オーストリアの思い出② | ab5fcのブログ

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前回は日本の公害と技術開発を書きました。

本日はオーストリアからの接触の話です。会社は東京駅八重洲口徒歩1分の利便性の高い場所。

 

ある日、シーメンス日本の東京支店長が面談したいとのアポが入り、1階に喫茶店ブルースカイ

でお会いした。シーメンスはドイツの大電機メーカーである。富士電機の古河電機とシーメンス

 

を足した会社名。オーストリアで開催された電気関係の国際会議で、オーストリアの電力会社が環境問題で窮地に立たされているが、「日本にその技術がないか」と立ち話の中で、私の先輩

 

に問いかけたのがオーストリアの思い出の始まりである。後輩の私が何かそれらしき事を開発していたと連絡先を教えたところ、ブルースカイの面談となった。

 

内容はシーメンスの顧客のオーストリアの電力会社が原子力発電所を建設したが国民投票で運転許可が不可となり博物館になった。700MW(市民過程約20万軒の電気を供給力)

 

が予定されて発電出力を代替の発電所で補填する必要があり、約300MWと400MWの石炭火力発電所を建設したが、スウェーデンなど北欧は湖沼の酸性化、ドイツでは黒い森が

 

酸性雨で枯渇していた。この原因は発電所からの排出される硫黄酸化物と窒素酸化物である。

硫黄酸化物はスウェーデンの技術でクリアーされたが窒素酸化物を除去及び低減する技術

 

が欧米にはなかった。オーストリアの電力会社はこの局面を打開するために、その技術は国を挙げての大問題であった。一抹の期待をもってオーストリアの電力会社はシーメンスの情報を

 

確認するために来日した。1980年はじめの話、総勢5名と記憶。しているが、英語を話せる技術者は一人。あとは片言の英語、日本側が通訳を雇うことは筋が通らないので、私が

 

通訳兼ガイドで広島と長崎の発電所視察を行った。技術開発は実用機段階でなく実規模の実証試験が建設中であった。試験の内容を紹介して、日本が唯一開発に成功したことを説明した。

 

彼らが帰国後に連絡があった。「技術移転」が可能か否かの国際電話による確認である。「可能です」と答えると「間違いないかと」と何回も確認して来た。こちらも「海外への技術協力」

 

の経験がない。上司は「欧州の電力会社」が真剣に考えるわけがないと取り合わない。上司は「Letter of Intent;LOI](契約内示書)を貰えればあれば考える。

 

こちらの状況を相手に伝える。すでに経営会議では了解されているので、英語に翻訳するに技術者が「バーケーション」中であるので待ってくれと回答。

 

1か月たってもLOIは届かない。

サイド確認の電話をしたが、バーケーションがもすぐ終わるので待ってくれと。欧州の

 

バーケーションは会社からの隔離されて連絡も出来ない「休暇」。9月のはじめと記憶しているが、通信手段で最も早く確実な方法はFAXだった。このFAXが私あてに届いた。

 

1メーターもある帯のようなFAX。内容はウィーンにて契約の相談をしたいとの内容で日時と

旅費の「term & condition ;T&C」が書かれていた。

 

これは単なる思い出話。

 

つづく

de 非宇宙人