戦後放置されOccupied Japan (占領下の日本)はマッカーサーに統治された占領地であった。
海軍航空技術廠(空技廠)は昭和7年の創設。航空機の本格的開発が始まった。
ライト兄弟が開発した動力式飛行機に改良を加えたプロペラ機による戦闘機、爆撃機を開発して、民間の三菱重工、中島飛行機など製造を依頼した。なかには空技廠自ら開発製造までを
行った。「彗星」「銀河」「桜花」がある。多くは試作機を作り、空技廠のパイロットにより安全性・性能を確認して性能の向上に大実験場は横須賀の空技廠を除いてない。
空技廠は海軍機を民間に発注して、その総合管理や民間の開発時の目標(要求事項;RFP)は厳しいものがあった。戦後ゼロ戦のパイロットは海軍の無理無謀なRFPを「非難」している論調が
通説になっているだが、これはゼロ戦愛好者の礼賛に近い。この空技廠は秘密が多く、戦後進駐軍にて多くの実験設備が壊されて、建物は民間に払い下げてこの実体を表した本はありません。
空技廠関係の著作本、空技廠勤務の技術将校の著作本を調査しましたが、飛行機の開発ばかり書かれていて、実験の計測装置、実験施設の仕様、などについては極めて少なく、その評価は
「表」に出ていない状況です。つまり秘密の基地は秘密の基地で未だ謎は解けていない。
地元の空技廠の事を聞いても、存在すら分からない人が多く、次世代に資料が無くなる前に、実態を明らかにしたいとささやかな思いがあります。戦争末期は日本は総力戦に突入して、資源
の枯渇(燃料、機材)により戦闘機の材質が木材、燃料は松根油しか残っていません。その中でB-29 による無差別攻撃は、多くの都市が被災されており、東京、横浜は廃墟になりました。
その中で急遽開発されたプロペラを推力に使わないジェット方式が開発の中心となり、種子島時休氏が予てから構想していた燃焼による「タービン」ジェットの開発が成功しました。初飛行は
終戦直前に成功しました。活躍はしませんでした。空技廠の「航空技術者」は自動車産業、鉄道会社、電力会社などに就職して戦後の復興の枢軸となりました。
その一人が三木忠直氏でゼロ系新幹線の開発の貢献しました。これは旧プロジェクトXにて紹介により、認知されてきております。
嬉しい写真を発見したのです。今までの空技廠の中核実験設備「風洞」は謎に包まれていました。その日本人が撮影した巨大風洞の写真が見つかりました。初めての写真です。
合計三枚。連合軍(アメリカ兵)が獲った写真でなく。この場所は日産の自動車のテスト
コースを建設するために工事開始前に撮影した記録写真集の中にありました。戦後の写真ですが、夏島の海側に巨大風洞が実在していたことを日本人が認知していた証拠になります。
ゼロ戦の振動問題を解決した浦郷の中型風洞でなく、種子島氏がジェットエンジンの燃焼を実験した巨大風洞が今日検証できたと日になりました。
この事実をどのように浸透させるか。日本人は「debate」しません。なかなか変化に対応できない日本人気質との戦いの始まりです。
勝海舟、坂本竜馬のファンが多い、また歴史の教科書に掲載されています。小栗は来年「大河ドラマ」で放映されます。復権はされるか否かは不明です。
事実は事実、第一次資料を積み重ねて、小さな理解を積み重ねて正しい史観を認識する、忍耐強い試練の始まりました。
3月14日に講演会があります。僅か100人の席数、半分も埋まればよいが。
一気に書いたので、変換ミスの懸念もありますが、今日は何か嬉しい日を過ごしました。
de 非宇宙人