私の人生ひまつぶしです。
毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。
Al-Anon
9月6日 私は、Al-Anonのプログラムを生きてみようと努力したか?それならきっと、私は他の人たちを自分の思うようにコントロールしようとする傾向を克服することを学んでいるはずである。他人を支配したり、策動したり、操縦したりすることは、私自身の敗北を招くだけである。
私は、アルコール依存症者の行動をさまたげたり、監督したり、説諭したり、彼の責任をひき取ったりはすまい。私がそうであるのと同じに、彼もまた自分で決める自由があるはずだし、まちがった決断をした場合には、そのために苦しまなければならないのはその人なのである。
たぶん私は、家族のために規準を定め、それに従って生きるように、 まわりの人たちに強制する権利と義務が自分にあると思っていた。Al-Anonに来て、もっとよい方法を私たちは学んだ。ここにこの状況を明らかにさせる、偉大な小説家トルストイからの生き生きとした描写がある。
📖 核心
他人を支配・操縦・管理しようとするとき、それは自分自身の敗北を招くだけ。アルコール依存症者の行動を遮ったり監督したり、その責任を代わりに引き取ったりしない。彼には彼の選択の自由があり、間違えば彼自身が苦しむ。私は自分の生き方を整える。それがAl‑Anonの教える「もっとよい方法」である。
🔑 ポイントと解説
- 「コントロールしようとする心が、自分を苦しめる」
相手を変えよう、思い通りにしよう——その努力は、自分自身を消耗させ、結局はうまくいかない。他人を支配しようとすることは、自分自身の敗北。相手も苦しみ、自分も心の平和を失う。
- 「干渉・監督・説教・肩代わり——すべては本人の成長を奪う」
飲酒を止めさせよう、問題を代わりに解決しよう、失敗を先回りして防ごう——それは本人が自分の行動の結果を受け止め、学ぶ機会を奪うこと。「彼も自分で決め、自分で責任を負う自由がある」——それが尊重されるべき。
- 「自分の権利は、自分の生き方にのみ及ぶ」
家族のためにと、自分の基準を押しつけ、強制してきた——それは自分のエゴだった。Al‑Anonの「もっとよい方法」とは、他人を変えようとするのではなく、自分自身の在り方を整えること。
🤔 直面と省察
- 今日、誰かの行動をコントロールしよう、変えようとしていませんか?
- 「相手のため」と言いながら、自分の不安や期待を押しつけていませんか?
- 相手の失敗や痛みを、先回りして代わりに受け止めていませんか? それは本当に相手のためですか?
- 「彼が変われば私は幸せ」——その考えから離れられますか?
- 自分の責任の範囲と、相手の責任の範囲——線を引けていますか?
💭 考察と内省
- 「愛と干渉は違う」
愛する人の苦しみを見るのはつらい。だからといって、その人の人生を代わりに生きることはできない。「見守る」ことは、「手を出さない」ことと同じくらい、大きな愛であり、勇気のいること。
- 「他人の自由を尊重することは、自分の自由を取り戻すこと」
相手をコントロールしようとするとき、実は自分もその人に縛られている。相手の選択を認め、手を放したとき——初めて自分も、その人も、それぞれの道を歩き始められる。
- 「自分の務めは、自分の生き方を示すこと」
言葉で説得するのではなく、自分自身が誠実に、穏やかに、責任を持って生きる姿を見せる。それが何よりも強い影響であり、何よりも尊重された関係の始まり。
🔄 AA/Al‑Anonの原理とメッセージ
- 「境界線を引く——自分の責任と他人の責任を分ける」——Al‑Anonの核心。「私の責任は私自身の生き方。相手の責任は相手自身の選択と結果。」 この線が曖昧なとき、共依存は深まり、双方の回復は妨げられる。
- 「手放すことは、見捨てることではない」——コントロールを手放しても、愛し、見守り、必要なときに誠実に接することはできる。「相手を信じて任せる」——それが真の支援。
- 「平和は自分の内側から来る」——相手の行動次第で自分の気持ちが乱されるとき、自分の平和を相手に預けている状態。自分の反応、自分の態度、自分の選択——それだけは自分で選べる。そこに平和の基盤がある。
- 「変えられるものと、変えられないものを識別する」——Al‑Anonの「静かな祈り」そのもの。他人を変えることはできない。自分の心と生き方だけを変えられる。その違いを知ることが、心の自由への道。
📅 今日一日の行動
- ✅ 「これは私の問題? それとも相手の問題?」——一つ一つ確認し、線を引く
- ✅ 相手の行動を変えようとしたり、先回りして手を出したりする前に、一呼吸おいて「手放す」と心の中で言う
- ✅ 自分の不安を相手にぶつけるのではなく、自分で受け止める
- ✅ 自分が正しいと思う生き方を、言葉ではなく行動で示す
- ✅ 「相手には相手の道がある」——そう信じて、見守る勇気を持つ
🙏 祈り
「神よ、他人をコントロールしようとする私の心の傾向を取り除いてください。変えられないものを受け入れ、変えられる自分自身に集中する勇気を与えてください。愛する人の選択と自由を尊重し、その人の道を見守ることができますように。私の平和を、他人の行動に左右されることのない、内なる平和とさせてください。アーメン。」
💛 まとめ
他人を支配しようとする努力は、自分自身を敗北させるだけ。干渉も監督も肩代わりも、本人の成長を奪う。それぞれに選ぶ自由があり、それぞれが自分の選択の結果を負う。私は自分の生き方を整え、自分の務めを果たす。手放すことは見捨てることではなく、相手を尊重し、自分自身も自由になること。それがAl‑Anonの教える、もっとよい生き方なのだ。
観想
私はある男に肩車をしてもらっている。彼の首を締めたり緩めたりしながら、私を担かせている。にもかかわらず他の人達の目には、私が彼に対してとても同情していて、どんな方法をとっても彼の肩から降りる以外の―彼のこの任務を柔らげてあげたいと思っているように見せるよう、細心の注意を払っている。
📖 核心
私は男に肩車をしてもらっている。その首を締めつけ、自分から降りることもせず、彼の負担を増やし続けている。それなのに周りには「私は彼を同情し、助けている」と見せかけている——これが、共依存の関係の真実である。
🔑 ポイントと解説
- 「肩車=相手に依存し、相手も自分に依存させている状態」
自分の足で立たず、相手に負担をかけ続けている。首を締めたり緩めたり——つまり、相手を支配し、操作し、自分の思い通りにさせている。「助けている」「支えている」は見せかけ。実は、相手を担がせたままにし、自分が支配しているだけ。
- 「同情の仮面 — 本当は自分のための行動」
「かわいそう」「何とかしてあげたい」——それは本当の思いやりではない。相手を肩から降ろさないこと、つまり「相手の世話を焼き続けること」で、自分自身の存在意義、安心感、優越感を得ている。 相手のためではなく、自分のための関係になっている。
- 「お互いの成長を奪う」
担がれている人は、自分で歩く機会を失う。担いでいる人は、自分の人生を生きる機会を失う。「降りる」こと——それは共依存の関係を解き、それぞれが自分の足で立つこと。それが本当の思いやりであり、真の支援なのだ。
🤔 直面と省察
- 「世話を焼く」「手を貸す」という行動の中に、相手を支配したい、手放したくないという気持ちはありませんか?
- 「私がいなければこの人はだめになる」——そう思っている自分は、実は相手に依存していませんか?
- 「かわいそう」という気持ちは、本当の同情ですか、それとも自分の不安や優越感から来ていませんか?
- 相手を「肩から降ろす」——つまり、相手の問題を相手に返し、自分の足で立ってもらうことに、恐れはありませんか?
- 「降りる勇気」——それは相手を信じることでもあります。それができますか?
💭 考察と内省
- 「世話を焼くこと=愛ではない」
相手のためにならないことを「愛」と呼ぶのは、自分自身を騙しているだけ。本当の愛は、相手が自分の足で立ち、自分の人生を歩むことを尊重すること。肩車をやめること——それは痛みを伴っても、相手の成長のために必要なこと。
- 「支配は、愛の反対」
相手を思い通りにしたい、手の届く範囲に置いておきたい——それは愛ではなく、執着であり、支配欲である。首を締めながら「愛している」と言っても、相手は息が詰まるばかり。
- 「自分も降りる必要がある」
相手を担いでいる人も、自分の足で立っていない。相手の問題に自分の人生が飲み込まれ、自分自身の人生を生きられなくなっている。「お互いがそれぞれの足で立つ」——それが健康な関係の始まり。
🔄 Al‑Anon/AAの原理とメッセージ
- 「共依存の構造を見抜く」——Al‑Anonが明らかにするのは、「世話を焼く側」にも病的な関係があること。相手を支配し、問題を肩代わりすることで、自分自身の不安を埋め合わせている。「助ける」という名の共依存こそ、双方の回復を妨げる最大の壁。
- 「境界線を引く=肩から降りること」——相手の問題を相手に返す。「私はあなたの問題を解決できない。あなた自身が向き合う必要がある」——それは冷たさではなく、誠実さであり、尊重である。
- 「手放すこと=支配をやめること」——相手の行動、選択、結果をコントロールしようとするのをやめる。「相手には相手の人生があり、相手の自由がある」——それを認めることが、自分自身の心の平和を取り戻す道。
- 「自分自身の人生を生きる」——相手のために生きるのではなく、自分自身の人生の責任を負う。自分が満たされて初めて、相手に本当の支援ができる。
🙏 祈り
「神よ、相手を支配し、世話を焼くことで自分の安心感を得ようとしていた私の心を正してください。同情の仮面の下に隠された、自分のエゴと不安に気づかせてください。相手を肩から降ろし、それぞれが自分の足で立つ勇気を与えてください。手放すことが愛であることを教え、自分自身の人生を誠実に生きることができますように。アーメン。」
💛 まとめ
肩車のたとえは、共依存の真実を鮮やかに映し出す。「助けている」「同情している」は見せかけ。実は相手を支配し、自分の思い通りにし、自分の安心感のために相手を縛りつけているだけ。本当の思いやりとは、相手を肩から降ろし、自分の足で立つことを信じて見守ること。手放すことは見捨てることではなく、それぞれの自由と成長を取り戻すことなのだ。
「他の人々のその一人ひとりの生命の存在の中に与えられている尊厳と独立の権利を認められるように導いて下さい。私のものを人々に認めてほしいと同じように。」
📖 核心
「他の人ひとりひとりに与えられた尊厳と、独立して生きる権利を認められるように導いてください。私自身の尊厳と自立が認められることを願うのと、まったく同じように。」
🔑 ポイントと解説
- 「尊厳と独立は、すべての人に等しく与えられたもの」
私には私のままで生きる価値と権利があるように、他の人にもその人らしく生きる尊厳と独立の権利がある。「私はこうだから、あなたもこうあるべき」——それは尊厳を認めていない証拠。
- 「認めてほしいものを、まず相手に与える」
「私の気持ちをわかってほしい」「私の生き方を尊重してほしい」——そう願うなら、まず自分から相手の尊厳と自由を認める。自分が求めるものこそ、先に相手に差し出す。
- 「支配も干渉も、尊厳を奪う行為」
相手を思い通りにしよう、管理しよう、先回りして守ろう——それは「この人には自分で選ぶ力がない」と決めつけ、その人の尊厳を奪うこと。「その人のままでいい」「その人の選択を尊重する」——それが本来の、人との関わり方。
- 「同じ重さの権利」
私の権利は、相手の権利よりも大きくも小さくもない。対等であり、同じだけ尊重されるべき。「私のためにあなたが合わせる」のではなく、それぞれがそれぞれの道を歩き、互いを認め合う。
🤔 直面と省察
- 相手の生き方や選択を、「自分ならこうする」という基準で批判したり修正したりしていませんか?
- 「私が正しい」「私のほうが相手のためになる」——そう思うこと自体が、相手の尊厳を否定していませんか?
- もし自分が同じように干渉され、自分の選択を否定されたら、どう感じますか?
- 「この人はこの人のままで価値がある」——心からそう言えますか?
- 相手の独立を認めることは、「相手を放っておく」ことではなく、「相手を信じる」ことだと受け止められますか?
💭 考察と内省
- 「尊重とは、違いを認めること」
相手が自分と同じである必要はない。考え方も感じ方も生き方も違ってよい。違いを欠点と見るのではなく、その人の尊厳の一部として受け入れる。それが「認める」ということ。
- 「独立の権利=自分で選び、自分で結果を受ける権利」
間違う権利も、遠回りする権利も、自分と違う道を選ぶ権利も、すべてその人の尊厳の一部。それを奪うことは、その人の人生そのものを奪うこと。見守ることこそ、最大の敬意。
- 「自分の尊厳も、相手の尊厳も同じ源から来る」
私が私であるように、相手も相手である。どちらも同じように、命を与えられ、生きる権利を持っている。だからこそ、相手を認めることは、自分自身の尊厳を守ることにもなる。
🔄 Al‑Anon/AAの原理とメッセージ
- 「境界線=それぞれの尊厳の線」——Al‑Anonの「手放す」とは、相手の尊厳と独立を認めること。「私の責任は私の生き方。あなたの責任はあなたの選択」——この線こそが、互いの尊厳を守る。
- 「変えられないものを受け入れる=相手の尊厳を認めること」——静かな祈りの「変えられないものを受け入れる」とは、相手を変えようとせず、そのままの存在を認めること。それができたとき、心の平和は訪れる。
- 「平等な人間関係」——共依存の関係は、どちらかが上でどちらかが下。Al‑Anonが目指すのは、対等な関係。「私はあなたを支配しない。あなたも私に従わなくてよい。それぞれが独立し、それぞれの尊厳を持つ」——それが健康な人間関係。
- 「自分自身の尊厳も守る」——相手の尊厳を認めることは、自分の尊厳を犠牲にすることではない。私も私のままでいてよい。私の選択も私の人生も、同じように尊重されるべき。
🙏 祈り
「神よ、すべての人に与えられた尊厳と独立の権利を認め、尊重する心を与えてください。私自身が認めてほしいと願うものを、まず他の人に与えることができますように。人を支配したり干渉したりする心を捨て、それぞれの人がその人らしく生きることを信じて見守る勇気をください。互いの尊厳を認め合い、平和に生きることができますように。アーメン。」
💛 まとめ
すべての人に、生まれながらにして尊厳と独立の権利がある。それは私に認められているものと、まったく同じもの。相手を自分の思い通りにしようとするとき、その尊厳を踏みにじっている。私が自分のままでいたいように、相手も相手のままでいてよい。それぞれの自由を認め、それぞれの道を尊重する——それが、人としての最も基本的な思いやりであり、心の平和への道なのだ。
観想、黙想、瞑想の違いと使い分け
まず、三者はいずれも心を整え内面と対話する手法ですが、目的やアプローチに違いがあります。
三者の違い
- 観想:
「見つめる・省みる」ことを中心に、特定の対象(自分の問題点、ハイヤーパワーの導き、価値観など)に意識を向け、深く理解したり導きを感じ取ったりすることを目的とします。
対象に対して能動的に関わりながら内省する特徴があります。
- 黙想:
「静かに考える・沈黙の中で思索する」ことがポイントで、言葉や概念を使いながら、人生観や信仰、哲学的な問いなどを深く考える手法です。
宗教的な文脈で使われることも多く、信仰に基づいて真理を模索する場面で用いられます。
- 瞑想:
「心の乱れを静め、無心や集中状態を目指す」ことが主な目的で、呼吸や一点に意識を集中させたり、思考の流れに執着せずに観察したりすることで、心身のリラクゼーションや精神の安定を得ます。
ストレス解消やマインドフルネスなど、現代では健康目的でも広く用いられています。
使い分け方
- 観想:
自分の問題点を明らかにしたい、何かの導きを求めたい、特定の目標に向けて内面を整理したい場合におすすめです。
- 黙想:
人生について深く考えたい、信仰について思索したい、哲学的な問いに答えを探したい場合に適しています。
- 瞑想:
ストレスを解消したい、心を落ち着かせ集中力を高めたい、心身のバランスを整えたい場合に効果的です。
12のステップ
これらのステップの学びは、Al-Anonプログラムの中で成長のために欠くことのできないものである。
具体的に表現された原理は、個人的な信条にかかわらず、普遍的で誰にでもあてはまる。Al-Anonの中で、私達がこれらのステップを常に、もっと深く理解しようと努力し、この賢さが私達の生活に生かされることを祈る。
1. 私達はアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
2.私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった。
3.私達の意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮の下に置く決心をした。
4、探し求め、恐れることなく、生きてきたことの棚卸表を作った。
5.神に対し、自分自身に対し、いま一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
6.これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
7. 自分の短所を変えて下さい。と謙虚に神に求めた。
8.私達が傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人達に埋め合わせをする気持ちになった。
9.その人達、または他の人々を傷つけない限り、機会あるたびに直接埋め合わせをした。
10. 自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤った時は直ちに認めた。
11. 自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を祈りと黙想によって求めた。
12.これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話を他の人達に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。
12の伝統
これらのガイドラインは、アラノングループと世界に広がるアラノン全体のフェローシップの調和と成長を促進する方法である。 私達のグループの経験では、アラノングループの一体性はこれらの伝統に忠実であることによると提議している。
1. 第一にすべきは共同の善である。多数の個々の成長は一体性にかかっている。
2. 私達のグループの目的のための権威はただ一つ、グループの意識の中に自分を現される、愛なる神である。私達のリーダーというのは、 支配する者ではなく、奉仕の任務をゆだねられた人にすぎない。
3. アルコール依存症者の関係者が相互援助のために集まる時、グループとして他の団体、組織に合同しないという条件のもとに自分達自身をアラノン家族グループと呼ぶことができる。メンバーであるために要求される唯一のことは、関係者または友達の中にアルコール依存症の問題をかかえた人がいるということだけである。
4. 各グループは完全に自律的でなければならない。但し、他のグループ、またはアラノン全体、またAA全体に影響を及ぼす事柄においてはこの限りではない。
5. それぞれのアラノングループの目的はただ一つ、アルコール依存症者の家族を手助けすることである。私達はAAの12のステップを私達自身が実践することで、またアルコール依存症者の家族を温かく迎え、勇気づけ理解し、なぐさめを与えることによって行うのである。
6. アラノングループは、いかなる関係でも施設や外部の企業に対し、 裏書きや融資やアラノンの名前を貸すことをしてはならない。金銭や所有権や名声の問題が、私達を第一の霊的な目的からそれさせる恐れがあるからである。私達はAAとは別の共同体であるが、 常にAAと協力するものである。
7. すべてのアラノングループは外部からの寄付を辞退して、自立しなければならない。
8. アラノンの12番目のステップの仕事は、どこまでも非職業的でなければならない。しかし、私達のサービスオフィス (G.S.O.) では専従の職員を置くことができる。
9. このようなアラノングループは決して組織化されてはならない。 しかし、私達が奉仕する人々に対して責任を取るものとして、サービスの機関または委員会を作ることができる。
10. アラノングループは外部の問題には意見をもたない。したがって、 アラノンの名は公の論争で引き合いに出されるべきではない。
11. 私達の広報活動は奨励するよりも、引きつける魅力に基づく。新聞、ラジオ、テレビ、そして映画の分野で、私達はいつも個人名を伏せるべきである。私達はすべてのAAメンバーのアノニミテイ(無名)を、細心の注意をもって守らなければならない。
12. アノニミティは私達の伝統の霊的基礎をなす。それは各個人よりもアラノングループの原理が優先すべきことを、いつも私達に思い起こさせるものである。
サービスのための12のコンセプト
サービスのための12のコンセプト
12のステップと伝統は、個人の成長と、グループの一体性のガイドである。12のコンセプトはサービスのガイドである。12番目のステップの在事がどのように明確な基準の上に行われることができるのか、そしてワールドサービスオフィスのメンバーがワールドサービスを通して、どのようにグループと関係を持つことができるか示している。
1. アラノン・ワールド・サービスに対する最終的責任と権威はアラノン・グループにある。
2. アラノン家族グループは、自分達のコンファレンス(国内会議)と、 そのサービス機関に完全なる行政管理と運営の権威をゆだねる。
3. 決定権は効果的なリーダーシップを可能にする。
4. 参加することが調和への鍵である。
5. 請願権と訴える権利は、少数意見を保護し、その人達の意見が聴かれることを保証する。
6. コンファレンス(国内会議)は、行政面での基本的責任はボード (理事会)にあることを認める。
7. ボード(理事会)は、法的な権限を有する。一方、コンファレンス(国内会議)の権限は伝統的である。
8. ボード(理事会)はアラノン本部の日常の運営に関する権限をエグゼキュティブ・コミティ(諮問委員会)にゆだねる。
9. どんなサービスのレベルにおいても人としての良いリーダーシップが必要である。ワールド・サービスのレベルでは、ボード(理事会)が首位のリーダーシップを取る。
10. サービスにおける責任は、注意深く定められたサービスの権威によって好ましい状態に保たれる。二つの権威による運営は避ける。
11. W. S. O. (ワールド・サービス・オフィス)はスタンディング・コミティ(各委員会)と、エグゼキュティブ(行政担当者) とスタッフ(職員)によって構成される。
12. アラノン・ワールド・サービスの霊的基礎は、会議の憲章12条の一般的な保証(1-5)の中に表されている。
一般的な保証(会議の憲章12条)
一般的な保証(会議の憲章12条)
あらゆる行為においてアラノンのワールドサービスコンファレンスは次の伝統の精神を守っていく。
1. コンファレンスの公正な財政の原則は、運営に必要な財源とそれに伴う十分な備蓄である。
2. コンファレンス・メンバーは誰一人として他のメンバーに対して、 公認されていない権威をもたない。
3. あらゆる決定は討論と投票によって、そして可能な限り実質的満場一致をもってなされる。
4. コンファレンスのどんな議決も個人を罰したりはしないし、また公の論争をあおり立てたりもしない。
5. コンファレンスはアラノンに奉仕をするが、決して統治するような行動はとらない。そしてその奉仕するアラノン家族グループ共同体のように、思想、行動において常に民主的であり続ける。
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