私の人生ひまつぶしです。
毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。
Al-Anon
9月13日
昔、あるところに、一組の夫婦がいた。立派な家に住み、私たちの多くが、幸福であるために重要と考える、相当の財産もあった。しかし二人は幸福ではなかった。一つか二つの、ちょっとした誤解で、状況をますます悪くした。二人の愛が憎しみに変わるまで、誰一人,彼らのはげしい議論に介入する余地を見いだせなかった。
遂に妻の方が、家の中にレンガの壁をつくり、お互いが自分の区画で生活することを主張した。二人はそれぞれ自分の道を行くことになった。そして生きている間、二度と口をきくこともなかった。それぞれの孤独の中で長年のあさましい年月を過ごしたのである。
📖 ことば
「昔、あるところに、一組の夫婦がいた。立派な家に住み、私たちの多くが幸福のために重要と考える、相当の財産もあった。しかし二人は幸福ではなかった。一つか二つの、ちょっとした誤解が状況をますます悪くした。二人の愛が憎しみに変わるまで、誰一人彼らの激しい議論に介入する余地を見いだせなかった。ついに妻は家の中にレンガの壁をつくり、お互いが自分の区画で生活することを主張した。二人はそれぞれ自分の道を行くことになり、生きている間、二度と口をきくこともなかった。それぞれの孤独の中で長年のあさましい年月を過ごしたのである。」
🔑 ポイントと解説
- 💔 「外側は豊かでも、心は貧しい」 — 家、財産、地位——私たちが「幸せ」だと思っているものは、心のつながりが壊れていれば、何の意味も持たない。物は心の隙間を埋めてはくれない。
- 🧱 「ちょっとした誤解が、壁になる」 — 最初はほんの小さなすれ違い、一言の行き違い。それをそのままにし、言い返し、反発し、譲らない——その積み重ねが、レンガを一つずつ積むように壁をつくっていく。壁は一日ではできない。毎日の小さな選択が、それを築いていく。
- 🚧 「壁は自分の手で築き、自分を閉じ込める」 — 相手を拒み、心を閉ざし、「これ以上入ってくるな」と線を引く。その壁は相手を遮ると同時に、自分自身も外に出られない檻になる。 向こう側からは開かない扉——それが怒り、プライド、執着の結末。
- 🕯️ 「長い年月、孤独の中で」 — 意地を張り、正しさを主張し続けた結果、手に入ったものは何だろう? 勝ったように見えて、実は両者が負けた。「自分は正しい」よりも、「関係が壊れないこと」の方が、はるかに大切なことがある。
🪞 直面と省察
- 直面:私の心の中に、壁はできていないだろうか? 「分かってくれない」「許せない」「あの人が悪い」——そう思うたびに、レンガを積んでいないだろうか? その壁は相手を遠ざけているだけでなく、私自身を孤独にしていないだろうか?
- 省察:最初はどんな小さなことだっただろう? それを和解させるチャンスはなかったか? 「自分からは言わない」「相手が謝るまで」——そのプライドが、どれほどの代償を払っているのだろう? 今、私が守っているものは「正しさ」か、それとも「関係」か?
🤔 考察と内省
- 考察:Al‑Anonが教えるのは、「相手を変えようとしても変わらない。けれど自分の心の壁は、自分で壊すことができる」ということ。壁は相手がつくったのではない。自分の反応、自分の選択、自分の執着がつくったもの。「譲る=負ける」ではない。「壁を壊す=自分を解放する」ことなのだ。
- 内省:「私は今、誰に対して心を閉ざしているだろう? その壁の向こうに、何があるのだろう? もし壁がなかったら、私はどう接するだろう? 長い年月が経ってから後悔する前に、今、最初のレンガを取り外すことはできないだろうか?」
⚠️ 問題と解決
- 問題:「相手が悪いから、私は悪くない」——正しさにこだわり、歩み寄ることを拒む。「謝ったら負け」「分かってもらえない」と決めつけ、自分から心を閉ざす。一度壁ができると、「今さら言い出せない」と、どんどん長引かせてしまう。
- 解決:① 「正しさより、平安を選ぶ」——どちらが正しいかより、どうすれば心が平安でいられるかを選ぶ。② 「最初の一歩は自分から」——相手が変わるのを待たない。自分の心の壁を、自分が壊す。③ 「小さなレンガから壊す」——一度に全部できなくてもいい。一言、一つの態度、一つの笑顔から始める。④ 「過去は変えられない、けれど今から変えられる」——長い年月が経っていても、「今」が新しい始まり。
✅ 今日一日の行動
- 心の中に壁を感じる人のことを思い、「本当は分かり合いたい」と願う。
- 「相手が悪い」と思ったとき、一呼吸おいて「私は何を選ぶ? 正しさ? それとも平安?」と自問する。
- 小さな一歩——「おはよう」「ありがとう」——ただ一言、声をかける。それがレンガを一つ取り外すことになる。
- 「今さら遅い」と思わない。今日が最初の日。
- 夜、「今日、私は壁を積んだ日か、それとも壊した日か」を振り返り、平安を選んだ自分を認める。
🙏 祈り
「平安の神よ。私の心の中に築いた壁に、私自身が閉じ込められていることに気づかせてください。プライドや怒り、執着から私を解放し、歩み寄る勇気を与えてください。正しさを主張するよりも、心の平安と、人との絆を大切にできる私になれますように。壁を壊し、和解への道を開いてください。アーメン。」
🤍 Al‑Anon・回復の視点
- 「壁は自分自身を閉じ込める」 — 家族の問題、アルコールの問題の中で、私たちはよく「相手を責め、心を閉ざす」という方法で自分を守ろうとする。だがその壁は、結局自分自身を孤独にするだけ。相手を変えようとする努力をやめ、自分の心の壁に気づき、それを壊すこと——それがAl‑Anonの最初の一歩。
- 「ちょっとした誤解が、一生の断絶になる」 — アルコール依存症の家庭では、小さなすれ違いが大きな溝になりやすい。言い返し、責め、批判し、それが積み重なって、言葉すら交わせなくなる。「今、和解する」——その決断を先延ばしにしないこと。
- 「愛は壁をつくらない」 — 愛とは「自分の言い分を通すこと」ではなく、「相手の立場を感じ、心を開いて待つこと」。Al‑Anonは「相手を受け入れ、自分は変わる」ことを教えてくれる。壁を壊すのは、いつも自分から。それが最も難しく、最も強い愛の形なのです。
- 「遅すぎることはない」 — 何年、何十年経っていても、「今」が始まり。「もう遅い」というのは、自分自身への言い訳。一つのレンガを取り外す勇気——それが、両者を救うのです。
「レンガの壁は、相手がつくったのではない。自分の怒り、プライド、譲れない思いが、一つずつ積み上げたもの。それは相手を閉じ出すと同時に、自分自身をも閉じ込める。正しさよりも平安を選ぶとき、最初のレンガは崩れ始める。今、その手を伸ばそう。遅すぎることは、決してないのだから。」
私は無意識のうちに私と配偶者の間に壁を作っているだろうか。それはかたくなさ、自我,独善,罰せずにはいられないという気持で作られているだろうか? このような壁は本物のレンガで作られた壁のように、固くてなかなか取りはずせない。それは私に成長する場所を与えてくれない。
あるメンバーが次のように言っている。
「神様、私が厚い塀のように作りあげてきた誤ちを認める賢さを与えて下さい。このような壁は愛によってでさえも突き通すことができないように思われます。」
📖 核心の問いと祈り
「私は無意識のうちに、配偶者との間に壁を作っているだろうか。それはかたくなさ、自我、独善、『罰せずにはいられない』という気持ちで作られていないだろうか? この壁はレンガの壁のように固く、なかなか取り外せない。それは私に成長する場所を与えてくれない。
「神様、私が厚い塀のように作りあげてきた過ちを認める賢さを与えてください。このような壁は、愛によってさえも突き通すことができないように思われます。」
🔑 ポイントと解説
🧱 壁の材料 — 目に見えないレンガたち
- かたくなさ — 「私は変わらない、私は正しい」と心を閉ざすこと。意見が違っても歩み寄る隙間を自ら塞いでしまう。
- 自我 — 「私が中心、私の気持ちが一番」。相手の痛みや立場より、自分のプライドや欲求を優先する。
- 独善 — 「私が正しく、相手が間違っている」と決めつけ、相手の言い分を最初から聞こうとしない。
- 罰する心 — 「相手が悪いから、謝るまで、変わるまで、冷たくする、無視する、心を閉ざす」。これは「正義」ではなく、自分の怒りを相手に押しつけること。罰することで自分は満足するかもしれないが、関係は凍りついたままになる。
🔒 「愛でさえも突き通せない壁」
- これが一番痛い事実。どれほど相手が愛を注いでも、自分の側に心を閉ざす壁がある限り、愛は届かない。壁は相手の愛をはね返し、自分自身の心も守っているように見えて、実は自分自身の成長をも止めてしまう。
- 「成長する場所を与えてくれない」——壁の中にいる限り、自分の弱さ、偏り、思い込みに気づく機会が来ない。向き合うべきものから逃げ続け、同じ場所に立ち止まったままになる。
🙏 「過ちを認める賢さを」 — 最初の一歩は認めること
- 壁が厚くても、「私が作ったのだ」と認めることができた瞬間、壁はすでに少し揺らぎ始める。「私が悪い」と自分を責めるのではなく、「私はこういう心で壁を作っていた」と事実を受け入れる——それが賢さであり、最初の突破口。
🪞 直面と省察
- 直面:私の心の壁の材料は何だろう? かたくなさ? 自我? 独善? それとも「罰してやる」という気持ち? 相手が近づこうとしてくれたとき、私はどう反応しているだろう? 無意識のうちに、はね返していないだろうか?
- 省察:「罰せずにはいられない」とき、私は何を求めているのだろう? 謝罪? 屈服? それとも「私の痛みを分かってほしい」という叫びなのだろう? だとしたら、罰することで、それは本当に伝わるだろうか? それとも、ただ距離が遠くなるだけではないだろうか?
🤔 考察と内省
- 考察:Al‑Anonが繰り返し教えるのは、「相手を変えようとする限り、壁は壊れない。自分の心の壁に気づき、自分から手をつけるとき、初めて状況は変わり始める」ということ。壁は相手が作ったのではない。自分の反応パターン、心の傾向が積み上げたもの。「愛でさえも突き通せない」のは、相手の愛が足りないからではなく、自分の側に受け入れる扉が閉まっているから。
- 内省:「私はいつから壁を作り始めたのだろう? 最初のレンガは何だったのだろう? それを今、手に取ることができるだろうか? 『私が変わることは負けることだ』と思っていないだろうか? それは本当にそうだろうか?」
⚠️ 問題と解決
- 問題:「相手が悪いから、私が心を閉ざすのは当然」——これは正当化。かたくなさ、独善、罰する心を「正しさ」とすり替え、自分自身の成長を止めてしまう。また、「今さら遅い」「どうせ変わらない」と諦め、壁を永遠のものにしてしまう。
- 解決:① 「私が作った壁だ」と認める——これが一番難しく、一番大事な一歩。② 「正しさ」より「平安」を選ぶ——どちらが正しいかではなく、どうすれば心が平安でいられるかを選ぶ。③ 罰する心を手放す——相手を罰しても自分の痛みは消えない。痛みを癒すのは、罰ではなく理解と歩み寄り。④ 小さな一歩から——いきなり全部壊そうとしなくていい。「おはよう」「ありがとう」——一言が、レンガ一つ分の突破口になる。
✅ 今日一日の行動
- 自分の心の中の壁に、名前をつけてみる。「かたくなさ」「自我」「独善」「罰する心」——どれが一番厚いだろう?
- 相手に対して「罰してやる」と思ったとき、一呼吸おいて「これは私の壁を厚くしているだけではないか?」と自問する。
- 「私が正しい」と思った瞬間、「もし私が間違っているとしたら? 相手の立場から見たらどう見えるだろう?」と自分に問う。
- 壁を壊す小さな一歩——相手の良いところを一つ、心の中で認める。口に出せたら、それでもっと良い。
- 夜、「今日、私は壁を積んだ日か、それとも一つ取り外した日か」を振り返り、神に委ねる。
🙏 祈り
「神よ。私が無意識のうちに築き上げた心の壁に、私自身が気づく賢さを与えてください。かたくなさ、自我、独善、罰する心——それらがどれほど固い壁になっているかを教えてください。愛でさえも突き通せないその壁を、私自身の手で少しずつ壊す勇気を与えてください。正しさよりも平安を、批判よりも理解を、罰するよりも赦す心を。私の心が再び開かれ、人と共に生きられるように。アーメン。」
🤍 Al‑Anon・回復の視点
- 「壁は自分自身のためにもならない」 — 相手を閉め出している間、自分も同じく閉じ込められている。かたくなな心は、相手を傷つける以上に自分自身の成長を止め、心の平安を奪う。回復とは、自分の心の壁に気づき、それを手放すことから始まる。
- 「『罰する』は自分の痛みを癒さない」 — 「相手が悪い」と思い、相手を罰するように距離を置いたり冷たくしたりしても、自分の中の怒りや痛みは消えない。むしろ増幅する。痛みを癒すのは、相手を変えることでも罰することでもなく、自分自身の心を癒すこと。
- 「愛が届かないのは、相手の愛が足りないからではない」 — どれほど愛されても、自分の側に受け入れる心がなければ、愛は届かない。壁の問題は相手の側にあるのではなく、自分の側にある。それを認めることが、回復の最大の鍵。
- 「一つずつ、壊していけばいい」 — 厚い壁を一日で全部壊すことはできない。でも、一日一つずつレンガを取り外していけば、必ず光が差し込んでくる。「今日は一つだけ」——それで十分。その積み重ねが、いつか壁をなくしてくれる。
「かたくなさ、自我、独善、罰する心——それらは目に見えないレンガ。愛でさえも突き通せないほど固く積まれたその壁は、実は自分自身の手で築かれたもの。だからこそ、自分自身の手で壊すことができる。最初の一歩は、『私が作ったのだ』と認めることから。その瞬間、壁はすでに揺らぎ始めている。」
観想、黙想、瞑想の違いと使い分け
まず、三者はいずれも心を整え内面と対話する手法ですが、目的やアプローチに違いがあります。
三者の違い
- 観想:
「見つめる・省みる」ことを中心に、特定の対象(自分の問題点、ハイヤーパワーの導き、価値観など)に意識を向け、深く理解したり導きを感じ取ったりすることを目的とします。
対象に対して能動的に関わりながら内省する特徴があります。
- 黙想:
「静かに考える・沈黙の中で思索する」ことがポイントで、言葉や概念を使いながら、人生観や信仰、哲学的な問いなどを深く考える手法です。
宗教的な文脈で使われることも多く、信仰に基づいて真理を模索する場面で用いられます。
- 瞑想:
「心の乱れを静め、無心や集中状態を目指す」ことが主な目的で、呼吸や一点に意識を集中させたり、思考の流れに執着せずに観察したりすることで、心身のリラクゼーションや精神の安定を得ます。
ストレス解消やマインドフルネスなど、現代では健康目的でも広く用いられています。
使い分け方
- 観想:
自分の問題点を明らかにしたい、何かの導きを求めたい、特定の目標に向けて内面を整理したい場合におすすめです。
- 黙想:
人生について深く考えたい、信仰について思索したい、哲学的な問いに答えを探したい場合に適しています。
- 瞑想:
ストレスを解消したい、心を落ち着かせ集中力を高めたい、心身のバランスを整えたい場合に効果的です。
12のステップ
これらのステップの学びは、Al-Anonプログラムの中で成長のために欠くことのできないものである。
具体的に表現された原理は、個人的な信条にかかわらず、普遍的で誰にでもあてはまる。Al-Anonの中で、私達がこれらのステップを常に、もっと深く理解しようと努力し、この賢さが私達の生活に生かされることを祈る。
1. 私達はアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
2.私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった。
3.私達の意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮の下に置く決心をした。
4、探し求め、恐れることなく、生きてきたことの棚卸表を作った。
5.神に対し、自分自身に対し、いま一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
6.これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
7. 自分の短所を変えて下さい。と謙虚に神に求めた。
8.私達が傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人達に埋め合わせをする気持ちになった。
9.その人達、または他の人々を傷つけない限り、機会あるたびに直接埋め合わせをした。
10. 自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤った時は直ちに認めた。
11. 自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を祈りと黙想によって求めた。
12.これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話を他の人達に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。
12の伝統
これらのガイドラインは、アラノングループと世界に広がるアラノン全体のフェローシップの調和と成長を促進する方法である。 私達のグループの経験では、アラノングループの一体性はこれらの伝統に忠実であることによると提議している。
1. 第一にすべきは共同の善である。多数の個々の成長は一体性にかかっている。
2. 私達のグループの目的のための権威はただ一つ、グループの意識の中に自分を現される、愛なる神である。私達のリーダーというのは、 支配する者ではなく、奉仕の任務をゆだねられた人にすぎない。
3. アルコール依存症者の関係者が相互援助のために集まる時、グループとして他の団体、組織に合同しないという条件のもとに自分達自身をアラノン家族グループと呼ぶことができる。メンバーであるために要求される唯一のことは、関係者または友達の中にアルコール依存症の問題をかかえた人がいるということだけである。
4. 各グループは完全に自律的でなければならない。但し、他のグループ、またはアラノン全体、またAA全体に影響を及ぼす事柄においてはこの限りではない。
5. それぞれのアラノングループの目的はただ一つ、アルコール依存症者の家族を手助けすることである。私達はAAの12のステップを私達自身が実践することで、またアルコール依存症者の家族を温かく迎え、勇気づけ理解し、なぐさめを与えることによって行うのである。
6. アラノングループは、いかなる関係でも施設や外部の企業に対し、 裏書きや融資やアラノンの名前を貸すことをしてはならない。金銭や所有権や名声の問題が、私達を第一の霊的な目的からそれさせる恐れがあるからである。私達はAAとは別の共同体であるが、 常にAAと協力するものである。
7. すべてのアラノングループは外部からの寄付を辞退して、自立しなければならない。
8. アラノンの12番目のステップの仕事は、どこまでも非職業的でなければならない。しかし、私達のサービスオフィス (G.S.O.) では専従の職員を置くことができる。
9. このようなアラノングループは決して組織化されてはならない。 しかし、私達が奉仕する人々に対して責任を取るものとして、サービスの機関または委員会を作ることができる。
10. アラノングループは外部の問題には意見をもたない。したがって、 アラノンの名は公の論争で引き合いに出されるべきではない。
11. 私達の広報活動は奨励するよりも、引きつける魅力に基づく。新聞、ラジオ、テレビ、そして映画の分野で、私達はいつも個人名を伏せるべきである。私達はすべてのAAメンバーのアノニミテイ(無名)を、細心の注意をもって守らなければならない。
12. アノニミティは私達の伝統の霊的基礎をなす。それは各個人よりもアラノングループの原理が優先すべきことを、いつも私達に思い起こさせるものである。
サービスのための12のコンセプト
サービスのための12のコンセプト
12のステップと伝統は、個人の成長と、グループの一体性のガイドである。12のコンセプトはサービスのガイドである。12番目のステップの在事がどのように明確な基準の上に行われることができるのか、そしてワールドサービスオフィスのメンバーがワールドサービスを通して、どのようにグループと関係を持つことができるか示している。
1. アラノン・ワールド・サービスに対する最終的責任と権威はアラノン・グループにある。
2. アラノン家族グループは、自分達のコンファレンス(国内会議)と、 そのサービス機関に完全なる行政管理と運営の権威をゆだねる。
3. 決定権は効果的なリーダーシップを可能にする。
4. 参加することが調和への鍵である。
5. 請願権と訴える権利は、少数意見を保護し、その人達の意見が聴かれることを保証する。
6. コンファレンス(国内会議)は、行政面での基本的責任はボード (理事会)にあることを認める。
7. ボード(理事会)は、法的な権限を有する。一方、コンファレンス(国内会議)の権限は伝統的である。
8. ボード(理事会)はアラノン本部の日常の運営に関する権限をエグゼキュティブ・コミティ(諮問委員会)にゆだねる。
9. どんなサービスのレベルにおいても人としての良いリーダーシップが必要である。ワールド・サービスのレベルでは、ボード(理事会)が首位のリーダーシップを取る。
10. サービスにおける責任は、注意深く定められたサービスの権威によって好ましい状態に保たれる。二つの権威による運営は避ける。
11. W. S. O. (ワールド・サービス・オフィス)はスタンディング・コミティ(各委員会)と、エグゼキュティブ(行政担当者) とスタッフ(職員)によって構成される。
12. アラノン・ワールド・サービスの霊的基礎は、会議の憲章12条の一般的な保証(1-5)の中に表されている。
一般的な保証(会議の憲章12条)
一般的な保証(会議の憲章12条)
あらゆる行為においてアラノンのワールドサービスコンファレンスは次の伝統の精神を守っていく。
1. コンファレンスの公正な財政の原則は、運営に必要な財源とそれに伴う十分な備蓄である。
2. コンファレンス・メンバーは誰一人として他のメンバーに対して、 公認されていない権威をもたない。
3. あらゆる決定は討論と投票によって、そして可能な限り実質的満場一致をもってなされる。
4. コンファレンスのどんな議決も個人を罰したりはしないし、また公の論争をあおり立てたりもしない。
5. コンファレンスはアラノンに奉仕をするが、決して統治するような行動はとらない。そしてその奉仕するアラノン家族グループ共同体のように、思想、行動において常に民主的であり続ける。
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