病気の私【ありのままの私を観察する方法は?】ヒーリング/3/26・私の今日一日・きのう今日あした | 私の居場所と今日一日。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 

私の人生ひまつぶしです。

毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。

 

 

 

 

今日一日

3月26日 

 自分自身に多くを要求しないことと、
あまりに要求し、期待しすぎることには、ほとんど差がない。

 メイ・サートン


3月26日のこの言葉(メイ・サートン)は、回復の過程における「自己との付き合い方」の絶妙なバランス、いわゆる「中道」の難しさと大切さを教えてくれています。 


 これまでの「仲間への援助」「信仰の橋」「十字架の愛」という深いテーマを、日常の具体的な「自己管理」の視点から着地させる言葉です。


 ポイントと解説


 - 「無気力」と「完璧主義」の罠:


 自分に何も期待しない(自暴自棄・怠慢)ことと、高すぎる理想を押し付ける(支配欲・完璧主義)ことは、どちらも「ありのままの自分」を見ていないという意味で、本質的に同じ「自己不在」の状態です。 


- 「期待」という名のコントロール: 


期待しすぎることは、自分を思い通りに操ろうとする「自己意志」の暴走です。一方で、何も要求しないことは、神から与えられた可能性(自由意志)の放棄です。


 - 解説: 


回復において「今日一日」を生きる時、私たちは「全力を尽くすが、結果には執着しない」という、その中間にある「謙虚な努力」を求められています。 


 考察と内省 


 - 考察:


 依存症者は極端から極端へ走りやすい傾向があります。「自分はダメ人間だ」と卑下するか、「今日から完璧に生まれ変わる」と自分を追い込むか。どちらも「ありのままの無力な自分」を受け入れることを避けている姿です。


今日のテーマであった「十字架の下に倒れる」とは、この極端な自己評価を手放し、神の手にある「今の自分」を受け入れることです。


 - 内省:


 - 私は今日、自分に対して「どうせ無理だ」という諦めを持っていないか? 


- あるいは、「こうあるべきだ」という高すぎるハードルで自分を痛めつけていないか?


 - 神が私に期待している「今日一日の等身大の歩み」とは、どのようなものだろうか? 


 問題と解決


 - 問題: 


- 自己放任(アンダー・デマンド): 


成長をあきらめ、不健全な習慣に甘んじてしまう。 


- 自己虐待(オーバー・デマンド): 


理想の自分になれない自分を責め、そのストレスから再び嗜癖(逃避)に走る。


 - 解決: 


- 「今日一日」の適切な要求:


 遠い未来の完成ではなく、今日できる小さな「正しい行い」だけを自分に求めること。


 - 神への委ね:


 自分の成長のペースさえもハイヤーパワーに委ね、「今の自分」にOKを出すこと。  


 「自分自身に多くを要求しすぎず、かつ、自分を投げ出さない」。


 この静かなバランスの中にこそ、今日学んできた「健全さ」が宿ります。 


あなたは今日、自分に対してどのような「優しく、かつ誠実な」期待をかけてあげたいですか?


 母親はその朝、少年が起きる前にパイを焼いた。冷ますためにパイは裏のポーチに置かれていたが、その温かい香りは少年の寝室に入ってきた。少年が起きた時には、口の中がパイの香りでいっぱいになっていた。

 母親は仕事に出かける前にこういった。

「今日はやりたいことを何でもやっていいけど、パイにはさわらないこと。 それだけはダメよ」

 一日じゅう少年はパイのことを頭からふり払えなかった。 パイのことを考えると足がむずむずした。「パイにさわってはダメよ」。少年の頭には母親の声が響いていた。午後も遅くなる頃にはもう少年は気持ちをおさえることができなくなっていた。1歩、2歩、3歩、4歩、5歩、 6歩、少年は並んでいるパイにまっすぐ進んでいった。

 最悪のことを想像すると、そのとおりになってしまうことが多い。自分のことを想像する場合にも同じことがいえる。人を信頼する場合も、やはり同じ結果になる。


この物語は、「禁止」が「執着」を生むという心理的メカニズムと、「思考の焦点が行動を支配する」というアディクション(嗜癖)の本質を鮮やかに描き出しています。


 「パイを食べてはいけない」という言葉が、皮肉にも少年の頭の中を「パイ」でいっぱいにしてしまったのです。  


 ポイントと解説 


 - 「否定形」の罠:


 脳は「~するな」という否定形を理解しにくい性質があります。「パイを食べるな」と言われるほど、脳内には「パイを食べる自分」のイメージが鮮烈に描かれ、それが強力な誘惑(強迫観念)へと変わります。


 - 「最悪の想像」の現実化: 


自分の失敗を恐れ、再飲酒やスリップを「ダメだ、ダメだ」と念じすぎることは、実はその失敗に意識の焦点を合わせ続けていることになります。


これが「予言の自己成就」を引き起こします。


 - 解説:


 依存症の回復において、「酒を飲まない(Don't Drink)」という否定的な目標だけに集中すると、心は常に酒に縛られたままになります。 


 考察と内省


 - 考察: 


少年の「足がむずむずした」という描写は、強迫観念が身体的な衝動に変わるプロセスを象徴しています。


解決策は「パイを我慢すること」ではなく、「外に出て友達と遊ぶ」といった「別の方向へ関心を移すこと」にあります。


今日のテーマであった「仲間を援助する」や「信仰の橋を渡る」ことは、まさにパイ(嗜癖)から目を逸らし、新しい生の方向へ意識を向ける作業です。


 - 内省: 


- 私は今日、「~してはいけない」という禁止事項に縛られて、かえってそのことに囚われていないか?


 - 自分の将来について「また失敗するのではないか」という「最悪の想像」にエネルギーを注いでいないか? 


- 私を「パイの香り(誘惑)」から連れ出してくれる、新しい「やりたいこと」や「仲間の存在」に目を向けられているか? 


 問題と解決


 - 問題: 


- 強迫的な自己コントロール:


 意志の力だけで誘惑を抑え込もうとして、かえってその対象に心を占拠されてしまう(白クマ効果)。


 - 不信の連鎖:


 自分や他者を「どうせダメだ」と疑うことで、無意識に失敗をお膳立てしてしまう。


 - 解決: 


- 関心の転換(ダイバージョン): 


「飲まないこと」を考えるのをやめ、「今日一日、誰かの役に立つこと」や「神との対話」に意識を向ける。


 - 信頼の選択: 


失敗のイメージではなく、今日の祈りにあった「復活(回復)」のイメージに焦点を合わせる。   


 「パイにさわるな」という母親の言葉は、少年の「自由意志」を試すものでもありました。しかし、少年は一人でその誘惑に立ち向かい、敗北しました。


 もし、この少年に「一緒に遊ぼう」と誘ってくれる仲間が隣にいたなら、結末は違っていたかもしれません。 


 あなたは今、頭の中を占領している「パイ(誘惑や不安)」から目を逸らすために、どのような「明るい方向」へ一歩を踏み出したいですか?


 人のこと、そして自分自身のことについて、今日は最良のことを期待できるだろうか?


「人のこと、そして自分自身のことについて、最良のことを期待する」という決意は、先ほどの少年の物語にあった「最悪を想像すればその通りになる」という負の連鎖を断ち切る、もっとも強力なスピリチュアルな武器です。 


 今日、この「最良の期待」を実践するために、以下の3つの心の持ち方を提案します。 


 1. 「結果」ではなく「可能性」を信じる 


 最良を期待するとは、物事がすべて自分の思い通りに運ぶと信じることではありません。


 - 自分に対して: 


「今日、私は失敗しない完璧な人間だ」と期待するのではなく、「たとえ転んでも、神の愛と仲間の助けによって再び起き上がれる力(復活の種)が私の中にある」と信じることです。


 - 人に対して: 


相手が自分の望む通りに動くことを期待するのではなく、「あの人の中にも、神のスピリット(善きもの)が宿っている」と信じることです。


 2. 「パイ」から「光」へ視点を移す 


 少年のように「ダメな自分」や「相手の欠点(パイ)」を凝視し続けるのをやめ、意識的に「最良(光)」に焦点を合わせます。


 - 自分や他人の「できていないところ」を探すのではなく、「今日一日、しらふでいられている奇跡」や「相手が見せてくれた小さな親切」を最良の事実として受け取ります。


 3. 「最良の種」をまく


 期待するだけでなく、自分から「最良の結果」に繋がる種をまいてみます。


 - 自分に優しく声をかける。

 - 仲間の話をジャッジせずに聴く。

 - 「信仰の橋」を一歩渡る。


 自分が「最良の種」をまけば、収穫(結果)はハイヤーパワーが最も良いタイミングで与えてくださると信頼します。   


 今日一日の終わりのための内省:


 もし今日、誰かに対して(あるいは自分に対して)イライラしたり、失望しそうになったりしたとき、「この状況の中に隠されている『最良の可能性』は何だろう?」と一呼吸置いて問いかけてみてください。


 あなたは今日、鏡の中の自分に向かって、そして今日出会う人々に向かって、「あなたの中に素晴らしい回復の力があることを私は信じている」という眼差しを向けることができますか? 


 その期待こそが、あなたを「健全さ」へと導く光になります。


ありのままの私を観察する方法は?


「ありのままの自分を観察する」というのは、回復のプロセスにおいて最も強力で、かつ勇気のいる作業です。


私たちはつい、自分を「裁く(ジャッジする)」か「言い訳する」かのどちらかに陥りがちですが、「観察」とは、ただ「そこに何があるかを見る」ことです。


 具体的な5つのステップを提案します。


 1. 「実況中継」をする

(ラベリング) 


 自分の感情や体の感覚が動いたとき、心の中で実況中継をします。


 - 「あ、今、私は怒りを感じているな」


 - 「胸のあたりがザワザワして、不安になっているな」


 - 「パイ(誘惑)のことを考えて、足がむずむずしているな」 


ポイント:


 「怒ってはいけない」と否定せず、ただ「怒りがある」という事実だけをラベル貼りします。


 2. 「なぜ(Why)」ではなく

「何(What)」を問う 


 「なぜ私はこんなにダメなんだ?」と問うと、自己批判のスパイラルに入ります。代わりにこう問います。


 - 「今、私の頭の中で何が起きているだろう?」


 - 「今、私の心は何を恐れているのだろう?」


 ポイント: 


理由を探すのではなく、現在進行形の現象を観察します。


 3. 「三人称」で自分を見る


 自分を「私」と呼ぶ代わりに、自分の名前や「あの少年」のように客観的に眺めてみます。


 - 「(自分の名前)は今、寂しがっているな」


 - 「彼は今、完璧主義に陥って自分を追い込んでいるようだ」 


ポイント: 


自分と感情の間に少しだけ「隙間(スペース)」を作ることで、感情に飲み込まれなくなります。


 4. 身体の感覚に意識を戻す


 思考は嘘をついたり過去や未来へ飛び回りますが、身体は常に「今、ここ」にあります。


 - 足の裏が地面についている感覚。

 - 呼吸が浅くなっているか、

 深くなっているか。

 - 肩に力が入っていないか。 


ポイント:


 思考が暴走し始めたら、一度呼吸に集中し、「肉体という器」を観察することで、ありのままの自分に戻れます。


 5. 「棚卸し(インベントリー)」を書く 


 一日の終わりに、短くて良いので紙に書き出します(ステップ10の継続的な棚卸し)。


 - 今日、何に腹を立てたか?

 - どこで自己中心的だったか? 

- どこで正直になれたか?


 ポイント: 


書くことで、主観的なドロドロした感情が、客観的な「データ」に変わります。

  


 今日の実践: 


 先ほどの物語の少年のように、「足がむずむずする(欲求)」を感じたとき、それを抑え込もうとするのではなく、「おや、私の足がむずむずしているぞ。面白いな」と、少し離れたところから眺めてみてください。 


 「ありのままの自分」を観察できたとき、そこには「裁き」ではなく、「深い慈しみ(セルフ・コンパッション)」が生まれます。 


 あなたは今、自分の呼吸や心の状態を、ジャッジせずに「ただ見つめる」ことができますか?


 


フレーム

ワーク

 

 

かつては

どうであって

何が起こって

今どうなって

いるか?

 

 

「かつてはどうであって、何が起こって、今どうなっているか?」という思考パターンは、問題解決や状況分析に役立つ、非常に有効な思考法です。 

 

これは、過去、現在、未来という時間軸を意識しながら、問題や状況を理解し、解決策を見出すためのフレームワークと言えるでしょう。 

 

 この思考パターンを具体的に説明すると、以下のようになります。

 

 かつてはどうであったか? (過去)

 

 - 問題や状況が発生する以前の状態を把握します。

 

 - 例えば、仕事でミスをした場合、過去の仕事の進め方や環境、自身のスキルレベルなどを振り返ります。

何が起こったのか? (現在) 

 

 - 問題や状況が発生した原因を特定します。

 

 - 例えば、仕事でミスをした場合、具体的なミス内容、その原因となった行動、周囲の状況などを分析します。 

 

 今どうなっているのか? (未来)

 

 - 現在、問題や状況はどのように変化しているのか、そして将来どうなる可能性があるのかを予測します。

 

 - 例えば、仕事でミスをした場合、そのミスが今後の仕事にどのような影響を与えるのか、どのように対応すべきかを考えます。

 

 この思考パターンは、問題解決だけでなく、自分自身の行動や思考パターンを理解するためにも役立ちます。

 

 例えば、

 

 - 過去の失敗から学び、同じ過ちを繰り返さないようにする。

 

 - 現在の状況を客観的に分析し、より良い行動を選択する。 

 

 - 将来の目標を明確にし、計画的に行動する。 

 

 このように、この思考パターンは、様々な場面で活用できる汎用性の高いものです。 ぜひ、様々な状況に応用してみてください。

 

3月
March 


恐怖心を消すための最善の方法とは、 まず何らかの行動を起こすことである。


ポイントと解説 


 この言葉の核心は、恐怖心が行動の停滞を引き起こし、さらなる不安を増幅させる悪循環を、行動によって断ち切ることにある。


 - 恐怖心は未知のものや不確かなものに対して生まれやすい。行動を起こすことで、状況を具体的に把握し、「未知」を「既知」に変えることができる。 


- 行動自体が小さな成功体験を積み重ねる機会となり、自信が生まれることで恐怖心が徐々に和らいでいく。 


- 何もしないでいると、頭の中で不安が膨らみ、現実以上に恐怖を感じるようになる傾向がある。 


 考察と内省


 - 考察:


恐怖心は人間の本能的な防衛反応であり、完全に消すことは難しい場合もある。


だが、「行動を起こす」ことで恐怖心を制御し、前に進むことは可能である。


例えば、新しい仕事に挑戦する際の恐怖は、実際に手を動かして作業を進めることで、「自分にもできる」という実感に変わることが多い。


また、行動には「恐怖の対象を客観的に見つめ直す」効果もあり、過剰な不安を取り除く助けとなる。 


- 内省:


自分は恐怖心から行動をためらった経験はないか。


「失敗したらどうしよう」「うまくいかなかったら恥ずかしい」といった思いに囚われ、機会を逃したことはないか。


逆に、恐怖心に打ち勝って行動したことで、得られたものや成長した点は何か。


自身の経験を振り返り、行動の力を再確認する必要がある。


 問題と解決 


 - 想定される問題


 1. 恐怖心が強すぎて、そもそも行動を起こすこと自体が難しい。 


2. 行動してもすぐに成果が出ないため、再び恐怖心が戻ってきてしまう。 


3. どのような行動を起こせばよいか分からず、迷っているうちに時間が過ぎてしまう。


 - 解決策 


1. 小さな行動から始める:


いきなり大きな行動を起こす必要はない。


例えば、人前で話すことが怖い場合は、まず親しい人の前で短い話をするなど、自分にできる範囲の小さな行動を選ぶ。


小さな成功が自信につながり、次の行動への足がかりとなる。 


2. 行動の過程を重視する:


成果がすぐに出なくても、「行動した」という事実自体に価値があると認識する。試行錯誤や間違いは学びの機会であり、恐怖心を和らげるための経験となる。


 3. 具体的な行動計画を立てる:


何をすべきか明確にするために、簡単な計画を立てる。


目標を細かく分け、一つひとつの行動を具体的にすることで、迷いが減り、行動に移しやすくなる。


また、信頼できる人に相談したり、助けを求めたりすることも有効である。 


 恐怖心を抱いている具体的な状況があれば、それに合わせた行動の始め方を一緒に考えることもできますよ。


代表的な金律


代表的な金律


 1. キリスト教系金律(肯定形)


 文言:「あなたが人からしてもらいたいように、人にもしなさい。これが律法と預言者の総てです」


(マタイ伝5章19節) 


ポイント:


自己の希望を基に、積極的に他者に善を施すことを核心とする能動的倫理。 


解説:


「愛の律法」の具体化とされ、個人の主体性を重視しつつ対人関係の調和を目指す。


ただし「自己基準=他者基準」と誤ると、配慮が自己中心的になるリスクがある。


 2. 儒教系金律(否定形)

文言:


「己が欲せざるところは、人に施すなかれ」(『論語・顔淵』)


 ポイント:


自己の嫌悪することを他者に行わないことを基本とする、加害回避型の倫理。


 解説:


「仁(じん)」の理念に基づき、社会秩序と人間同士の尊重を重視。


最低限のモラル基準として分かりやすいが、積極的な支援や配慮まではカバーしにくい。 


 3. 仏教系金律(相互性重視型)


 文言:「自他不二の理に基づき、己が安んじたいように他者も安んじたいと思う。己が苦しまざるように、他者も苦しません」


(『法華経』などに基づく解釈) 


ポイント:


「自己と他者は本質的に分け隔てない」という視点から、相互の安らぎと苦しみの共感を重視。


 解説:


「慈悲(じひ)」の精神を体現し、否定形の配慮に加え、他者の苦しみを自らのものとして感じ取り積極的に救済しようとする姿勢を含む。


 考察 


 - 3つの金律は「自己と他者の関わり方」を核心としつつ、思想背景によって重点が異なる:


キリスト教は「愛の実践」、儒教は「社会秩序」、仏教は「共感と救済」を重視する。


 - 現代社会では、否定形で基盤を固め、肯定形で積極的な関わりを持ち、仏教系の相互性で相手の状況を深く汲み取る「複合的な実践」が有効と考えられる。 


 内省 


 - キリスト教系:「自分が望むことを人にする」際、相手の意向を確認せずに押し付けていないか?


例えば「一緒に食事に行きたい」と思っても、相手の予定や好みを確認しているか振り返る。 


- 儒教系:「嫌なことはしない」だけで満足せず、積極的に他者をサポートする機会を逃していないか?


例えば「迷惑をかけない」だけでなく、困っている人に声をかけられているか考える。


 - 仏教系:他人の苦しみを「他人事」として見過ごしていないか?


例えば周囲の人が疲れている様子を見て、自発的に手伝おうとする気持ちがあるか確かめる。


 この3つの金律の中で、自身の価値観に最も合うものはありますか?