ウィーンのプロジェクトは人の人生を変えた。何かをすることは周囲の人生を少なからず影響する。サラリーマンはキャリーアアップの過程と考える。
ところがこのプロジェクトは記憶に残す愛のエピソードを作った。プロジェクトに従事していた信頼できる部下は独身で、一生結婚しないと常に漏らしていた。鉄道オタクで普通の鉄道
オタクではない。日本の駅の名前、鉄道写真集、切符などなど「撮鉄」「乗鉄」・・を全て網羅した「オタク」「マニア」である。異性の影を感じることはなかった。
ウィーンのプロジェクトが進むとウィーンに滞在することが多くなり、相手方の技術者との交流も深くなった。ドイツ語が少し話せたので、かれは技術も、人柄も、容姿も良く、人気者で
あった。特に相手方の技術者を統括するラッフェルバーガー氏とは家に招待された交流を深めた。そこに日本人の留学生の女性が寄宿していた。経緯はこれ以上知らないが、プロジェクト
が完成する前に結婚した。結婚は絶対しないと言い放った男が結婚を決めた女性とはどんなに素晴らしい人か、帰国後にお会いしたがはきはきしたとても明るい人で、鉄道オタクを心底「愛し
ていた」。私が導いたプロジェクトが縁である。このプロジェクトが無ければ、結婚はあり得なかった。最近、この話を知っている人と京都であった。彼女の言葉に「おや」と思う一言
があった。「ウィーンで結婚してしまった」・・・「してしまった」意味深な言葉と聞こえたが
知らん顔をした。もしかしたら当時の環境からはお付き合いしていてもおかしくない。
この主人公は若くして故人となった。過労死である。仕事で手を抜く事が無かった。正月も返上して入札案件の資料つくりをしていた。1月に資料は完成するので、2月に会食をしようと
約束した電話が最後となった。神田駅で心臓発作をおこし、近くの日大病院に搬送されたが、心停止の時間が長く、植物人間となってしまった。面会謝絶であったが、奥さんのご厚意で見舞い
に行ったが、鉄道オタクの精悍さはなく、顔を見るのがつらかった。奥さんは足をさすり、好きな音楽を流し、一抹の期待を寄せてあらゆる治療法を探していた。
約2年、闘病の甲斐なく、亡くなられた。家の近くの合同墓地に埋葬されたが、季節を通じて花が咲いている宗教に関係のない場所である。
このプラジェクトの延長線には「悲劇」となった。プロジェクトで経験した実績は過労死を誘引した。。激務のハザマで仲間とお酒を飲み、その帰宅中の事故。
今の様に{AED}はない時代。救済の方法はなかったか、後悔している。
次は「優れた設備は必ずしも良いとは言えない」話を書きたい
de 非宇宙人