オーストリアの思い出⑨ | ab5fcのブログ

ab5fcのブログ

エコと生活力を向上に向けたブログ博物館を試作中

オーストリアの思い出はこれを最後にしたい。

このプロジェクトは新しい分野を開拓した思い出は研究開発の未知の分野への挑戦、海外技術

 

移転のビジネス面の挑戦であった。技術開発は研究者視点では、技術の確立が終点である。素晴らしい信頼性の成果を提供ししても持続的な展開が無ければ失敗である。

 

商売は難しい。時代のニーズの頂点を走っても、成功とは言えない。嫌いな言葉はなぜ二番ではいけないのか。ビジネスは二番手でも成功する。むしろ二番手がのほうが成功する。

 

この流れは時系列を考慮していない。二番手は数十年すると二番手の成功は失せる。会社の持続性は失う可能性がある。何故か。挑戦する「マインド」が低減するとその「時間の塊」

 

が移動するので、会社の「やる気」が段階的に消失する。決して二番で良いとは言えない。常に一番を狙うことが、会社の持続性維持できる。思い出したが政治家で二番を目指すべきと

 

「あほ」な事を言っていた人が居た。当時は学会を挙げて歓迎居ようとしたが、この発言で一気に応援を止めた。その穴埋めは欧州カブレのポピュリズムが走った。

 

オーストリアプロジェクトは大きな収益を得たが、その後、線香花火の様に消えた。なぜだろう。ドイツに事務所を開設して事業の展開を図った。事務所長は連絡事務所と勘違いして

 

営業活動を行わなかった。商社のような営業努力をしなかった。・・・・本当に何もしなかった。日本からの訪問先のアポ取りだけ。

 

内弁慶と言う言葉がある。昭和人は家庭では強い立場だが、会社に行くと何もできない。また会社内では強気の人も、外で出ると「だるまの様に手も足もでない」。語学が出来ない。

 

日産のゴーンはこの日本人の感覚を巧みに利用した。課長以上は全て英語で社長に報告。組合も手足が出来ない。英語では突破できる人材は居なかった。下請けは切り捨てられた。‥私感

 

会社経営の責任者は新しい事への評価は「保守的」になる。「挑戦」の心を無くしてビジネスの技術開発の成功は期待できない。

 

オーストリアのプロジェクトはすべてが「挑戦」から始まった。結果としては、会社に持続的なビジネス発展にはできなかったが、日本の技術は欧州に芯とする先駆けとしての使命は達成

 

出来た。メーカーから学会で「ありがとうございます。」との言葉だけを頂いたが、自己満足でしかない。少しでも何か役に立てたと思う、自己満足でも良しとしたい。

 

本来であれば、窒素酸化物を除去する触媒の寿命は2年と想定していたが、十数年

を経ても性能は下がらなかった。超良品を開発してしまった。技術開発は完璧。ビジネス展開

 

は失敗した。失敗から何を学んだか。技術は「嘘」が付けない。ビジネスは「時間経過」の「間」が読めないと評価できない。

 

個人としては今では経験できない、実績を積むことで、幅広い価値観を覚えた。

大きな自責の念は「鉄道オタク」に規模しい仕事の仕方を教えたことか。「喜びと悲しみ」

 

これは思い出として思いのまま書いた。もっと早くこのプロジェクトを世に報告すべきと思っている。

 

de 非宇宙人