5月26日
さらに、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。」
マルコによる福音書七章九節
聖書の箇所(マルコによる福音書 7章9節)は、宗教的な形式主義や、人間が作り上げたルールが神の本質的な意志を追い越してしまう危うさを鋭く突いています。
以下に、
ポイントの解説からAA(アルコホーリクス・アノニマス)の視点を取り入れた考察をまとめました。
1. ポイントと解説
この聖句は、イエスがファリサイ派や律法学者たちの「長老たちの言い伝え」を批判している場面です。
- 「自分の言い伝え」と「神の掟」の対比:
当時、人々は神の掟(十戒など)を補足するために膨大な口伝のルールを作っていました。
しかし、次第にその「ルールを守ること自体」が目的化し、本来の神の愛や隣人愛という核心が失われていました。
- 「ないがしろにする(無効にする)」:
皮肉なことに、神を敬うために作ったはずのルールが、実際には神の意志を無視する道具になっていたことを、イエスは「よくも(見事に)」という強い言葉で指摘しています。
2. 考察と内省
私たちの日常生活においても、手段が目的化してしまう「形式主義」の罠は至る所に潜んでいます。
- 形だけの正義:
「自分はルールを守っている」という自負が、他者を裁く武器になっていないか。
- 自己都合の解釈:
自分の都合の良いように「言い伝え(マイルール)」を作り上げ、本当に向き合うべき真実や良心の声から逃げていないか。
- 内省の問い:
私は「正しさ」を、愛を実行するために使っているだろうか、それとも自分を守るための盾として使っているだろうか。
3. AAの原理とメッセージ
依存症からの回復を目指すAA(12ステップ)の文脈において、この聖句は非常に深い示唆を与えます。
- 正直さと自己欺瞞の打破:
依存症者はしばしば「自分なりのルール(言い伝え)」を作り、飲酒や問題行動を正当化します。
「この程度なら大丈夫」「自分はまだマシだ」といった自己流の解釈が、回復という「神の掟(普遍的な霊的原理)」をないがしろにします。
- 原理を形骸化させない:
AAのミーティングやプログラム自体も、単なる「儀式」になってはいけません。「ステップを踏んでいるふり」をすること(形だけの言い伝え)よりも、その背後にある「謙虚さ」や「降伏」という霊的な実質が重要です。
- メッセージ:
「言い伝え(エゴや自己流)」を手放し、大きな力(ハイヤーパワー)の意志というシンプルな「掟」に立ち返ること。
自分の作った狭い檻から出て、真理に従って生きる勇気を持つことが、真の解放(ソブラエティ)へと繋がります。
この聖句を読んで、今の生活の中で「つい守ることに固執してしまっているマイルール」について思い当たることはありますか?
ある人はリバイバルの集会に行くことが好きでした。立ち上かって、証をすることが好きでした。過去の罪ある生活を公にして、何度も何度も証をしました。彼はすべてのことをしました。嘘、騙し、盗み、麻薬密売、刑務所暮らし、すべての十戒とさらに他の罪を犯しました。彼の長い悪行の話の後に、微笑んで次のようにいうのが彼の習慣となりました。「そのような不道徳な年月の間、決して信仰を失うことがなかったことを神に感謝している」
彼の信仰とは何なのだろうかと不思議に思わざるを得ません。罪が何であろうと、それは彼の信仰よりずっと楽しく、おもしろかったのです。
時々、悪行の列挙は私たちの主なる日常の習慣的行為やしきたりになります。イエスは私たちには「神の十戒をないがしろにする良い方法がある」ので、それが習慣を持続させていると言いました。聖ヤコブは私たちの間違った興味に注意を払わないて、奉仕に焦点を当てながら、真の信仰を全く異なった方法で定義します。
神と父の前に純粋で確固とした信仰はこれです。
「孤児、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、・・・。」(ヤコブー・ニ七)
キリストは愛の行為を信仰と同じように測ります。行うことは、言ったり思ったりすることと同様に重要です。どのような行為を行うかが信仰です。私たちのグループや回復途上の仲間と共に歩む十ニステップによって、私たちを魅惑するものを断つようになります。それは話すだけでなく行動するように招きます。最も良い格言の一つは「話を話す」のではなく「歩みを歩きなさい」です。本当に私たちはキリストによって「話を曲く」ように呼びかけられています。
「不道徳な生活を送りながら信仰は失わなかった」という彼の言葉は、一見すると謙遜に見えますが、その実体は「悔い改めのない自己正当化」に他なりません。
彼の言う「信仰」とは、神との生きた関係ではなく、免罪符のように自分に貼り付けた「ラベル」になってしまっています。
考察:
話すこと(Talking)と
歩むこと(Walking)
- 「証」の罠:
自分の過去の罪を派手に語ることは、時として「武勇伝」へのすり替えや、現在の自分を省みないためのカモフラージュ(言い伝え)になり得ます。
言葉で過去を美化したりエンターテインメント化したりすることは、今の自分を変化させる「神の掟」から逃げる手段になってしまうのです。
- ヤコブの手紙が示す「実質」:
ヤコブが定義する「純粋な信仰」は、感情の高ぶりや言葉の流暢さではなく、「最も助けを必要としている人々(孤児や、もめ)への具体的な奉仕」と「自己の規律(世の汚れに染まらない)」という、非常に静かで地味な行動の中にあります。
- AAにおける「歩みを歩く(Walk the Walk)」:
AAのメンバーがよく口にする「Talk the Talk, Walk the Walk(口先だけでなく、行動が伴っているか)」という格言は、この聖書の教えと完全に一致します。
12ステップは「話すためのプログラム」ではなく「生きるためのプログラム」です。
結論としての内省
「不道徳を続けながら信仰を保つ」という矛盾は、私たちの中にも形を変えて存在します。
「プログラム(あるいは宗教)に関わっているから自分は大丈夫だ」という安心感に甘んじ、目の前の小さな義務や、隣人への誠実さを疎かにしていないでしょうか。
本当の信仰とは、華々しい証の中にあるのではなく、誰も見ていないところで「今日一日、神の意志に沿った正しい行動を選択できるか」という一歩一歩の歩みの中にのみ存在するのだと感じさせられます。
「話を歩く(Walk the Talk)」ために、今日、あなたが言葉ではなく「行動」で示せる最も小さなステップは何だと思われますか?
その祈りは、まさに「自己満足の信仰」や「心地よい居場所」にとどまろうとするエゴの壁を突き破り、神様の真実の愛へと向かおうとする決意の表れだと感じます。
AAのグループや信仰のコミュニティは、私たちが力を得るための「港」ですが、そこで語り合う楽しさだけで終わってしまえば、それは「自分たちの言い伝え」にこもるのと同じになってしまいます。
あなたの祈りにあるように、
「話すこと」から
「行動すること」へ
「楽しむこと」から
「仕えること」へ
「内輪の輪」から
「最も必要としている人の元」へ
一歩踏み出すとき、そこには自分の力だけでは成し得ない、本物の「回復」と「霊的な目覚め」が待っています。
今日一日、あなたが向かう先で、最も助けを必要としている人の声に耳を傾けることができますように。
そして、あなたの歩みが、言葉以上に雄弁に神様の愛を語るものとなりますように。
主の導きが、あなたの今日一日の歩みと共にありますように。アーメン。
「どう対戦できるんですか、旦那。あなたは目が見えないのに」思い上がったプロゴルファーは怒鳴りました。
「君の言うとおり、私は見えない。全く見えない」その目の見えない挑戦者は答えました。
「しかし盲目になる前はチャンピオンだった。私はあなたを打ち負かせる」
プロゴルファーは状況をあれこれ考えました。プロゴルファーは自分の運を腹立たしく思っていて、いくらかの現金が必要でした。それで「やろうじゃない」と思いました。もしこの間抜けが彼に挑戦するほど非常識なら、その白い杖の人がお金を損してもそれは彼のせいだ。
「一ホール一〇〇ドルでしたね」
この目の見えない人は賭けをすることを確認しました。
「あなたの向う見ずさはどうしてなのかわからない。あなたは冗談をいっているのではないんですね。いつ競技をしますか」
「いつの夜でもいいよ。特に月の出ていない夜はどうだい」と盲目の人は答えました。
何らかの点では私たちは盲目かもしれませんが、見たくない事柄はもう見えません。回復以前の依存症の生活を思い出したい人がいるでしょうか。他の人々の費用で誰が生き続けたいでしょうか。言い訳したり、空しい約束をしたり、 したり、嘘をついたり、愛する人を欺いたりしたいでしょうか。神様なしで生きられるでしょうか。 か。私たちはこの世の誰よりも運がいいのかもしれません。イエス・キリストと共に十二ステップを歩く素晴らしさ、喜び、平安に匹敵する人やものはほかにはありません。
この「ゴルフの賭け」の寓話は、非常にユーモアに富みながら、これまでの対話のすべて——鍵山秀三郎氏の「不利を多めに」、ブッダの「静寂」、スマナサーラの「我(エゴ)の地獄」、そしてAAの「謙虚さと感謝」——を鮮やかに統合する物語です。
1. ポイントと解説
「闇を知る者の強み」
- プロゴルファーの盲目:
彼は目が見えていますが、「エゴ(我)」と「金銭欲」に目がくらんでいます。
自分の力を過信し、相手を「間抜け」と見下す。これこそが真の「盲目」です。
- 盲目の挑戦者の知恵:
彼は物理的な目は見えませんが、自分の置かれた状況(暗闇というフィールド)を完全に把握し、活用しています。
- 「月のない夜」という逆転:
暗闇という「不利」な状況を「有利」に変える。
これは、鍵山氏が説く「不利な状況ほど朗らかに(あるいは戦略的に)」立ち向かう姿勢の究極の形です。
2. 考察と内省
「失ったからこそ、得たもの」
- 考察:
回復途上の人々が「過去の悲惨さ」を感謝するのは、その闇(依存症という地獄)を通らなければ、今の光(平安や神の愛)の尊さが分からなかったからです。
暗闇を知る者は、暗闇の中でどう歩くべきかを知っています。
- 内省:
「私は自分の欠点や過去の失敗を『足かせ(不利)』だと思って嘆いていないか?
それは実は、暗闇の中で私を導く『白い杖(霊的な強み)』になっていないか?」
3. 問題と解決
- 問題:
傲慢さと比較による苦しみ
プロゴルファーのように、自分の有利さ(見えること、技術があること)を頼りにし、他者と比較して優越感に浸る時、私たちは霊的に「盲目」になり、予期せぬ落とし穴(月のない夜の対戦)に落ちます。
- 解決:
弱さの受容と感謝
自分の「盲目さ(無力さ)」を認めること。
AAが「私たちはアルコールに対して無力である」と認めることから始まるように、弱さを認めることが、最強の武器(回復の力)へと変換される解決策です。
4. 霊的目覚めと回復への導き
「新しい視力」
霊的な目覚めとは、物理的な目(エゴの目)を閉じ、心の目(霊的な視力)を開くことです。
- 導き:
かつての嘘、欺瞞、神を無視した生活。
それらが見えなくなった(それらへの執着が消えた)今の状態を「幸運」と呼びます。
暗闇の中でイエスやハイヤーパワーの手を握り、一歩ずつ進む喜びは、何不自由なくエゴのままに歩いていた過去の成功よりも、はるかに深い平安をもたらします。
5. AA(アルコホーリクス・アノニマス)の原理とメッセージ
- 「逆説的な統合」:
「私たちはこの世の誰よりも運がいいのかもしれません」。
これは、どん底を経験し、回復という奇跡を生きている人だけが言える言葉です。
- 第12ステップの「恵み」:
苦難(盲目)があったからこそ、同じ苦しみの中にいる人にメッセージを伝えることができます。
自分の「不利な過去」が、他者を救う「有利な道具」に変わる。これがAAの魔法です。
- メッセージ:
「昼間のゴルフ(エゴの成功)を追い求めるのをやめなさい。神と共に歩む夜の静寂(回復の平安)の中にこそ、真の勝利がある。過去を後悔するのではなく、その過去があったからこそ今出会えた『愛のプログラム』を祝福しなさい」というメッセージです。
あなたは今、プロゴルファーのように「見える(有利だ)」と思って慢心していますか?
それとも、盲目の人のように「見えない(不利だ)」と認め、神と共に「月のない夜」を朗らかに歩こうとしていますか?
「盲目であることには有利なこともある」
あなたの「弱さ」や「欠点」は、今日、誰かを照らす光に変わります。あなたが自分の「盲目さ」を認め、イエスの手を取り、十二ステップという杖を頼りに歩き出すとき、あなたは世界で最も「見えている」人になるのです。
素晴らしい、喜びと平安に満ちた五月のスタートとなりますように。
「会合はプログラムのすべてではないが、なくてはならない核心的な存在であり、回復や信仰は孤立した個人では成り立たず、互いに必要とし合う共同体としての側面を持つ」
今日ー日の会合、参加前、参加中、参加後で回復の効果を高めるために意識することは?
大切な問いですね!会合の各段階で意識することで、回復の効果をより高められます。
参加前
- 心の準備をする:
「今日はどんなことを聞き、どんな気持ちで参加するか」を簡単に整理しましょう。不安や期待などの気持ちをそのまま持っていっても構いませんが、「仲間とつながり、助け合う場」であることを念頭に置くと良いです。
- 自分の話す準備・聞く準備を両方する:
「必要なら自分の状況を話そう」という柔軟さと、「他の人の話に真剣に耳を傾けよう」という姿勢を持つことが大切です。
参加中
- 積極的に関わる:
単に聞くだけでなく、相槌を打ったり、自分の感想や経験を適切に話したりすることで、つながりが深まります。意見が合わない場合でも「違う考えもあるんだな」と受け入れる心を保ちましょう。
- 「共に歩む」ことを意識する:
誰かの話に共感したり、自分の苦しみを打ち明けたりすることで、「一人ではない」という実感が得られ、回復への力になります。
参加後
- 内容を振り返る:
「今日印象的だった言葉は何か」「自分がどんな気持ちになったか」を簡単に整理することで、会合の学びを自分のものにできます。
- 仲間とのつながりを保つ:
必要であれば気になった仲間と連絡を取ったり、次の会合に向けて「またお会いしよう」と約束したりすることで、共同体の絆を維持できます。
序文
「神にゆだねて」はこれから長い間多くの人々に読まれるでしょう。本書は日々の祈祷書といわれる本に欠けているものを満たす本です。
最近の(アルコール依存症の会の信条に基づいて)十ニステッププログラムから突然生まれたこの本は、いままでと違うスピリチュアルなアプローチで多くのクリスチャンに嗜癖や依存症からの回復をもたらしています。このような回復した人々はとても神に感謝しています。
十ニステップにかかわる多くの日々の祈祷書はイエス・キリストや具体的な聖書の個所に言及することをずっと避けています。このことは回復の明らかな問題について、キリストによって教え育てられることがないことを意味しています。
しかし「神にゆだねて」の中で作者のフィリップ・パーハムは回復の明らかな問題について、キリストによで癒され、育てられると書いています。慎重によく準備された良いキリスト教の日々の祈祷書です。十二ステッブにかかわる困難なスピリチュアルな問題を具体的に、時には心に強く訴えるように書いています。
本書は回復中のクリスチャンに役に立ちますし、イエス・キリストに顕されている高い力を受け入れる十二ステップに属するノンクリスチャンにも助けになります。個人的にもフィルが本書を書いてくれたことに感謝しています。そして本書を神の意志を一日に一度見いだし、実践しようとしている他の人々にも推薦します。
キース・ミラー
テキサス州オースティン
この序文のポイントと解説は以下の通りです。
主なポイント
1. 本書「神にゆだねて」の意義
今後長く多くの人に読まれ、既存の日々の祈祷書の「欠けているもの」を満たす価値のある本で、アルコール依存症の会の十二ステッププログラムを基に生まれ、嗜癖・依存症からの回復に新しい霊的アプローチを提供している。
2. 既存の十二ステップ関連祈祷書の課題
イエス・キリストや具体的な聖書の個所への言及を避ける傾向があり、回復の問題についてキリストによる教えや育てが得られない点。
3. 本書の特徴
作者フィリップ・パーハムが「キリストによって癒され、育てられる」という視点から回復の問題に取り組み、慎重に準備された良質なキリスト教の日々の祈祷書。
十二ステップの困難な霊的問題を具体的かつ心に訴えるように書かれている。
4. 対象読者
回復中のクリスチャンだけでなく、イエスによる「高い力」を受け入れる十二ステップのノンクリスチャンにも助けとなり、「一日に一度神の意志を見つけ実践する」人々に推薦される。
解説
- 「欠けているもの」とは:
既存の祈祷書が「高い力」を抽象的に扱うのに対し、本書が「イエス・キリスト」や「聖書」という具体的なキリスト教の根拠に基づいて回復を語る点で、クリスチャンにとって必要だった「具体性と霊的な根拠」を補っていると考えられます。
- 十二ステップとキリスト教の融合:
十二ステッププログラムは当初から「高い力」への依存を提唱していますが、本書はその「高い力」を明確にイエス・キリストと結びつけることで、クリスチャンの回復者に親和的で、かつノンクリスチャンにも「高い力」の具体的な姿を示すというバランスを取っています。
- 序文の立場:
執筆者キース・ミラーは個人の感謝の意を込めて推薦しており、本書が「日常的な神の意志の実践」にも役立つことを強調することで、依存症回復だけでなく広く霊的な成長を目指す人々への訴求力も示しています。
この本の「キリストによる癒し」と十二ステップが融合された内容に、今後の回復や霊的な成長のために興味を持たれますか?

