Judgement・判断 ・6月・私の祈りと歩み・デポーション | 私の居場所と今日一日。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 

私の人生ひまつぶしです。

毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。


白いデイジーの花と緑の草



神にゆだねて



神にゆだねて 回復のためのクリスチャン瞑想



6月15日


そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、 恩を知らず、神を恐れなくなります。


 テモテへの手紙二 三章二節


ポイントと解説

- 核心の傾向:人間が自分中心に傾くときに現れる特徴を列挙。根源は「自分自身への過剰な愛」=エゴの肥大。

- 連鎖する性質:自分を第一に考える→金や地位を求める→誇張して自分を大きく見せる→高ぶり→神や権威、人への敬意を失う→感謝や責任感も薄れる。

- 状態の本質:「神を恐れない」とは、正しさの基準を自分だけに置き、制御や道徳の枠組みを拒む心の状態。

 
考察と内省

- これは他人だけの問題ではなく、誰の心にも潜む可能性。順調なときほど高ぶりや感謝の喪失に注意が必要。

- 「自分を愛する」こと自体は自然だが、他者や神よりも優先すると歪みが生まれる。

- 恩を知らない心は、「自分の力で得た」と錯覚することから始まる。

 
 問題と解決

問題

- エゴが中心になると、他人を利用し、責任を回避し、関係が崩れる。

- 感謝を忘れると、満たされることがなく、いつも不足感と不満に囚われる。

- 自分の思い通りにしようとする欲求が、破壊的な行動へと導く。

解決

- 自分の限界を認める:自分だけで生きているわけではないことを受け入れる。

- 感謝を習慣に:「おかげさま」の心で、得たものを周囲や神からの恵みとして受け取る。

- 謙虚を選ぶ:自分を大きく見せるのではなく、真の価値を内面に求める。

 
 AAの原理とメッセージ

- 原理:

第1・2・3ステップ。自分が無力であることを認め、自分中心の生き方を捨て、より大きな力に委ねる。この箇所は「依存の根源がエゴにある」ことを示す。

- メッセージ:

自分と金、地位への執着は、不安と破壊の連鎖を生む。回復と平安は、エゴを小さくし、感謝と謙虚さを中心に生き直すことによって得られる。神を恐れる=正しい基準を受け入れ、自分を超える力に従う心構え。

 
 内省の問い

- 今の自分の中に、「自分を正当化し、他人より優れている」と感じる瞬間はないか?

- 得ているものを「自分の力」と思っている部分と、「恵み」と感じている部分はどちらが多いか?

- 「恩を知る」心を取り戻すために、今日一つ感謝できることは何か?


私たちの最大の敵は物ではなく、人です。それはあなたであり、私である人間です。別の言い方で言うと、わがままがすべての悪の根源です。自己中心的な、利己的な人間が最も危険な敵です。私たちはガラスの部屋に住んでいます。偉大なハリー・ エマソン・フォソディックは次のように説明します。

もし人が完全に自分だけでできていて、それをまとめると本当に小さな缶みになるでしょう。人は自分以外のことにかかわり始めたとき、偉大な日が始まるのです。 彼は見に囲まれた部屋のような心の中で生きていました。 毎日、振り向くと自分が見えました。今はしかしながら何枚かの鏡は恋に変えられました。彼は窓から外を見ることができます。彼は自分自身から去り始めます。もはや、自己像の因人ではなく、すぐれた人々、大義、真実、 価値の存在する社会における自由な人です。

このように、観的な心から窓的な心へと移ることは本当のパーソナリティが発達するために必須の要素です。その経験なくして誰も意味ある人生に達することができません、 さらに、その経験なくして誰も動から回復することはできません。回復のプログラムは私たちが神の手の中に置かれることを約束するでしょう。神は私たちに清らかさと愛の恋を介してくださるでしょう。私たちは最悪な敵から救われます。


ポイントと解説

- 真の敵:外の物や他人ではなく、自分自身のわがまま・自己中心性があらゆる苦しみと悩みの根源。

- 心の状態の転換:「鏡の部屋」=自分だけを映し続け、閉じこもった心。「窓の心」=外へ開き、他者や大きな価値に目を向ける心。

- 変化の鍵:自分から離れ、他者への関わり・愛・奉仕を通じて、閉じた世界から自由な世界へ移行する。

- 回復の本質:この心の転換なしには真の成長も回復もない。神に身を委ねることで、最大の敵であるエゴから救われる。

 
 考察と内省

- 自分の欲求や感情だけに集中すると、視野が狭くなり、不満・孤独・対立が増える。

- 「自分が中心」の生き方は、見かけは自由でも、実は自分自身に縛られた牢獄に等しい。

- 他者に関わり、与える側に回ることで、逆に自分の重荷が軽くなり、生きる意味が見えてくる。

- この変化は一朝一夕ではなく、毎日の小さな選択と実践によって定着する。

  問題と解決

問題

- 自分の利益や正しさばかりを優先し、周囲との調和を乱す。

- 何を得ても満たされず、不安や不足感が消えない。

- 「自分が悪いわけではない」と外に原因を求め、本質的な改善ができない。

解決

- 敵の正体を見極める:苦しみの原因を外ではなく、自分の心の在り方に探す。

- 鏡を窓に変える:自分への関心を少しずつ減らし、他者・真実・奉仕へと視線を移す。

- 委ねて清められる:自分の力でエゴを抑えきれないことを認め、神に心を開き導きを求める。

  AAの原理とメッセージ

- 原理:

第1・2・3・12ステップ。自分中心の生き方に無力であることを認め、より大きな力に委ね、回復の恵みを他者に分かち合うことで、エゴの支配から解放される。

- メッセージ:

回復の最大の課題は「自分自身との戦い」。鏡の中の自分だけを見続ける限り進歩はない。窓を開き、愛と奉仕の方向へ心を向けることで、真の自由と持続する平安が得られる。

 

内省の問い

- 今の自分は「鏡の心」と「窓の心」のどちらに傾いているか?

- 「自分から離れる」ために、今日誰かのためにできる小さなことは何か?

- わがままな心が出てきたとき、どう神に委ねて静めることができるか?


主よ、私を私の手から取り去ってください。私がな歌です。あなたへと開かれているドアで世界へ通じる恋のように私を開いてください。アーメン


以下に端的に整理します。

 ポイントと解説

- 「私を私の手から取り去ってください」

自分の力、自分の思い通りにしようとする支配欲・エゴの束縛から解き放ってほしいと願う言葉。自分自身が最大の枷になっていることを認める。

- 「ドアのように開いてください」

閉ざされた自己中心の殻を破り、神の導き、他者への愛、世界とのつながりに心を開くことを求める。

- 核心:

自分を自分の中心に置く生き方を捨て、神を通して外に向かって生きることへの転換を祈る。

  考察と内省

- 自分で自分を守り、管理しようとすると、かえって不安や緊張、孤独が深まる。

- 「手から取り去る」とは無力にされることではなく、自分の限界を超えた自由と力を受け取る準備をすること。

- 心を「ドア」として開くとき、閉じていたときには見えなかった愛・助け・意味が入ってくる。

 
AAの原理とメッセージ

- 原理:

第1・3・11ステップ。自分の力では自分を正しく導けないことを認め、人生と意思をより大きな力に委ね、祈りと開かれた心で導きを求める。

- メッセージ:

回復の道は「自分で頑張り続ける」ことではなく、自分自身の支配を手放し、神と他者へと心を開くことにある。閉じた心が苦しみを生み、開かれた心が真の平安と自由を招く。

 
内省の問い

- 今、自分を縛っている「自分の手」とは、どんな欲求や考え方だろう?

- 心を「ドア」として開くために、最初に手放せる小さな執着は何か?

- この祈りを口にするとき、どんな軽さや安心が感じられるか?




Judgement・判断 


 ある男性が夜遅く運転しているときに、ヒッチハイカーを乗せてしまい、馬鹿なことをしてしまったと思いました。彼はひどい間違いをしてしまったと思い、思わず自分の財布を探しましたが、ポケットにはなく、ダッシュボードに入れたのかと思いましたが、そにもありませんでした。ヒッチハイカーが取ったのだと思い、車を道路脇に止めて、財布を返せ、車から降りろと叫びました。驚いたヒッチハイカーは札入れを渡し、その運転あは走り去りました。

帰宅して、彼は妻に未遂に終わった泥棒の話を始めましたが、妻は「今朝、あなたは財布を家に置き忘れたわ」と彼の話をさえぎりました。

かわいそうなヒッチハイカー。間違って非難されたり、誤った判断をされたりするのはよくあることです。私たちはすぐに誰かに罪をなすりつけます。私たちの多くは誤解されたことがあります。少なくとも二つのスローガン「ゆだねて生きる」こと、「神の憐れみで私は生きられる」ことに気づきます。それによって他人や自分に残酷な判断をしないとうにできるのです。お陰で、このような間違いは多くの場合、謙虚に誤解を認めることによって訂正されます。早いほどよいのです。間違いを認めることは簡単ではありませんがそれは回復への鍵である謙虚さ、正直さへ至る関門です。誤った判断をしたことに対し罪を認めれば私たちの魂は洗われ、その過程において新しい友を得ることができます。 


 兄弟の目にある梁を見て自分の目にある丸太を見ることができないことをイエスは気づかせます。イエスは言っています。「裁くな、あなたが裁かれないために」と。 



 他を非難し、自分を優れていて正しいと決めつける私たちの傾向は大きな傷や破滅の原因になることをイエスは知っています。早まった判断や偏見は最も危険な害を及ぼすものです。



「判断」についての解説と考察

1. ポイントと解説

核心のポイント:「早まった判断」は、自分も他人も傷つける。誤りに気づき、認めることこそが回復と成長の始まりである。

この話は、人間が持つ「早く結論を出したい」「原因を他人に求めたい」という習性を鮮明に示しています。

- 状況の解説:

運転手は財布がなくなったことだけを見て、証拠も確かめずにヒッチハイカーを泥棒だと決めつけ、非難しました。しかし実際には財布は家に置き忘れていたのです。彼の判断は、事実に基づかない「仮定」と「思い込み」によって成り立っていました。

- 本質的な問題:

私たちは誰もが、状況の一部だけを見たり、自分の経験や感情に基づいて物事を判断したりします。そのため「誤った判断」や「誤解」は避けられないものですが、それを認めずに他人を責め続けると、関係は壊れ、心は硬くなってしまいます。

- 教えのポイント:

1. 判断の危うさ:「見たものだけがすべてではない」ということ。情報が足りない状態での決定は、大きな間違いを招きます。

2. 誤りを認める価値:間違いに気づいたとき、それを認めることは簡単ではありませんが、それが謙虚さと正直さを育み、回復への第一歩となります。

3. 教訓の根源:イエスの言葉「裁くな、あなたが裁かれないために」は、「自分にも同じような弱さや過ちがあるのに、他人だけを責めることはできない」という戒めです。自分の目にある大きな欠点(梁)を見ないまま、他人の小さな過ち(ちり)を責めるのは、不公平で愚かな行いだと教えています。

2. 考察と内省

考察

人間は生まれながらに「判断する存在」です。物事を分類し、意味づけ、予測することで生活を営んでいます。しかしその判断は、自分の経験、知識、感情、立場によって大きく歪められます。

「早まった判断」が起きる背景には、次のような心理があります。

- 不安や恐れ:財布を失ったという不安から、すぐに誰かのせいにして安心しようとする。
- プライド:自分の判断が正しいと信じたいため、反証する情報を無視したり、他人の言葉を信じようとしなかったりする。
- 習性:長年の習慣から、深く考える前に結論を出すクセがついている。

この話からは、「判断を下す前に、まず事実を確かめること」「自分の見える範囲以上のことがあることを忘れないこと」「他人の立場や状況を想像すること」の重要性が見えてきます。また、誤りを認めることは「負け」ではなく、心を開き、人間関係を修復し、新たな理解を得るための「強さ」でもあるのです。

内省のための問い

- 私は今まで、状況を十分に確かめないまま、他人や物事に対して判断を下したことはないか?
- 自分の判断が間違っていたと気づいたとき、どのような感情が生まれるか? それを認めることができるか?
- 「自分は正しい」と思い込んで、他人の言葉や事実を受け入れようとしないことはないか?
- 他人の過ちを責める前に、自分自身の弱さや過ちを見つめ直すことができているか?

3. 問題と解決

問題

1. 早まった判断と誤解:情報不足や思い込みによって、事実と異なる結論を出し、他人を非難したり、関係を壊したりする。
2. プライドによる固執:自分の判断が間違っていても、それを認めることができず、言い訳をしたり、他人を責め続けたりする。
3. 自分優位の視点:自分の立場や価値観を基準に他人を測り、「自分より劣っている」と決めつける偏見や差別的な考え。

解決

1. 判断を下す前の準備:「まだ情報が足りないかもしれない」「自分の見方だけが正しいわけではない」という心構えを持つ。事実を確かめ、多角的に物事を見る努力をする。
2. 誤りを認める勇気:間違いに気づいたときは、すぐにそれを認め、謝罪すること。これは弱さではなく、成長への第一歩であり、信頼を回復させる最善の方法です。
3. 謙虚な視点を持つ:「自分にも欠点や過ちがある」という事実を忘れず、他人を裁く立場にはないことを自覚する。他人の立場や状況を想像し、理解しようとする努力をする。
4. 教えに基づく生き方:「裁かない」という心がけを持ち、他人の過ちを許し、自分の過ちを改めることで、心の平和と健全な人間関係を築くことができます。

4. 霊的目覚めと導きと課題

霊的目覚め

霊的目覚めの一つの重要な側面は、「自分の無知さや弱さに気づくこと」です。「自分はすべてを知っているわけではなく、判断の基準も完全ではない」と知ることで、心が開かれ、新しい理解や知恵が受け入れられるようになります。また、「自分も裁かれる存在である」という自覚が生まれることで、他人を裁くことへの欲求が自然に弱まり、憐れみと思いやりの心が育まれます。

導き

誤った判断を避け、正しい道を歩むための導きとは、次のようなものです。

- 「事実を確かめるように」という心の声。
- 「他人の立場に立って考えるように」という啓示。
- 「誤りを認め、改めることが正しい道である」という確信。
- 自分を超える力からの助け:判断に迷ったとき、自分をゆだねることで、偏りのない正しい見方や答えが与えられるという導き。

課題

- 一度身についた判断のクセを変えることは簡単ではなく、日々の努力が必要です。
- 状況によっては、昔の習性に引き戻され、早まった判断をしてしまうこともあります。そのときに、すぐに気づき、軌道修正することが課題です。
- 他人を見るとき、自分の価値観や経験だけで測るのではなく、その人の背景や状況を理解しようとする心を持ち続けること。
- 誤りを認めることに抵抗感があるときでも、正直に向き合い、成長の機会に変えることが求められます。

5. AAの原理とメッセージ

この話の教えは、AAの12ステップの精神と深く結びついています。

AAの原理

1. 無力の認容:自分の判断や力だけでは問題を解決できないことを認めることは、「自分には限界がある」と知ることであり、誤った判断を減らす基礎となります。
2. 正直さと謙虚さ:自分の過ちや誤りを認めることは、AAのプログラムの核心的な原理です。「自分は正しい」という思い込みを捨て、ありのままの自分を見つめることで、回復が始まります。
3. 非難を避け、支え合う:AAでは、他人を責めるのではなく、同じ経験を持つ仲間と共に、互いの過ちを許し、支え合うことを重視します。「裁かない」という心が、健全なグループの関係を作り上げます。
4. 神の憐れみと導き:「神の憐れみで私は生きられる」という考えは、自分だけではなく、他人にも同じように憐れみと理解を示すことを促します。判断ではなく、理解と助けの心を持つことが、回復の道です。

AAのメッセージ

- 「誰もが誤りを犯し、誤った判断をすることがあります。それは人間としての自然なことです。」
- 「重要なのは、間違いを認め、改めることです。それができるとき、人は成長し、新たな道を歩むことができます。」
- 「自分を裁くのではなく、自分を理解し、癒してくれる力に身をゆだねること。そして他人にも同じように接すること。」
- 「早まった判断や偏見は、自分も他人も傷つけます。心を開き、事実を見つめ、思いやりを持つことで、真の回復と平和が得られます。」

このメッセージは、「判断」という問題に対する最も建設的で優しい答えを示しています。



「会合はプログラムのすべてではないが、なくてはならない核心的な存在であり、回復や信仰は孤立した個人では成り立たず、互いに必要とし合う共同体としての側面を持つ」


今日ー日の会合、参加前、参加中、参加後で回復の効果を高めるために意識することは?


大切な問いですね!会合の各段階で意識することで、回復の効果をより高められます。 


 参加前 


 - 心の準備をする:


「今日はどんなことを聞き、どんな気持ちで参加するか」を簡単に整理しましょう。不安や期待などの気持ちをそのまま持っていっても構いませんが、「仲間とつながり、助け合う場」であることを念頭に置くと良いです。


 - 自分の話す準備・聞く準備を両方する:


「必要なら自分の状況を話そう」という柔軟さと、「他の人の話に真剣に耳を傾けよう」という姿勢を持つことが大切です。


 参加中 


 - 積極的に関わる:


単に聞くだけでなく、相槌を打ったり、自分の感想や経験を適切に話したりすることで、つながりが深まります。意見が合わない場合でも「違う考えもあるんだな」と受け入れる心を保ちましょう。


 - 「共に歩む」ことを意識する:


誰かの話に共感したり、自分の苦しみを打ち明けたりすることで、「一人ではない」という実感が得られ、回復への力になります。


 参加後 


 - 内容を振り返る:


「今日印象的だった言葉は何か」「自分がどんな気持ちになったか」を簡単に整理することで、会合の学びを自分のものにできます。


 - 仲間とのつながりを保つ:


必要であれば気になった仲間と連絡を取ったり、次の会合に向けて「またお会いしよう」と約束したりすることで、共同体の絆を維持できます。 



序文 


 「神にゆだねて」はこれから長い間多くの人々に読まれるでしょう。本書は日々の祈祷書といわれる本に欠けているものを満たす本です。


最近の(アルコール依存症の会の信条に基づいて)十ニステッププログラムから突然生まれたこの本は、いままでと違うスピリチュアルなアプローチで多くのクリスチャンに嗜癖や依存症からの回復をもたらしています。このような回復した人々はとても神に感謝しています。


 十ニステップにかかわる多くの日々の祈祷書はイエス・キリストや具体的な聖書の個所に言及することをずっと避けています。このことは回復の明らかな問題について、キリストによって教え育てられることがないことを意味しています。


 しかし「神にゆだねて」の中で作者のフィリップ・パーハムは回復の明らかな問題について、キリストによで癒され、育てられると書いています。慎重によく準備された良いキリスト教の日々の祈祷書です。十二ステッブにかかわる困難なスピリチュアルな問題を具体的に、時には心に強く訴えるように書いています。


 本書は回復中のクリスチャンに役に立ちますし、イエス・キリストに顕されている高い力を受け入れる十二ステップに属するノンクリスチャンにも助けになります。個人的にもフィルが本書を書いてくれたことに感謝しています。そして本書を神の意志を一日に一度見いだし、実践しようとしている他の人々にも推薦します。 


 キース・ミラー 

 テキサス州オースティン



この序文のポイントと解説は以下の通りです。


 主なポイント


 1. 本書「神にゆだねて」の意義


 今後長く多くの人に読まれ、既存の日々の祈祷書の「欠けているもの」を満たす価値のある本で、アルコール依存症の会の十二ステッププログラムを基に生まれ、嗜癖・依存症からの回復に新しい霊的アプローチを提供している。


 2. 既存の十二ステップ関連祈祷書の課題 


イエス・キリストや具体的な聖書の個所への言及を避ける傾向があり、回復の問題についてキリストによる教えや育てが得られない点。


 3. 本書の特徴 


作者フィリップ・パーハムが「キリストによって癒され、育てられる」という視点から回復の問題に取り組み、慎重に準備された良質なキリスト教の日々の祈祷書。


十二ステップの困難な霊的問題を具体的かつ心に訴えるように書かれている。 


4. 対象読者


 回復中のクリスチャンだけでなく、イエスによる「高い力」を受け入れる十二ステップのノンクリスチャンにも助けとなり、「一日に一度神の意志を見つけ実践する」人々に推薦される。


 解説 


 - 「欠けているもの」とは:


既存の祈祷書が「高い力」を抽象的に扱うのに対し、本書が「イエス・キリスト」や「聖書」という具体的なキリスト教の根拠に基づいて回復を語る点で、クリスチャンにとって必要だった「具体性と霊的な根拠」を補っていると考えられます。


 - 十二ステップとキリスト教の融合:


十二ステッププログラムは当初から「高い力」への依存を提唱していますが、本書はその「高い力」を明確にイエス・キリストと結びつけることで、クリスチャンの回復者に親和的で、かつノンクリスチャンにも「高い力」の具体的な姿を示すというバランスを取っています。


 - 序文の立場:


執筆者キース・ミラーは個人の感謝の意を込めて推薦しており、本書が「日常的な神の意志の実践」にも役立つことを強調することで、依存症回復だけでなく広く霊的な成長を目指す人々への訴求力も示しています。


 この本の「キリストによる癒し」と十二ステップが融合された内容に、今後の回復や霊的な成長のために興味を持たれますか?