◇息子宅から自宅に戻ろうと言う、
年末30日の早朝
階下から息子の咳が聞こえて来た
待てよ、息子…ソファで寝てる?
いやいや、寝室のはず…と、目をつぶるが又、咳が。
やっぱり間違いない
部屋のドアを開けて階下を見ると、ソファに横たわる息子
「どした? 咳が出てるけど」
「うん。熱が38度位あって風邪かも。薬も飲んだけど。」
8時過ぎ、日曜在宅病院へ向かう息子。
「どうだったか、連絡してね」
と、我々も自宅へ。
連絡が来て
「検査をしたけど、コロナでもインフルでも無かった。」
「疲れで風邪が入ったのかもね、大事にしてね」
◇こうして自宅で
新年の料理の支度を楽しんだ30日と31日
そして
年の変わった2024年1月1日元旦
叔父宅で4時間ほど正月を楽しんで戻った所で、息子からの電話
「MIOがコロナ陽性になった。自分も陽性だった。
母さん、父さんも気を付けて」
w(゚Д゚)wえーーーーーーーーーーーっ!
「あ、そうなんだ。みんな気を付けてね!
連絡をありがとう」
そして直ぐに
年末に外で立ち話をした友人
叔父と叔母にこの旨を連絡して謝罪。
大変なニュースが流れる中、我が家も大荒れです。
●熱を測ると微熱…やばくないですか、これ…
すぐにオットと離れ、マスクをし
寝室は端と端の部屋に分かれ、
ティシュなど使用したものはビニール袋に
お風呂はオットの後に
もう不要と片付けていた消毒用のアルコールを出し
消毒をしながら
思いつく限りの別居生活が始まりました
平屋ですが、過去の事情でトイレが2ヵ所
これからそれぞれが生活をする近くにあります。良かった。
「これからはスマホで好きな音楽を楽しめばいいよ」
とオットに言われ、そこはちょっとウキウキ♪
なのに…Wi-Fiの部屋から遠すぎて電波が届かず
気付いた時には大変な事になってた。
もうこの部屋で過ごす限りはスマホも無用の長物 泣
テレビも無いし…本を見る気にもならないし。
熱の出無い内にと買い物をして来てくれたオットだけど
インスタント…何故かしょっぱい😰
でも台所に立つ気にならない
●1月2日…オット・友人(電話)・親族(電話)→変わりなし
私→37度4分など、37度台をうろうろ。
頭痛らしきものは夜中に1度だけ。
咳は、思い出したようにコホコホ。
息子「嫁とRIOも陽性になった」 あちゃー😫
●1月3日…オット・友人(電話)・親族(電話)→変わりなし
私→微熱が続く
●1月4日…電話連絡をして、かかりつけの病院へ。
コロナの検査と肺炎の検査をお願いする
結果→①コロナ陽性
②肺炎 CRP検査→肺炎になる1歩手前の数値だった
薬を頂く(ラゲブリオカプセル200㎎)1日2回服用×5日分
陽性だった事をオット・友人・親族に伝えるも、皆変わりなし。
息子からもLineで
「父さんにうつらない事を切に願います。
体がダルくてキツイと思いますが、何とか頑張って下さい!
何かあったら連絡をして下さい」
「何とか乗り切って下さい!」
と、その必死さが伝わる。ありがとう。
この日から簡単な食事の支度をする。
3度の食事をインスタントで済ませていたオットの血糖値が上がった為。
たまのインスタントは有難いけど
糖尿を患う者にとっては、駄目なんだなぁ。
●1月5日・6日。熱が通常に。
別居生活続く。居間にいる時はマスク着用。
息子へLineで
「乗り切ったよ😊」
「安心しました。引き続き養生して下さいね」と、息子。
●1月7日。初めて必要な物だけ買い物をする。
オット・友人(電話)・親族(電話)→変わりなし
今回、濃厚接触者になった友人、親族ですが
友人には昨年大きな手術をしたご主人がおり
高齢者の叔父宅には、ワクチン接種をしていない叔母
しかも夫婦ともに90歳前後
もう一人の叔母も80代半ば
そして
心臓・腎臓・代謝内科と、かかりつけ医のいる身のオット。
誰をとっても
感染させる訳にはいかない!
どうか、感染しないで!と願っていました。
10日経った今も
オットや友人や親族も変わりないと言って貰った。
本当に良かった…
息子の家族も後遺症も無く、過ごしているとの事。
良かった、良かった。
◇もう縁遠くなったかと思えていたコロナですが
まだまだ密かに息づいています!
マスクも消毒からも、いつになったら解放されるのでしょう。
私も平熱に戻り
ようやく料理を作り、オットと一緒に食べ、部屋も寝室に戻し
Wi-Fiを通してスマホも見、テレビニュースも見る事が
出来る状態になりました。
念の為、今週いっぱいは自宅待機をするつもりです
正月早々から、荒れに荒れた我が家でした。
やはり健康が一番ですね。
◇長話になってしまいました
明日も幸せな一日でありますように
ではっ!
あびちゅ。の深夜便でした。