「ブラタモリ」#10「奈良その1」#11「奈良その2」詳細
◇前回放送私のブログ 「ブラタモリ」#9「川越~なぜ川越は小江戸と呼ばれる?」(2015/06/20放送)◇NHK-G 「ブラタモリ」■■ #10「奈良~奈良発展の秘密は“段差”にあり?~」【初放送】6/27(土)19:30~20:15【再放送】6/28(日)13:05~13:50◇プロデューサー: 垣東大介ディレクター: 良鉄矢取材協力: 奈良市、奈良公園事務所、奈良県立図書情報館、奈良まちづくりセンター、地域情報ネットワーク、元興寺文化財研究所、近畿日本鉄道。資料提供: 東京地図研究社、新創社。映像提供: ヘキサメディア。映像デザイン: 山口高志CG制作: 水留健吾写真: 山田大輔撮影: 菊地将和、撮影ロケ6/2(火)。*出演: タモリ、桑子真帆アナナレーター: 草彅剛(SMAP)◇【あらすじ】今回の舞台は古都・平城京の奈良。710年に平城京が置かれ、2010年を以って遷都1300周年を迎えた。世界遺産として指定されているのは、平城宮跡、東大寺、春日大社、春日山原始林、興福寺、元興寺、薬師寺、唐招提寺。■ 「朱雀(すざく)門」あの奥に天皇が奈良時代、住んでいた。ここで奈良文化財研究所の主任研究員・馬場基さんが登場。タモテバコが出て来ないが、今日はないのかな?フリーで行けってことかな?1300年前に天皇が住んでいて、貴公子が集まって、全国の美女たちが集まった場所に案内される。都の中心「朱雀大路」(70m幅のメインストリート)--朱雀門--大極殿。なぜ、こんなに広かったのか? 必要性が感じられない。シルクロードの終点という位置。海外からも来るから見栄を張らなければならない。約1km四方に囲まれた宮殿・平城宮。この中で約1万人が働いていた。世界遺産の中、皇居のど真ん中を近鉄が横切る。飛鳥~奈良時代は都のお引っ越しが大好きだった。その後1000年以上、宮殿内は田圃になっていた。1914年(大正3年)、大阪電気軌道(近鉄の前身)が開通。1922年(大正11年)、国の特別史跡に指定。なぜ『奈良』と言うのか? 地名の由来。乃楽・平・平城などと表記されつつ、平安時代に奈良に統一。タモリさんが、均(なら)した、平らという意味があるらしいと言う。人々が踏み均した、高低差が無いということになると、タモリさんにとっては興味がなくなる。(朱雀門)ここで漸(ようや)く、今回の旅のお題が登場。タモテバコ「奈良発展の秘密は段差にあり?」 と、エエッ!! 真逆ですよね。平城京の地図を広げると、平城京の外に奈良市内のメインストリートがくっ付けられた形状。奈良市内から見ればダウンタウンの『外京』(げきょう)。東方の「東大寺・大仏殿」が、高い位置に見える。高低差がある!!古都・奈良は年間観光客1,380万人。奈良発展の秘密は"段差"にあり?ここで京都町歩きガイド(京都高低差崖会・会長)の梅林秀行さんが登場。なんで? 奈良での高低差調べにも手を広げているらしい。近鉄奈良駅で降りると直ぐ、なだらかな坂が始まり(変位点があり)、高台を中心に奈良市街が発展して来ている。なぜ高台の周りなのか?平城京は、一番、西方の突端に位置した『外京』。その崖を平らにしたのか!?地形の変位、人間の変態。タモリ節が炸裂!! 地形も人間も変態(マニアック、オタク)じゃないと面白くない。変態はクリエイティブな人間の作用。恋愛は変態の始まり」。■ 現在の市内では最西端にある「東向商店街」。昔はアーケードの西側=東向きの店ばかりだった。今では東側にも店が並ぶが、崖の名残で少し高い位置になっている。■ その中で「段差(ダンサー)中のダンサー、EXILEみたいなスポット」が、「親愛幼稚園」(登大路町44-2)。ここで副園長の森本啓一さんが登場。ママ友たちが拍手で出迎え(ヤメテクレ)。女の子ばかりが活発でハイタッチを求めて来る。階段を上り終える手前に、奈良盆地では過去に巨大地震が3,4回発生した結果、できた断層の痕跡(逆断層によってせり上がった)があった!!奈良時代、この高台に態々、造られたものがあった。それが東の「興福寺」とその境内。店はお尻を向けられなかった。「親愛幼稚園」は東福寺境内の端に建てられた「奈良基督教会」の経営。再びママ友たちの拍手(ヤメテクレ)。1930年(昭和5年)、宮大工さんが建てた欄間まである純和風のチャペル。今2015年、国の重要文化財に指定。(断層を覗く).■ 法相宗大本山 「興福寺」 (登大路町48)。段差、つまり断層そのものが結界(これより神聖な区域)。ここで興福寺・執事長の夛川(たがわ)良俊さんが登場。権威を示すため、ことさら高い位置に建てられた。藤原鎌足の次男・不比等(659-720)が平城京遷都、藤原氏の氏寺「興福寺」を建設した。仏教の興隆を計画し実行。かつて平城京を一望できた場所、「北円堂」(1210年頃に再建、国宝)。特別拝観。「弥勒如来」の両脇に、仏師・運慶の作、鎌倉時代の彫刻の最高峰「無著世親」(むちゃくせしん)の兄弟像(国宝)。「北円堂」からは今は樹木が生い茂って見えにくいため、再建中の「中金堂」工事足場から奈良の町を一望する。高所恐怖を抑えながら・・・。(国宝・五重塔をバックに記念撮影)尚、興福寺では、「北円堂特別開扉(7/1~9/30)」、「国宝三重塔特別開扉(7/7)」が行われている。■ 興福寺から500m程、南にある「ならまち」 (元興寺町44)。興福寺の力が生んだ痕跡を探す。碁盤目(格子状)の路の中に、不自然なクランク状の路を発見。「奈良町物語館」(中新屋町2-1、旧酒屋)を訪ね、床下から奈良時代の旧「真言(律)宗・元興寺」(がんごうじ)基礎を発見!!藤原氏=興福寺の勢いに押されて衰退した蘇我氏=元興寺。境内は興福寺の寺近不動産物件として人気、興福寺御用達の商人が住んだ。元興寺の僧坊「極楽坊」(中院町11)が街中に残っており世界遺産の1つとして登録されている。ここで、改めて今日のテーマ「奈良発展の秘密は段差にあり?」に戻る。タモリさん「下ると上るとでは気分が違う。下るの方が沸き立つ。人生には3つの坂がある。上り坂・下り坂・マサカ」。坂だらけ。街に表情がある。傾斜地で奥に細長く建てられた家・二塚惠司さん宅「染織工芸 二塚」(高御門町2)を発見。築150年。間口10m, 奥行き60m, 高低差1.5m。偏に興福寺さんにすがりたかった!?■ 「春日大社」 (春日野町160)せんべい持ってないから鹿にシカトされる。ここで春日大社・宝物殿・学芸員の秋田真吾さんが登場。1300年の歴史を持つ高低差。「剣先道」(けんさきみち)は春日大社の歴史にとって非常に大事な道、本来の入口参道、限られた人だけが通れた。石燈籠が約2000基 + 釣燈籠が約1000基 が続く。御蓋山(みかさやま・三笠山、春日山283m)が御神体である山岳信仰。究極の段差を探す。「本殿」は20年に1度の特別公開中(~6/30まで)。御蓋山頂からの緩やかな傾斜地に768年、創建して以来1247年間、御神体ゆえ手を加えなかった。地形そのままに建物は段差をつけなかせら建てられた。段サーとしては本当にうれしい。自然に逆らわない日本精神。奈良発展の段差思想。◇■■ #11「奈良の宝 ~観光地・奈良はどう守 られた?~」【初放送】7/4(土)19:30~20:15【再放送】7/5(日)13:05~13:50プロデューサー: 石原謙一郎ディレクター: 佐々木知範取材協力: 奈良県、春日大社、東大寺史研究所、奈良文化財研究所、西山厚、渡邉伸一。資料提供: 東大寺、奈良国立博物館、東京国立博物館、円谷プロ。映像提供: ヘキサメディア。映像デザイン: 山口高志CG制作: 戸枝誠憲写真: 山田大輔撮影: 菊地将和、撮影ロケ6/2(火)。【あらすじ】春日大社の境内からスタート。鹿たちはせんべいを人間にはおねだりするが、絶対にせんべい屋には行かないのは謎。ツノの生えたカメが登場。タモテバコは「観光地・奈良はどう守られた?」。ここで、奈良の鹿愛護会の石川周さんが登場。ホルン演奏で、「鹿寄せ」(1891年、鹿保護のためにドングリの餌付けしたのが切っ掛け)の行事。鹿せんべいを持っていなかった時はシカトされたのに、持っていると迫って来る。鹿は奈良の重要な観光資源。奈良公園周辺に約1,100頭が生息し、国指定の天然記念物となっている。「鹿苑」(ろくえん)・・・1929年に完成した鹿(ケガ・妊娠など)保護施設。今回のテーマは「文化財の守り方」。奈良の大仏様でお馴染みの東大寺や、最新の修復現場を巡りつつ、1300年間、文化財を守り続けて来た技術と、奈良の人々の熱い思いにタモリさんが迫る。■ 「東大寺」ここで、東大寺の庶務係広報担当・鈴木公成さんが登場。□ 「南大門」・・・国宝、奈良時代に創建、鎌倉時代に再建。高さ25m。正面玄関に当たる。鹿たちも早朝営業。「金剛力士像」・・・国宝、鎌倉時代に運慶・快慶らが作った2体の像。2度の大きな火災(1180、1567年)に見舞われながらも、鎌倉時代、江戸時代(1709年)と繰り返し修復が行われ、現在にその姿を残して来た。東大寺を見れば、奈良がどう守られたか、よく分かる。今回、特別に大仏様に近づいて、よく見ると・・・その痕跡を発見!□ 「大仏殿」・・・国宝、高さ48m(初代ウルトラマン40mより少し高い)、瓦11万枚=1500t。戦国時代からの140年間は野晒(のざら)しだった。江戸時代、1692年に「開眼供養会」(かいげんくようえ)・・・大仏様の修復を終えた際に行われた法要。1カ月で当時、数十万人が訪れた。そこから観光地になって行った。1709年に再建完了。□ 「奈良の大仏」 [正式名「盧舎那仏坐像or盧遮那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)]・・・国宝、聖武天皇によって752年に完成。仏教の力で国を治めようとした。再建や修復の工夫の痕跡を見る。支柱(タテ方向)は、太い材木が無く、心材の外側を集成材で桶のように貼り合わせた、当時の最新技術。「柱の穴潜(くぐ)り」・・・集成材構造がよく分かる。梁(はり、ヨコ方向)は、「大虹梁」(だいこうりょう)・・・太さ1.4m・長さ23m・重さ20tの松の巨木。宮崎県から船運と7km陸運(人力=寄進引き)。3層構造の屋根裏には、大仏様を守り続ける驚きの巨大構造物が!瓦の頭が重く、明治時代に屋根が波打って倒壊しそうだったため、イギリス製の鉄骨トラスで補強。ここで、東大寺の庶務執事・橋村公英さんが登場。特別に大仏様の台座へとご案内。座部(腰から下の脚部)・・・仏様の絵が残っているのは奈良時代に造られた時の姿、その背後に絵がないのは鎌倉時代に修復。胸~胴部・・・戦国時代に修復。首から上の頭部・・・江戸時代に修復。□ 「天皇殿」・・・当初、東照宮として建てたが、明治時代からは聖武天皇を祀る。再建を支えた立役者とは、5代将軍・徳川綱吉。菊と葵が並んでいる。東大寺だけでなく、春日大社・法隆寺・唐招提寺なども歴代将軍が保護。観光地・奈良の存在は、徳川幕府によって守られた。■ 奈良を守っている修復作業の現場見学として---生駒市「長福寺・本堂」・・・重文、鎌倉時代に創建、解体し2016年秋には修復完了予定。ここで、奈良県文化財保存事務所の事務方・山下秀樹さんが登場。屋根の梁材を見ると、鎌倉時代のものは木目(年輪)が細かい良材、明治時代のものは粗い。使える限りは昔の材料を残すことが、文化財修理の基本。例えば、瓦で室町時代のものがあって、今も尚、踏んでも割れない。室町の瓦は歴史(鎌倉・室町・江戸・明治)を通して一番、ぶ厚く技術力が高い。ここで、奈良県文化財保存事務所の棟梁・堀之内宏昭さんが登場。そしてタモリさんが宮大工に弟子入り! 鉋(かんな)を引き、仮組を体験。200~300年先までタモリさんの作業状態が残ることになる。文化財修復の最新技術・・・制震ダンパー(地震の揺れを軽減。ネジ穴を開けることに葛藤しながら、重文で初導入を決断)。◇【参考】 私のブログ春の京都・奈良を訪れました。(2014/04/16春日大社、東大寺、法隆寺・中宮寺)霜月に、京都~奈良の旅(2009/11/13興福寺、薬師寺・唐招提寺)◇