2017年4月13日(木)~4月18日(火) ニューヨークへ旅(JALPAK)
4月13日午後 JAL便で徳島を出発、東横IN羽田空港Ⅱ 1泊
翌朝、無料のシャトルバスで午前7時過ぎ羽田空港へ。
Webチェックイン。
昨年4月、パリのときは午前8時過ぎのためか(?)真ん中の席しか
取れなかったが、今回は通路側を確保。
午前10時40分発 ニューヨークへ
4月14日(金 ニューヨークとは時差13時間) 晴れ
午前10時35分 ジョン・F・ケネディ国際空港着
空港での入国手続きに1時間以上要す。出口で迎えの係員Mさん、
あと3人を20分以上待つ。
テロ対策」のためか(?)手続きに時間をかけているらしい。
Mさんの車で私達4人はマンハッタン島へ
1人は東京の婦人で、今年9月も夫とニューヨークくる予定。
2人は横浜・鶴見の親子連れの女性で、ワシントン1日観光、野球観戦などを予定。
マンハッタンに入る前、林立している高層ビル群が見え、高い建物の本場にきた印象を受ける。
ガイドさんの話によれば、マンハッタン島は堅い岩盤のため地震が
ほとんど発生しないとのこと。
午後2時頃 ニューヨーク・ヒルトン・ミッドタウン ホテル 着
Mさんがチェックイン手続きを。
私は25階、横浜の親子連れは24階、東京の女性はロジャースミスへ
Mさんが幾つかの注意事項」をいって手続きを完了。
自由の女神、メトロポリタンとニューヨーク近代美術館などが主な予定先であったが、滞在3日間を振り返ると、一面、ニューヨーク中心街を結果として歩きにきたようなもの。
これはニューヨークの地理、地下鉄に不慣れなため下車駅を間違え
たり、アクシデントで地下鉄が運行を停止したことによる。
16日(日)は1日通算、2時間ぐらい歩き、3日間合計数十回、地図を片手に通行人に道等を尋ねた。
歩いた時間などは大体のところ。
白人、アフリカ系、ヒスパニック系、イスラム系、アジア系等 多様な
人を見かけ、合衆国であると感想を抱く。
道路について
マンハッタンの道路は南北(縦)にアヴェニュー、東西(横)にストリートの名がついている。
ニューヨーク・ヒルトン・ミッドタウンの玄関前は6th Ave、通用口を
出たところをW.53rd Stの通りがある。
宿泊先は6AveとW.53Stが交差するところにあり、通り名を尋ねたら比較的わかり易い。
たとえば、53St?といったら、今いる通りの次からワン・1、ツウ・2、
スリー・3と教えてくれたことがある。
地下鉄について
マンハッタン内は、大体、北行がUptown、南行がDowntown。
普通はLocal、急行はExpress。
コロンバスサークル駅は1・2・3、A・C、B・D の3ラインが交差。
慣れていないと、ラインなどや下車駅を間違え、結局歩く時間が増える
ことに。
メトロカード乗り放題7日間(6日間以下なし)31ドル 購入。
午後2時半ごろ あっとニューヨーク(自由の女神チケットを受け取り
、ワインショップの場所をきく)経由してコロンバスサークルの
タイムワーナー・センター地下1階のホールフーズ・マーケットへ
徒歩15~20分だが、尋ねながらなので20~30分。
宿泊ホテルから53Stを西へ少しいくと、車上販売していたのでTORTAS(ハンバーガーを2~3まわり大きくしたようなもので、1つ7ドル)を購入。半分を食べ、残りを夕食に。
ホールフーズ・マーケット
ミネラルウォーター 1つ、カリフォルニア・ロール(巻きずしの一種) 2パック、円いパックに入った寿司(野菜と間違えて購入、上に野菜とタレがかかった刺身風のサケ、下が酢飯。 1つ11.19ドル) 2つ、食パン 1つ ソーセージ4本入り 1つ
合計 51.17ドル(税込)
これは夕・朝食分。
地下鉄改札口付近にあるワインショップでワイン1本(11ドル弱)購入。
ヒルトンホテルへ
コロンバスサークル駅で間違えて、ACライン・急行に乗る。
ACの42Stから123の42Stまで歩き、123の50Stへは電車、
そこから歩いて午後5時30分頃 ホテル着。
食事など、午後8時30分頃 就寝。
4月15日(土) 晴れ
ニューヨーク1日観光、ヒルトンホテル1階に私を入れて11名集合。
セントラルパーク、メトロポリタン美術館、エンパイア・ステート・ビル、
ワシントンスクエア・パーク(トイレ休憩)、サークル・ラインフェリーにて自由の女神のそばを周遊、チェルシー・マーケットなど。
セントラルパーク
午後2時30分頃 交通規制のため実質的にチェルシー・マーケットで解散。
私は徒歩10分程のACライン 14St駅からコロンバスサークル駅へ
ホールフーズ・マーケット
パスタとチーズのパック 各々 1つ
野菜 大1袋、カリフォルニアロール 2パック、ビール 1セット
ミネラルウォーター 1つ 栓抜き、その他
合計 61・35ドル(税込)
帰り、下車駅を間違え、30分ぐらい歩いて午後6時前 ホテルへ
部屋で食事など、午後9時前 就寝。
4月16日(日)の予定先
一 メトロポリタン美術館
(メトロポリタン美術館ガイド等より)
芸術の理念は人間を根本から高め、思考の高揚、産業や製造業の
進歩、よりよい社会の実現を促すとされている。
美術は芸術の分野の一つで、美の視覚的表現を目指すものである。
1870年 大衆を啓蒙、向上させる使命を掲げて設立
1905年 当館の理事会は「メトロポリタン美術館の将来の目標は国や時代を異にする傑作を広い意味での美術の歴史を明らかにするべき関連性と秩序をもってまとめること」との文章声明を発表
人の美意識は個人、時代、地域などにより異なることがある。
メトロポリタン美術館は広い視野のもと、世界の美術品の収集に
努力。
その結果、世界一の百科事典的美術館へ変貌。
米国らしい美術館と考える。
一 ニューヨーク近代美術館(MOMA)
(週刊 世界の美術館より)
1929年 設立
リリー・P・プリス、アビー・オルドリッチ・ロックフェラー、メアリー・クイン・
サリヴァンの3人の女性を中心に設立。
19世紀末~現代 絵画、彫刻など多数の美術品を所蔵。
モダン・アートの殿堂へ
(1)ヨーロッパから米国へ
印象派絵画ブームが起こり、抽象画の理念が抽象表現主義に発展、
第二次大戦前夜、多くの画家が渡米。
(2)発展
1930年代 世界大恐慌時代、政府は美術家救済措置を実施
5000人以上に恩恵。
1949年 ニューヨークで結成された芸術家たちの非公式団体:
ザ・クラブから抽象表現主義という絵画の潮流が形成
このような米国美術の発展の中で、MOMAがモダン・アートの殿堂
としての地位を確立していったと理解。
一 自由の女神
(週刊 世界遺産より)
正式名
世界を照らす自由
発案
1865年夏、フランスの歴史家・政治家のエトゥワール・ド・ラブレーが「11年後のアメリカ独立100年を記念し、アメリカに仏米合作の碑を
建てよう」と提案
募金
仏では市民の支持を得て81年までに約40万ドル集まる(像)
アメリカでは市民の関心が低く、資金が集まらない。
そこで、
ニューヨークの新聞「ザ・ワールド」の社主「ジョゼフ・ピュリッツァー」が、どんな小額でも寄進者の名と金額を紙上で公表すると発表。
全米から寄付が殺到、2カ月で5万ドル集まる(台座)
建造
像の制作
フランスの彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディが担い、
彼が視察して設置場所も決定。
像の建造に、この後、エッフェル塔をつくったフランスの橋梁技師
ギュスタブ・エッフェルが大きく貢献。
台座の設計はアメリカの建築家リチャード・モリス・ハント。
設置
1886年 ニューヨーク・リバティ島に設置
4月16日(日) 晴れ 夕方 一時小雨
自由の女神像
自由の女神像そばの桜(推測)
午前8時頃 地下鉄 50St駅から123ラインでサウスフェリー駅へ
アクシデントのためサウスフェリーまでいく1ラインはChambers St駅で運行停止(23は運行)
車掌に バッテリーパーク?というとChambers バスとの返事、
Chambers駅からバッテリパークまでバスが出ているらしい。
Chambers駅前のバス乗り場では大勢の人がいたが、しばらく待って
バッテリパークへ。
午前10時頃 スタチュー・クルーズフェリーでリバティ島へ
すぐ近くで自由の女神を見上げると大変大きく、このような像の
建造に貢献した橋梁技師・エッフェルさんに敬意を感じる。
帰り、エリス島の移民博物館を見学。
日本語オーディオガイドによれば
この島で入国審査が行われ、多くの人にとって希望の島になったが、
入国を許可されなかった少数の人にとって涙の島になった。
政府は社会の負担となるような人、国外から一定の病気(目の
トラコーマ等)が持ち込まれるのを警戒して、このような人を厳しく
審査し、本国へ送還することもあった。
地下鉄Rライン サウスフェリー駅からタイムズスクエア42St駅で
23ラインに乗換てコロンバスサークルへ
ホールフーズマーケット
チキンのから揚げ 1パック、カリフォルニアロール 2パック、
ミネラルウォーター 1つ その他
合計 33・9ドル(税込)
午後2時頃 ホテルの部屋にて食事、休憩。
すぐ近くのニューヨーク近代美術館へ
クリスティーナの世界
アンドリュー・ワイエス
ワイエス28歳の秋、心の支柱そして芸術の師であった父が踏切事故で急逝。
深い喪失感にさいなまれ、しばらくの間絵筆をとることができなかった。
クリスティーナは小児麻痺により手足が不自由になった女性で、
たくましく生きている。
ワイエスはクリスティナーに、生命の力強さを見る。
一人の女性を描くことによってワイエスが父の死を乗り越え、人間または画家として、一人で生きようとする姿勢、蘇生の気持ちを表現したと理解。
午後3時半過ぎ 地下鉄 Eライン 5AV 53St駅へ
電車がこない、Eラインは運行停止か?
仕方なく、歩くことに、途中 一時小雨が降って、しばらく休憩して
地下鉄 456ラインの51St駅へ
456ラインの77St駅下車。
午後5時15分頃 メトロポリタン美術館へ着く。
係の人にクローズといわれ、中に入れない、閉館15分前から
入場できないとのこと(午後5時30分 閉館)やむを得ず、入口で日本語の「ご利用案内」をもらう。
帰り、通行人に77St駅までの道を尋ねると、日本語の返事。
帰宅途中のメトロポリタン美術館の30代日本人女性職員、神戸・東灘区出身で米国にきて10年以上になるとのこと。
その人が見たい絵画は何ですか?ときいたので
私は「デラウェア川を渡るワシトン」と返事。
その理由として
アメリカ独立戦争中の有名な場面を描き、アメリカの後続の世代の
心を捉え、これからもアメリカの名画と考えていることを挙げた。
その人は59St駅で乗り換え、私は51St駅で下車。
その人と別れるとき、「美術館に入れなかったのは残念ですが、日本人職員さんとお会いできてありがたかったです」というと、「そう いって
頂いてありがたいです」と返事。
51St駅から歩いてホテル着。
食事など、午後9時頃 就寝。
4月17日(月) 晴れ
午前9時 迎えのMさんにトランプタワーの前を通ってくれますか?
Mさんから大型の車は交通規制のため通行できないとの返事。
仕方なく次の機会に。
ロジャー・スミスで、東京の婦人と合流(行き帰り同じ便)、
空港で、その人からニューヨークはどうでしたか?
自由の女神のリバティ島、移民博物館のエリス島へいったこと、
自由の女神像そばの桜(推測)が満開であったことが印象的と
返事。
また、遠くない将来 ニューヨークを再訪したい気持ちを抱いて
4月18日(火 日本時間) 帰国。
2017年4月30日(日)


