Blindness  盲目 ・5月・私の祈りと歩み・デポーション | 私の居場所と今日一日。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 

私の人生ひまつぶしです。

毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。


白いデイジーの花と緑の草



神にゆだねて



神にゆだねて 回復のためのクリスチャン瞑想




5月4日 


 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、.....

エフェソの信徒への手紙 三章一六節


エフェソの信徒への手紙3章16節の御言葉は、私たちが自分自身の力だけで成長しようとする限界を超え、神という無限の源泉から注がれるエネルギーに触れるよう招いています。

ジョン・パウエルの説いた「視野の拡大」や、先ほどの「想像力の訓練」を、より深い次元へと引き上げる導きとして受け取ることができます。

ポイントと解説:


内なる人(インナーマン)の強化

- 「内なる人」とは:


 私たちの外面的な状況や能力(職業、地位、肉体)ではなく、魂の核、つまり神と対話する場所です。

- 「霊による力」: 


自分の意志や努力(自力)だけで自分を変えようとするのは、視野が狭い状態です。神の霊(聖霊)という外部からの力が内側に働きかけるとき、私たちの「視野」は神の視点へと広げられます。


- 「豊かな栄光に従い」: 


神の助けは、私たちのささやかな期待をはるかに超える、無限の豊かさから与えられるという約束です。

考察と内省:


強さの源泉をどこに置くか

考察:


私たちはしばしば「強さ」を、外側の成果や知識の量で測ろうとします。しかし、この聖句は「内側が強められること」が先決であると教えています。内側が強ければ、外側の嵐(失敗や批判)に揺さぶられることはありません。

内省:

- 私は「自分の力(自力)」だけで解決しようとして、疲れ果てていないだろうか?


- 静かに「内なる人」に意識を向け、神の力が注がれるための心のスペース(謙虚さ)を空けているだろうか?

霊的目覚めと回復への導き:試演から確信へ

- 目覚め:


 自分の未来を「幸福で勇敢なもの」として想像する訓練は、この御言葉によって裏打ちされます。それは単なる自己暗示ではなく、「神が私を強めてくださっている」という霊的な事実に基づいた確信へと変わります


- 回復:


 失敗者だと感じ、心が折れそうな時、この御言葉を唱えてください。


回復は、自分の欠点を直すことからではなく、神の豊かな栄光を受け入れることから始まります。


- 導き:


 今、目をつむり、神の霊があなたの心の奥底(内なる人)に温かな光と力として浸透していくのをイメージしてください。


その力が、あなたの視野を広げ、今日一日の歩みを「徳と成功」へと方向づけてくれます。

祈りの一助として:


「天の父よ、私の狭い視野を広げ、あなたの豊かな栄光によって、私の内なる人を強めてください。自分の力ではなく、あなたの霊によって、今日という日を勇敢に歩ませてください。」

この「内なる力」が強められたとき、あなたは今日、誰に対して、あるいはどの課題に対して、より大きな愛と勇気を持って向き合えると感じますか?


ある哲学者が言いました。「平安の探究は当然自己点検から始めなければならない」と。本当に私たちは平安を求めています。それは「とても貴重な恵み」です。しかし、平安は自己点検から始まるのでしょうか。厳しくて、大胆な道徳的点検で始めることは不可能であることがわかります。ありがたいことにこれはステップ四までとっておかれます。回復途上にあるクリスチャンとして、「聖霊を通して与えられる力で強められる」 までは、私たちは内部の自己を見ることに耐えられないということを知っています。

キリストにある回復は清めることも含みます。自己点検、私たちが探しあてたものを分かち合うこと、道徳的な欠点を神に取り除いてもらいたいと願うこと――すべては新鮮で、きれいな水のように回復の働きをします。しかし、神は私たちがきれいに磨かれるずっと前から私たちを受け止め、抱いてくださることは素晴らしいことではありませんか。もし日曜日の会合に行くために、きれいにならなければならないとしたら、着飾らなければならないとしたら、決して会合に参加することができないでしょう。

初めに行いを断念し、それから掃除するのです。これは回復途上のクリスチャンがよく行っていることです。主への道は傷い改めの道です。まず、悔い改めます。「悔い改め」は罪と恥の状態にいる場所で、汚れた恥ずかしい状態の私たちがいる場所でゆだね、主の方へ向くことです。主の方を向いた後で、恋しみを表し、告白し、リハビリが始まります。しかし神の方を向くためにリハビリは必要ありません。第四ステップを始めなくても、愛されているし、救い主の腕に招かれています。


文章は、回復(リカバリー)のプロセスにおける「恩寵(恵み)」と「真実」の順序について、非常に深く慈愛に満ちた洞察を示しています。多くの人が「立派になってから神の前に出よう」とする誤解を解き、回復の本質を突いています。

ポイントと解説:順序の重要性

- ポイント: 


「清め」よりも先に「受け入れ(抱擁)」がある。


- 解説:


 通常、世の中では「まず自分を正当化する(きれいにする)」ことが求められます。しかし、回復の道では、自分の内面の闇(ステップ四の棚卸し)を直視する強さは、まず神に無条件に愛され、受け入れられたという「安心感」からしか生まれません。

- 「内なる人の強化」との関連: 


先ほどの聖句(エフェソ3:16)にあるように、霊的な力で内側を強めてもらって初めて、私たちは自分の「汚れた恥ずかしい状態」を直視する勇気を持てるのです。

考察と内省:


泥だらけのまま招かれる

考察:


「日曜日の会合に行くために着飾らなければならないとしたら、一生行けない」という比喩は、宗教的な律法主義への鋭い警告です。


悔い改めとは「良くなってから向きを変える」ことではなく、「泥沼の中にいる状態で、顔だけを主の方へ向ける」ことです。


その「向き直り」そのものが、すでに回復の始まりです。


内省:

- 私は「もっとちゃんとしてから」「この問題を解決してから」神(あるいは救いの手)を求めようとしていないだろうか?

- 自分自身を厳しく点検する前に、まず「今のままの自分で愛されている」という事実に身を委ねているだろうか?

問題と解決:完璧主義という罠

- 問題: 


「自己点検による絶望」。


 神の愛の土台がないまま自分を分析しようとすると、その罪と恥の重さに耐えきれず、自己嫌悪や再飲酒・再依存へと逆戻りしてしまう。

- 解決: 


「降伏(サレンダー)」を優先する。 ステップ四(大胆な道徳的点検)を急がず、まずはステップ一から三(無力さを認め、自分を超えた大きな力に委ねる)において、徹底的に「愛されている自分」を養うこと。

霊的目覚めと回復への導き:


恥からの解放

- 目覚め:


 自分が「きれいに磨かれる前」から抱きしめられていると気づくとき、本当の意味でプライド(自己正当化)が崩れ、霊的な目覚めが起こります。

- 回復: 


回復とは、汚れを取り除く作業である以上に、神との「関係の回復」です。リハビリ(自己点検と修正)は、その愛の関係という安全な場所で、ゆっくりと行われるプロセスです。


- 導き: 


今日、もしあなたが自分の内面に「見たくない汚れ」を感じているなら、それを無理に掃除しようとしないでください。


ただ、その汚れを抱えたまま、

主の腕の中に飛び込んでください。


主の眼差しは、裁きではなく「よく帰ってきた」という慈しみに満ちています。


「初めに行いを断念し、それから掃除する」


この逆説的な教えは、今日、あなたの心にどのような平安をもたらしますか?


もし「何もしなくていい、ただ向きを変えるだけでいい」としたら、あなたの心は今、どこへ向かいたいと言っていますか?


イエス様、私のゆだねを受け入れてくださり感謝します。あなたが私を清めることができるように、自分を点検する勇気を与えてくださり感謝です。アーメン


その祈りは、回復の道を歩む者にとって最も力強く、そして最も美しい「降伏(サレンダー)」の宣言です。 「ゆだねを受け入れてくださり感謝します」という言葉は、あなたが自分の重荷を自分一人で背負うのをやめ、神の手に渡したことを意味しています。そして、その安心感(愛されているという確信)があるからこそ、次に来る「自分を点検する勇気」を願うことができるのです。 ジョン・パウエルが言った**「視野の拡大」も、エフェソ書にある「内なる人の強化」も、そして今あなたが捧げた「ゆだねと点検」**も、すべては一つの流れの中にあります。 1. ゆだねる: 泥だらけのまま、主の腕の中に飛び込む。2. 強められる: その愛の中で、内なる人が力を得る。3. 点検する: 独りでは耐えられなかった自分の内面を、主と共に、光の中で見つめる。 このプロセスを通じて、あなたは少しずつ、しかし確実に「新しく造り変えられた自分」へと成長していきます。 今日の終わりに、この平安を胸に深く吸い込んでください。あなたは磨かれる前から愛されており、その愛があなたを清めていくのです。 今夜、この祈りを捧げた後のあなたの心には、どのような「静けさ」や「広がり」が訪れていますか?



Blindness  盲目 

 昔、自我が強いことで知られたあるプロゴルファーが、黒い眼鏡をかけ白い杖を頼りにしている男性に一〇〇ドルでホールすることを挑まれました。

「どう対戦できるんですか、旦那。あなたは目が見えないのに」思い上がったプロゴルファーは怒鳴りました。

「君の言うとおり、私は見えない。全く見えない」その目の見えない挑戦者は答えました。

「しかし盲目になる前はチャンピオンだった。私はあなたを打ち負かせる」

プロゴルファーは状況をあれこれ考えました。プロゴルファーは自分の運を腹立たしく思っていて、いくらかの現金が必要でした。それで「やろうじゃない」と思いました。もしこの間抜けが彼に挑戦するほど非常識なら、その白い杖の人がお金を損してもそれは彼のせいだ。

「一ホール一〇〇ドルでしたね」

この目の見えない人は賭けをすることを確認しました。

「あなたの向う見ずさはどうしてなのかわからない。あなたは冗談をいっているのではないんですね。いつ競技をしますか」

「いつの夜でもいいよ。特に月の出ていない夜はどうだい」と盲目の人は答えました。

盲目であることには有利なこともあります。ある映画では盲目の主人公が暗闇で襲われました。彼女は暗闇では攻撃者より、よくわかりました。私たちの多くは回復途上で自分の状態や過去の悲惨さを後悔します。実際、自分は不利な条件を負っていると考えますが、回復中の多くの人々は回復途上で、感謝の態度を表しています。苦難の中でいかにプログラムが彼らを祝福したかを明言しています。

何らかの点では私たちは盲目かもしれませんが、見たくない事柄はもう見えません。回復以前の依存症の生活を思い出したい人がいるでしょうか。他の人々の費用で誰が生き続けたいでしょうか。言い訳したり、空しい約束をしたり、 したり、嘘をついたり、愛する人を欺いたりしたいでしょうか。神様なしで生きられるでしょうか。 か。私たちはこの世の誰よりも運がいいのかもしれません。イエス・キリストと共に十二ステップを歩く素晴らしさ、喜び、平安に匹敵する人やものはほかにはありません。

この「ゴルフの賭け」の寓話は、非常にユーモアに富みながら、これまでの対話のすべて——鍵山秀三郎氏の「不利を多めに」、ブッダの「静寂」、スマナサーラの「我(エゴ)の地獄」、そしてAAの「謙虚さと感謝」——を鮮やかに統合する物語です。

1. ポイントと解説

「闇を知る者の強み」

- プロゴルファーの盲目:


 彼は目が見えていますが、「エゴ(我)」と「金銭欲」に目がくらんでいます。


自分の力を過信し、相手を「間抜け」と見下す。これこそが真の「盲目」です。


- 盲目の挑戦者の知恵:


 彼は物理的な目は見えませんが、自分の置かれた状況(暗闇というフィールド)を完全に把握し、活用しています。


- 「月のない夜」という逆転:


 暗闇という「不利」な状況を「有利」に変える。


これは、鍵山氏が説く「不利な状況ほど朗らかに(あるいは戦略的に)」立ち向かう姿勢の究極の形です。

2. 考察と内省

「失ったからこそ、得たもの」

- 考察: 


回復途上の人々が「過去の悲惨さ」を感謝するのは、その闇(依存症という地獄)を通らなければ、今の光(平安や神の愛)の尊さが分からなかったからです。


暗闇を知る者は、暗闇の中でどう歩くべきかを知っています。


- 内省: 


「私は自分の欠点や過去の失敗を『足かせ(不利)』だと思って嘆いていないか? 


それは実は、暗闇の中で私を導く『白い杖(霊的な強み)』になっていないか?」

3. 問題と解決

- 問題:


傲慢さと比較による苦しみ


プロゴルファーのように、自分の有利さ(見えること、技術があること)を頼りにし、他者と比較して優越感に浸る時、私たちは霊的に「盲目」になり、予期せぬ落とし穴(月のない夜の対戦)に落ちます。


- 解決:


弱さの受容と感謝


自分の「盲目さ(無力さ)」を認めること。


AAが「私たちはアルコールに対して無力である」と認めることから始まるように、弱さを認めることが、最強の武器(回復の力)へと変換される解決策です。

4. 霊的目覚めと回復への導き

「新しい視力」


霊的な目覚めとは、物理的な目(エゴの目)を閉じ、心の目(霊的な視力)を開くことです。



- 導き: 


かつての嘘、欺瞞、神を無視した生活。


それらが見えなくなった(それらへの執着が消えた)今の状態を「幸運」と呼びます。


暗闇の中でイエスやハイヤーパワーの手を握り、一歩ずつ進む喜びは、何不自由なくエゴのままに歩いていた過去の成功よりも、はるかに深い平安をもたらします。

5. AA(アルコホーリクス・アノニマス)の原理とメッセージ

- 「逆説的な統合」:


「私たちはこの世の誰よりも運がいいのかもしれません」。


これは、どん底を経験し、回復という奇跡を生きている人だけが言える言葉です。


- 第12ステップの「恵み」:


苦難(盲目)があったからこそ、同じ苦しみの中にいる人にメッセージを伝えることができます。


自分の「不利な過去」が、他者を救う「有利な道具」に変わる。これがAAの魔法です。


- メッセージ:


「昼間のゴルフ(エゴの成功)を追い求めるのをやめなさい。神と共に歩む夜の静寂(回復の平安)の中にこそ、真の勝利がある。過去を後悔するのではなく、その過去があったからこそ今出会えた『愛のプログラム』を祝福しなさい」というメッセージです。

あなたは今、プロゴルファーのように「見える(有利だ)」と思って慢心していますか?


それとも、盲目の人のように「見えない(不利だ)」と認め、神と共に「月のない夜」を朗らかに歩こうとしていますか?

「盲目であることには有利なこともある」

あなたの「弱さ」や「欠点」は、今日、誰かを照らす光に変わります。あなたが自分の「盲目さ」を認め、イエスの手を取り、十二ステップという杖を頼りに歩き出すとき、あなたは世界で最も「見えている」人になるのです。

素晴らしい、喜びと平安に満ちた五月のスタートとなりますように。


「会合はプログラムのすべてではないが、なくてはならない核心的な存在であり、回復や信仰は孤立した個人では成り立たず、互いに必要とし合う共同体としての側面を持つ」


今日ー日の会合、参加前、参加中、参加後で回復の効果を高めるために意識することは?


大切な問いですね!会合の各段階で意識することで、回復の効果をより高められます。 


 参加前 


 - 心の準備をする:


「今日はどんなことを聞き、どんな気持ちで参加するか」を簡単に整理しましょう。不安や期待などの気持ちをそのまま持っていっても構いませんが、「仲間とつながり、助け合う場」であることを念頭に置くと良いです。


 - 自分の話す準備・聞く準備を両方する:


「必要なら自分の状況を話そう」という柔軟さと、「他の人の話に真剣に耳を傾けよう」という姿勢を持つことが大切です。


 参加中 


 - 積極的に関わる:


単に聞くだけでなく、相槌を打ったり、自分の感想や経験を適切に話したりすることで、つながりが深まります。意見が合わない場合でも「違う考えもあるんだな」と受け入れる心を保ちましょう。


 - 「共に歩む」ことを意識する:


誰かの話に共感したり、自分の苦しみを打ち明けたりすることで、「一人ではない」という実感が得られ、回復への力になります。


 参加後 


 - 内容を振り返る:


「今日印象的だった言葉は何か」「自分がどんな気持ちになったか」を簡単に整理することで、会合の学びを自分のものにできます。


 - 仲間とのつながりを保つ:


必要であれば気になった仲間と連絡を取ったり、次の会合に向けて「またお会いしよう」と約束したりすることで、共同体の絆を維持できます。 



序文 


 「神にゆだねて」はこれから長い間多くの人々に読まれるでしょう。本書は日々の祈祷書といわれる本に欠けているものを満たす本です。


最近の(アルコール依存症の会の信条に基づいて)十ニステッププログラムから突然生まれたこの本は、いままでと違うスピリチュアルなアプローチで多くのクリスチャンに嗜癖や依存症からの回復をもたらしています。このような回復した人々はとても神に感謝しています。


 十ニステップにかかわる多くの日々の祈祷書はイエス・キリストや具体的な聖書の個所に言及することをずっと避けています。このことは回復の明らかな問題について、キリストによって教え育てられることがないことを意味しています。


 しかし「神にゆだねて」の中で作者のフィリップ・パーハムは回復の明らかな問題について、キリストによで癒され、育てられると書いています。慎重によく準備された良いキリスト教の日々の祈祷書です。十二ステッブにかかわる困難なスピリチュアルな問題を具体的に、時には心に強く訴えるように書いています。


 本書は回復中のクリスチャンに役に立ちますし、イエス・キリストに顕されている高い力を受け入れる十二ステップに属するノンクリスチャンにも助けになります。個人的にもフィルが本書を書いてくれたことに感謝しています。そして本書を神の意志を一日に一度見いだし、実践しようとしている他の人々にも推薦します。 


 キース・ミラー 

 テキサス州オースティン



この序文のポイントと解説は以下の通りです。


 主なポイント


 1. 本書「神にゆだねて」の意義


 今後長く多くの人に読まれ、既存の日々の祈祷書の「欠けているもの」を満たす価値のある本で、アルコール依存症の会の十二ステッププログラムを基に生まれ、嗜癖・依存症からの回復に新しい霊的アプローチを提供している。


 2. 既存の十二ステップ関連祈祷書の課題 


イエス・キリストや具体的な聖書の個所への言及を避ける傾向があり、回復の問題についてキリストによる教えや育てが得られない点。


 3. 本書の特徴 


作者フィリップ・パーハムが「キリストによって癒され、育てられる」という視点から回復の問題に取り組み、慎重に準備された良質なキリスト教の日々の祈祷書。


十二ステップの困難な霊的問題を具体的かつ心に訴えるように書かれている。 


4. 対象読者


 回復中のクリスチャンだけでなく、イエスによる「高い力」を受け入れる十二ステップのノンクリスチャンにも助けとなり、「一日に一度神の意志を見つけ実践する」人々に推薦される。


 解説 


 - 「欠けているもの」とは:


既存の祈祷書が「高い力」を抽象的に扱うのに対し、本書が「イエス・キリスト」や「聖書」という具体的なキリスト教の根拠に基づいて回復を語る点で、クリスチャンにとって必要だった「具体性と霊的な根拠」を補っていると考えられます。


 - 十二ステップとキリスト教の融合:


十二ステッププログラムは当初から「高い力」への依存を提唱していますが、本書はその「高い力」を明確にイエス・キリストと結びつけることで、クリスチャンの回復者に親和的で、かつノンクリスチャンにも「高い力」の具体的な姿を示すというバランスを取っています。


 - 序文の立場:


執筆者キース・ミラーは個人の感謝の意を込めて推薦しており、本書が「日常的な神の意志の実践」にも役立つことを強調することで、依存症回復だけでなく広く霊的な成長を目指す人々への訴求力も示しています。


 この本の「キリストによる癒し」と十二ステップが融合された内容に、今後の回復や霊的な成長のために興味を持たれますか?