都会育ちで、植物とは縁のない生活をしてきた。
白樺を見てポプラと言ったり、ならとブナの違いも
分からない。ならの木のマイタケの香りと味は
至高。大館の朝市でたまたま出品されていて一房を
購入。あまりの甘い香りが充満するので、機内持ち込みできず
荷物として家に持ち帰った。
この天ぷらを期待した。母が天ぷらを準備しており、それはそれは
今までない至高の味だった。明日もま期待したが、母は近所に
おすそ分けした。珍しいものだから近所におすそ分け???
怒りがこみ上げるが、口にできず。母にその心境も語れず。
以来、ならの木のマイタケに接したことはない。100円+の養殖マイタケ、
路地物である一房のマイタケ、これも養殖。自然でかつ「ならの木マイタケ」は幻である。
奥入瀬渓谷のとある場所に群生していたマイタケ、これはブナの木。香り味全く違う。
幻のマイタケをもう一度食べたい。無理は承知であるが。・・・・
話は飛ぶ。伊勢神宮の遷宮に使う木は育った位置と方向が同じ。
知らなかった。SDG’sを学べば森林の大事さは分かる。かほど繊細に自然に
を配慮した心はSDG’sにはない。定量化だけを目指す欧米の考えと日本人の
心は図ることは無理。欧米はそれを無理やり,仮定を設け、数量化する。
一見、分かり易いと思うが、仮定について検証はない。今後メタデーターを処理して
今まで解析が出来ない事象や行動も数値化する時代がすぐに来る。個人的見解。
曖昧な「定性」が全て数値化されると面白くない世の中になるかも。日本人は欧米の
考え方に征服されないように。見えるものを大事する以外に見えないもの、気が付かない
事を感じる鋭い感性を持つことに心がけよう。自然は受け入れてくれるかもしれない。
今は樹木の名前はグーグルで検索して総間違いのない道具を見つけた。
知識として樹木でなく、もっと樹木と会話して仲良く生活したい。
庭木に、雑木の生垣としてしまった。ごめんなさい、感謝。
非自然人より