四旬節第5木曜日・日毎の学び・今日一日の福音 | 私の居場所と今日一日。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。



第一朗読

創世記17・3-9

あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。

創世記

その日、神は、ひれ伏しているアブラハムに17・3語りかけて言われた。

4「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。5あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。

6わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。7わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。8わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」

9神はまた、アブラハムに言われた。
「だからあなたも、わたしの契約を守りなさい、
あなたも後に続く子孫も。」


聖書の箇所(創世記17:3-9)は、神がアブラハム(当時はアブラム)と結んだ「契約」の核心部分です。


このテキストの重要なポイントと解説、そして現代の私たちに引き寄せた考察と内省、問題解決への視点をまとめます。 


   1. ポイントと解説


 - 「改名」によるアイデンティティ

の変容


「アブラム(高貴な父)」から「アブラハム(多国民の父)」への改名は、単なる呼び方の変更ではなく、神による新しい使命の付与を意味します。彼の人生が個人的なものから、全人類に関わる救済史の一部へと拡大された瞬間です。


 - 一方的な神の「契約」と約束 


この契約は「わたしは〜する」という神の強い意志(一方的な恵み)によって支えられています。繁栄、多くの子孫、王たちの誕生、そしてカナンの土地の所有という具体的な約束が提示されています。


 - 「永遠」の神との関係 


土地や繁栄も重要ですが、最も本質的な約束は「わたしはあなたたちの神となる(7節、8節)」という点です。これは、神と人との絶えることのない関係性の確立を宣言しています。 


- 人間の応答としての「守る」 


神の無条件の約束に対し、人間側には「契約を守る(9節)」ことが求められます。これは律法のような細かい規則というより、まず「神を信じてその歩みを共にすること」への招きです。   


 2. 考察と内省


(自分自身への問いかけ)


 - 名前(存在)の更新:


 神はアブラハムに新しい名前を与えました。私たちは、過去の自分や他人の評価に縛られていないでしょうか。「今の自分」を超えて、神があなたを「どのような存在として見ているか」に目を向ける勇気があるかを内省してみましょう。


- 待つことの信仰:


この契約の時、アブラハムは99歳でした。肉体的な可能性が潰えたと思われる時期に、神は「繁栄」を約束しました。自分の計算や理屈を超えた神のタイミングを、どれほど信頼できているかを考えさせられます。


- 所有ではなく、神との関係:


私たちは「土地(成功や資産)」を求めがちですが、聖書の中心は「神が私の神であること」です。自分の人生において、目に見える成果よりも「神とのつながり」を第一に置けているかを問い直す機会となります。   


3. ポイントと解決(現代の課題への適用)


 - 孤独や虚無感の解決:


「多くの国民の父」という約束は、一人の人間が孤立した存在ではなく、大きな歴史や他者とのつながりの中に置かれていることを示します。自分の役割が見えないとき、神が自分を「誰かのための存在」として召し出しているという視点が、孤独感への解決策となります。


 - 将来への不安の解決: 


「永遠の契約」という言葉は、私たちの状況が変わっても神の誠実さは変わらないことを保証します。目の前の困難が、実は大きな繁栄へのプロセス(準備期間)であると捉え直すことで、不安を希望へと転換する力が得られます。


- 責任と自由のバランス:


「契約を守る」という義務は重荷ではなく、神の守りの中に留まるためのガイドラインです。何でも自分の力で解決しようとする慢心を手放し、神の指針に従うことが、結果として人生の最もスムーズな解決(安息)につながります。


 アブラハムのこの場面は、彼が完全だったから選ばれたのではなく、ただ神が彼を選び、彼がそれに「ひれ伏した(従順)」からこそ物語が始まりました。私たちも、まず自分の限界を認めて神の前にひれ伏すことから、新しい道が開かれるのかもしれません。


答唱詩編

詩編105・3b+4+5、6+7+8a+10b

心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。

詩編105

105・3b神を捜し求める者よ、心から喜べ。
4神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。
5神が行われた不思議なわざを思い起こせ、
救いのしるしとさばきのことばを。

6神のしもべ、選ばれた者よ、
7神のさばきは世界に及ぶ。
8a神は契約をとこしえに守られる。
10bイスラエルのための永遠の契約。


詩編105編の答唱詩編について、解説します。


 1. ポイントと解説


 この詩編は、イスラエルの民に対して、神がいかに歴史の中で働いてこられたかを「思い起こす(想起)」よう促す賛歌です。


 - 神を求める喜び (3b-4): 


神を捜し求めることは、苦行ではなく「喜び」であると強調されています。神の「顔」を慕うとは、神との親密な交わりを求めることを意味します。


 - 記憶の重要性 (5): 


「不思議なわざを思い起こせ」という命令は、信仰の核心です。過去の恵みを忘れることが不信仰につながり、思い起こすことが信頼につながります。 


- 契約の永続性 (8a, 10b): 


神が結ばれた「永遠の契約」は、人間の不忠実によって破棄されることはありません。神側の絶対的な誠実さ(ヘセド)が救いの根拠となっています。


 2. 考察と内省 


 - 考察: 


私たちの信仰は、個人の感情だけでなく「歴史的な事実(神がなされたこと)」に根ざしています。詩編著者は、個人の内面に向かう前に、まず外にある「神のわざ」に目を向けさせます。


 - 内省:


 - 私は最近、神が私の人生で行ってくださった「不思議なわざ」を数えただろうか。


 - 困難に直面したとき、神の「力」よりも自分の「能力」に頼りすぎてはいないか。 


- 「いつもその顔を慕い求めよ」という招きに対し、一日のうちどれだけの時間を神に向けているか。


 3. 問題と解決 


 現代の信仰生活における具体的な課題とその解決案です。


 - 問題:


忘却と不安
忙しい日常の中で神の恵みを忘れ、将来への不安に支配されてしまう。過去の助けを忘れると、現在の困難が乗り越えられない壁に見えてしまう。


 - 解決: 意識的な「想起」の習慣化。


一日の終わりに、神の恵みの「しるし」を一つ書き留める、あるいはこの詩編のように声を出し、神のわざを告白することで、心の焦点を不安から神の誠実さへと移す。 


- 問題:形式的な信仰 


神を捜し求めることが「義務」になり、喜びが失われている。


 - 解決: 「神を捜し求める者よ、心から喜べ」という言葉に立ち返る。


神は裁くために待ち構えているのではなく、慕い求める者に顔を向けてくださる方であることを再確認し、愛の関係性を修復する。


 神の契約は永遠であり、私たちの状況が変わっても神の約束は揺るぎません。この確信が、日々の歩みの力となります。 


 この詩編の言葉の中で、今のあなたにとって最も心に留まる一節はどこでしょうか。


福音朗読

ヨハネ8・51-59

神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。

ヨハネによる福音

そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。8・51「はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」52ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。53わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」54イエスはお答えになった。「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、『我々の神だ』と言っている。55あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。56あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」57ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、58イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」59すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。

ヨハネによる福音書8章51-59節は、イエスの神性と権威が最も鮮明に、そして衝突を伴って示される場面の一つです。 


 1. ポイントと解説 


 この箇所の最大のポイントは、イエスがご自身を「神そのもの」として宣言されたことにあります。


 - 死を打ち破る言葉 (51-52): 


イエスの言葉を守る者は「決して死ぬことがない」という宣言は、肉体的な死ではなく、神との永遠の断絶(霊的な死)からの解放を意味しています。


 - 「わたしはある(エゴー・エイミ)」(58): 


これは出エジプト記3章で神が自らを示された御名と同じ表現です。イエスが「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」と言ったのは、単に長生きだという意味ではなく、時間空間を超越した先史以前からの神であることを主張しています。


 - 栄光の源泉 (54-55): 


イエスは自分勝手に偉ぶっているのではなく、父なる神がイエスを証ししておられると説きます。ユダヤ人たちが「我々の神だ」と呼ぶ方こそが、イエスを遣わした方であるという皮肉な対比が描かれています。 


 2. 考察と内省 


 - 考察: 


ユダヤ人たちは、アブラハムという「過去の偉大なモデル」に固執したため、目の前にいる「命の与え主」を見誤りました。彼らにとって神は「知識や伝統」の中の存在でしたが、イエスにとって神は「今、共に生きる父」でした。


 - 内省: 


- 私は、自分の理解(常識や経験)の枠内にイエスを閉じ込めていないだろうか。


 - 「死を味わわない」という約束を、日々の不安や恐れの中でどれほど信頼しているだろうか。


 - イエスの言葉を「知っている」だけでなく、実際に「守って」歩んでいるだろうか。


 3. 問題と解決 


 この箇所が提示する現代的な課題と、その解決の方向性です。


 - 問題:


言葉の「字面」への固執
ユダヤ人たちが「50歳にもならないのに」と肉体的な年齢で判断したように、私たちは神の言葉を自分の論理や尺度で測り、その真意(霊的な命)を取りこぼしてしまうことがあります。


 - 解決: 


自分の正義や知識を一旦脇に置き、聖霊の導きを求めて「神の視点」で言葉を受け取る。イエスの言葉を、情報としてではなく「命の糧」として食べる姿勢を持つことが重要です。 


- 問題:


神への「心の閉鎖」
「神に心を閉じてはならない」という導入句にある通り、自分の既成概念に合わない真理を突きつけられたとき、人は攻撃的(石を投げようとする)になるか、拒絶してしまいます。 


- 解決: 


「自分を何者だと思っているのか」という問いをイエスにぶつけるのではなく、イエスから自分へ投げかけられる「あなたはわたしを何者だと思うか」という問いに、素直な心で答える。謙遜さこそが、神の栄光を見る鍵となります。 


 アブラハムが遠くから見て喜んだ「イエスの日」を、私たちは今、信仰によって生きています。この大きな恵みを、今日どのように形にして表したいと思いますか?