない。どんどん手は離れていく。気づけば、私は孤独なおばさんだ。母に反発しつつも何処かコントロールされ、それから逃れられず、ただもがいた人生。きょうだいと疎遠になったのも、母のきょうだいの結婚に強い反対があったことに起因する。我が夫の実家は事情持ちかもしれないが、大事に縁を紡いでいく人生もあったはず。今更だ。私は母の呪いから逃れられない。
高校受験では、商業から普通科へ選択を変え、市内進学校へ。高校では、1年次より卒後の進路選択について関心を持っていた。今のようにインターネットやYouTube検索などない時代。家にパソコンなどあるわけもなく、学校でもらう冊子を主な情報源に、未来の進路を考えていた。国公立は、やはり安い。まして、私立より圧倒的に1教員当たりの学生数の少なさ。経済的にも環境的にも圧倒的に国公立だ。ただ、好き嫌いが激しく、5教科勝負は絶対無理。そんな、損得勘定が、進路選択に大きく影響した、40年近く前になる16・17歳の私。今から思えば、自分なりにこれだと思った進路選択は、自分の適性とか興味関心とか、何処か置き去りにして、あたかもそれを考えて決めたと思い込んでいた。資産運用に必死な現在。データを見たりや損益計算は、そう苦ではない。計算は得意。NISAで運用しようと思えば、時に下がることもある。 上がり下がりと上手く付き合いながら、資産を増やしていく。そんなことに毎日思い巡らす日々の中、ああ、金融という職業選択もあったのではと、ふとよぎるありし日の進路選択。どちらかと言えば、損得勘定にむきになるタイプ。だったら、医療とか福祉ではない、、、高校時代の私は、学費が安いと言った 「国公立」 ブランドに引きずられた進路選択だった。当時の私にそんな認識は微塵もない。自分の興味関心適性に、向き合いきれてない進路選択。今だからわかる。
一昨年秋に、長女の住む街であったマネーセミナーに長女と共に親子参加。社会人となった長女への、お金の教育が目的だった。ただ、前から少しばかりは気になる機会はあっても、結婚前から20年余り放置し続けてきた、自身のへそくり預金。そして10年以上前だったか、満期預金の預け替えの機会に、「 お金を育てる 」と説明を受けたNISA。ちょっとは気にしても、子育ての慌ただしさと、 減るかもしれないと言うリスクには向き合えず、あっという間にその関心は掻き消されていった。時は経ち、子育ても一段落した。自身のへそくり資産へ向き合うきっかけとなったマネーセミナーだった。現在、資産運用目的の保険NISAでの資産運用をしている。年明けてまた、NISA枠が出来る。成長投資枠に、なけなしの資金を投資。今回は、昨年好調の日本の割合を増やしたいと、アメリカと日本の配分を悩み抜き、日経一色にするつもりで、銀行窓口へ。「 全部日経ですか? 」と言われると、心揺さぶられ、米:日本=2:3 くらいの割合とした。自身が持つ複数の口座の中で、日常扱う金額とは違い、大金の資金移動。資産が増える事を夢見て、ドキドキワクワク。資産運用についての情報に多く触れてきた、この1年余り。是非我が子にも、投資の習慣を身につけてほしいと考えている。
大学との関わりは、長男大学入学からの私。2つ上長女は、看護専門学校出身。私たち夫婦も、大卒では無い。長女就活は、長女自ら積極的に進めたので、親が関わったのは交通費を出したくらい。長男就活への関心は、長男本人よりも母親が先を行く。大学1年時より、どうしたらいいかわからないなりに、長男の学部専攻に沿った企業の情報収集をしてきたこの母。SIer自社開発客先常駐SESSE上流工程今となっては、おぼろげにそんな言葉も理解している。「いよいよ就活解禁」と言う言葉を聞けば、ここから就活に一層エンジンをかけなければと思うが、大学3年生長男は、木曜からの東京旅行にウハウハだ。イベントで大声を出すからと、今日、1人カラオケに行った。いろいろ東京行きの準備があるんだそうだ。「就活解禁直前」の言葉に、緊張感を持つのは、長男より、この母。呑気な長男・・・・変に気負うくらいなら、そのくらいでまあいいか、、
子供自慢で親を喜ばせたい。いつまでも、親に褒められたい私。50代半ばになっても、変わらない。知らず知らずのうちにどこか、親に振り回されてる、私の人生。
大学3年生長男就活に、文句タラタラの母。『戦う前にして、もはや負け』就活中大学3年生長男。はっきりここが1番というのは定ってないが、志望度高いIT企業早期選考に向け、成績証明と履歴書を提出予定。母は、封書前の履歴書を覗いて…ameblo.jpちゃんとした履歴書を送るつもりがあるのに、母が干渉して言う小言が、鬱陶しかった長男。別に清書したものには、心づくしのアピールはして送ったのだろう。正月明け早々、その送付先企業に直接赴き、1次面接を無事済ませた長男。変にプレッシャーをかけてもいけないと、「 会社はいくらでもあるから、、、まあ、腕試しくらいに考えて挑んでみたら 」と声をかけておいた。ここぞの所に弱い。受験期にお世話になった塾でのアルバイトも、いざ今から始まるとなると、「 俺なんか、ほんまにええん? 」と、急にブルーに襲われた。それと同じく、面接では緊張隠せず。ただ、「 今日は緊張してます。うまく話せるか分かりませんが、よろしくお願いします。 」と、素直な自分を表現。何か質問は無いかとの問いに、「 仕事をする上で、何が大事か? 」と長男の発言。面接指導を受ける事なく、ぶっつけ本番の面接。あらかじめ用意したものではなく、素直な自分で内から織り成す言葉を並べた。長男本人は、「 作り込んだ面接より、素直な自分をぶつけて、取ってもらえる所で働きたい。ええカッコした自分を評価されたって、果たしてその会社が自分に合うのだろうか? 」と考えている。面接その他、誰かの指導を受けろと、散々言ってきたこの母だが、長男の信念を聞いて、妙に納得。6月からはじめた、長男のマイペースな就活の時間の中で、自分の近未来をじっくり考え、自分軸を構築してきた様子。長男は頼りない、自分で探さないと、母が長男を差し置いて、企業研究してきたかのここ数ヶ月。意外とちゃんとしてきた長男。就活を通して、成長する大学3年生。一次面接結果は翌日だった。今月末、いよいよ最終面接。無事一次面接通過。最初の内定を無事勝ち取れるかどうか。
長女滞在により、にぎやかだった我が家。ああー明日の仕事嫌やなあ、、、とブツブツ言いつつ、お母さーん、ああだこうだとおちょくる長女。我が家での人気メニューのナス紫蘇豚巻き揚げを、ここで作って持って帰ると言いながら、結局母が料理した。ただ、大量に作ったため時間がかかり、長男・長女の助けを借りた今晩の夕食。長い休みならばと、印鑑持ってたら、nisaするのに銀行行こうと、母は長女に葉っぱかけるも、「 私、ゆっくりするために帰ってるんやから、、、そんなんやったら、帰らんで‼️ 」と長女の一言。そんな長女の長期休日も、今晩作ったナス紫蘇豚巻き揚げを手土産に、この数日のガヤガヤした我が家から、また、寮へ戻って行った。何度となく送り迎えを繰り返す駅。帰ってくる長女を車で待ちながら、遠くから段々迫ってくる「 ガタンゴトン、ガタンゴトン 」そして「 ガタ、、ンゴトン、、、、ガタ、、ンゴト、、 、、ン、、、、、、ガタン!、、、、、、、シューッ、、」と最後扉が開く列車の音。長女はどの車両から降りてくるかと、見えもしないのに、心踊らす。駅に着いた乗客が降りてくる中に、長女を見つけ、、、「 おかえりー‼️‼️ 」そんな時間が尊い。一緒に暮らすのも良いが、たまに帰ってきて、近況を聞くもまた楽しみだ。また帰ってくる日を楽しみに、今を生きよう。
正月3が日は、ずっと仕事だった長女。1/3夜勤終わりに帰省予定。帰省してすぐに家族で初詣後、祖父母宅で会食の段取りで、我が夫は仕事終わりの予定時刻に、駅で長女の帰省を待つ。ただ、待てど暮らせど長女の姿は無し。連絡もつかず、とりあえず1人で帰ってきた。家族で何度もLINE通話や、携帯番号での電話連絡試みるも、全く応答なし。「 お客様の電話番号は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため、かかりません 」のアナウンスが、心持ち心配を 誘うが、恐らく夜勤明けで、自宅での待ち時間に寝入ってしまったんだろうと、長女抜きに祖父母宅で会食。その会食中、案の定、長女の「 寝入ってました〜💦💦💦 」LINEで家族爆笑の1月3日。その日夜遅く、長女は無事帰宅を果たす。その長女は連休にて、まだ帰省中。やはり、長男・次女も含め家族5人揃うのはいい。家族一にぎやかな長女。1人で居ても動画を見てはゲラゲラ騒がしい。家族一緒だと、騒がしさ最強。きょうだいとの絡みが、また何とも面白い。やっぱり家族っていいな。たまに揃う家族の在り方もまた、新鮮。こんな何気ない幸せが、ずっと続くといいなあ。
正月3が日は仕事の長女。その長女が、今日は帰ってくる。長女の日常を聞くのは実に楽しみだ。なのに、孤立の不安を並べ立てるこの母。何で、この長女帰省を待つ楽しみを、味わえないんだろう、、、、母失格だ、、、、きっと私は、不安依存症なんだ、、、、そんな 病気ってあるのかな、、いつも無意識に、どこか不安の種を探しているかのような、私。
年末の大掃除と言うよりは、年末年始に渡っての小掃除と言った我が家。子供達に、大掃除と言う概念は無い。散らかし放題の部屋で過ごしている。近所の「明けましておめでとうございます、、、、⚪︎×△・・・・」の挨拶が聞こえる中、我が家にそんな交流は無い。無愛想家族。孤立しているのか、そう言う地域なのか、、、少なくとも、地域のみんなで集う雰囲気では無い。地域イベントはあったとしても、どっちかと言うと、お気に入りグループ内でよろしくやっている感じ。私のように、孤独感を持つ人も陰ながらいるんだろう。加え、私そして一家のオープンではないカラーが、余計そうさせるとも言えるかもしれない。夫婦共々交友に乏しい。夫のほうは、特に親友もない、交友もない。そりゃ孤立しやすい環境だ。夫と出会う前、お付き合いしていた彼がいた。友達を大事にし、ここ行こうあそこ行こうと、色々連れて行ってもらった。あの付き合いを大事にして、もしゴールインしていたら、、、、そんな思いが巡ることも多々ある。今の不安や不満は、なかっただろう。うちにこもりがちだからこそ、そんなパートナーが良かったんだろうな、、、きっと。外に出て、人と会い、交流する、、、そんな機会が自然と与えられただろう。意気地なしな、当時の私。それは思い出として、今を生きる。このまま結婚生活を維持するのか、別れて違う人生を送るのか、、、だけど、そうするには、生活力が無さすぎる、、だからこその現状ではないのか、、、結局は、私自身の在り方ではないのか
両親の今後の話し合いをしようと弟からの申し出により、両親ときょうだい、21年ぶり親子水入らずの再会を果たした2025年末。素直になれず、ずっとモヤモヤしていたが、やっとこの時を、ついに迎えることが出来た。まだ叶っていない事も ある。まともにお互いの家族と会っていない。正確に言えば、お年玉を届け続けた弟と我が子供達は会ってはいる。ただ、まともに会わせていないだけだ。そしてまた長男と私は、去年両親の帰郷時に不意に会いもしたが、まともな会話をしていない。うちの子供達に全く説明が出来ていない。あまりに無愛想に長い時を刻み続けてきた。きょうだい揃ったところを両親の前で見せられて、まず良かった。一片に全ては解決しない。少しずつ、1歩ずつ、過剰な期待をする事なく、願わくば、せめて、うちの3きょうだいに、叔父の存在を話し、会わせたいと思っている。共働きの弟家族。家事の分担や、子供の受験に向け、かなり忙しいよう。弟家族の意向もあるだろう。弟家族を蚊帳の外にしてきたのだから、そう易々と希望通りには行かないと覚悟あり。
交流ない、、、、いや、交流絶ってる私には、何も手間暇がない、、、、、年末なのに追わ れる事ない。付き合いに追われない。年末大掃除も、出来るところはするけれど、今じゃないといけないわけではない。そんな、主婦道の外れ値の自分が、妙に不安になる。他人に振り回されないからいいとも思っている日常。だからこそ、講師業の勉強も独学でできた。老いていく両親を思い、無料介護講座も受けた。資産運用について勉強し、結婚後20年以上放置してきたへそくりも、nisaやドル建て終身保険にて運用することを覚えた。世間の雑多な噂話に振り回される事なく、今を生きている。振り回されないメリットの享受もありつつ、あまりにも世間知らずすぎる私は、コミュニケーションの術も大して知らない。コミュニケーションの経験に、あまりにも乏しすぎる。子供が結婚したら、、、身内にもしもの事があったら、、、全く何をどうしていいのかわからない。みんなは出来るのに自分は出来ないとか、やたらと自身の現在地を意識する。せっかく平穏な日常を手に入れているのに、勿体無い。
就活中大学3年生長男。はっきりここが1番というのは定ってないが、志望度高いIT企業早期選考に向け、成績証明と履歴書を提出予定。母は、封書前の履歴書を覗いてみる。写真添付・氏名・生年月日・住所・学歴、、、、折り返しを裏返してみると、、、、何じゃコラ、、、、せっかく取った基本情報処理技術者資格や、趣味として取った中国語検定資格、高校時代に取った数検、何にも書いてないじゃない‼️‼️‼️‼️😭😭😭😭😭一体何をアピールできると言うんだ‼️‼️‼️😤😤😤😤😤大学のキャリアセンターなり、誰かのアドバイスを受けろと言っても聞く耳持たず。あの子は、一体誰の子なん、、、、ほんとに💦💦💦💦💦😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨😮💨