不登校の子供を見守るというのは
監視でも、放置でもなく
心を緩めて、薄目遠目で
ちょっとバカになる
というイメージ
自分自身が
●考えすぎない
●悩みすぎない
●心配しすぎない
●落ち込まないよう
そして、
●子供を追い詰めない
●子供に押し付けない
そのための
あくまでも私の感覚です。
心を緩めて受け止める
不登校の新学期
『行くのかな』
『休むのかな』
どうなんだろう。。と
様子を伺い、気持ちを確認して。。
無理しないでいいことを伝えたり
先生と段取りしても
行くときは行く
行かないときは行かないんですよね。
子供の『明日は行くから』
の言葉はたぶん嘘じゃなく
行ったほうがいいという思いがあるから
当日行けるかどうかは
本人もわからないということも
あると思うんです。
本人もわからないこと
それにいちいち振り回されていては
疲れます。身が持たない。。
私はそんな日々を
繰り返しているとき
ただ事実だけを
受け止めようと決めました。
遠目薄目で
『ああ、そうなんだね』と
心を緩めて受け止める
【無】でいる
そんな感じでした。
行っても行かなくても。。
後悔してほしくないから先回り?!
ああしたほうがいい。
こうしたほうがいい。
つい先回りしてしまいがち。
それは親自身の心配から。。
私自身も散々。。
先生や専門家からの
情報やアドバイスもあるし。。
でも、不登校の進み方?
不登校中の過ごし方?
不登校の体験の仕方?
なんでもいいのですが
それはそれぞれの子供の課題だと
思うんです。
自分を振り返る時間だったり
自分のペースでの
勉強方法をみつけるためだったり
心を安定させる時間だったり
でも、その課題は
不登校の子供自身もわからない。
だから、何をしたら後悔しないのか
何をしないから後悔するのか
それはわからないと思うんです
バカになる?!
不登校の子供が悩んでいると
一緒に考えて、
そして、ときに提案したくなる。
でも、それは子供にとって
いいことなのか、そうでないのか
わからない。
だから、やってみて
どうなのかもわからない。
親だから、大人だから
人生経験が長いから
何を学んだから、知識があるから
といってそれが正しいわけでもない。
バカになる
というのは無責任に知らんぷり
するのではなく
相談されたり、気持ちを話してくれたら
一緒に考えて
でも、お互いにわからないよね
という視点に立って
子供自身が
自分で考えて決めるのを待つ。
それが大切だなと思うんです。
お母さんはバカだから知らないよ。と
いうのは違うかなと思います
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