病者の祈りー2月・私の祈りと歩み・デポーション | 私の居場所と今日一日。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 

私の人生ひまつぶしです。

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神にゆだねて





2月7日


絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 

テサロニケの信徒への手紙
五章一七~一八節 


ポイント


 1. 核心命令:「どんなことにも感謝しなさい」という神の望みが示されている。


 2. 前提:この感謝は「キリスト・イエスにおいて」、すなわちキリスト教の信仰の中での姿勢である。 


3. 位置づけ:感謝することそのものが、神が人々に望んでいることである。


 解説 


 この箇所は『テサロニケの信徒への第一の手紙』5章18節(正確な節番号は18節です)の言葉で、キリスト教の信仰における「感謝の姿勢」の重要性を説いています。


「どんなことにも感謝しなさい」とは、好ましい出来事だけでなく、困難や試練の中でも感謝の心を持つことを意味します。


これは「神がすべての出来事に意味を与え、信徒の成長につなげてくださる」という信仰に基づいており、「キリスト・イエスにおいて」とあるのは、イエスの救いによって神との関係が回復した者として、その恵みを常に意識することを示しています。 


 この言葉は、苦しみや不安に直面した時にも、神の導きや愛を信じて感謝することで、心の平安を保つことを促すものです。


 考察 


 「どんなことにも感謝する」という考えは、キリスト教だけでなく、仏教やその他の宗教・思想でも重視される普遍的な価値観です。


現代社会では「不満や不足を強く意識しがち」な風潮がありますが、感謝の心を持つことで、現状をより前向きに捉え、ストレスや負の感情を軽減する効果があることも心理学的に示されています。


 特にAAやAl-Anonのような自助活動では、「自分の持っているものや経験に感謝すること」が、自己肯定感を高め、回復を支える重要な要素とされます。困難な経験でも、それが自身や他者を助けるための糧となることを認めることで、感謝の対象として捉えられるようになります。


 内省のヒント


 - 「どんなことにも感謝する」ことはできますか?


困難な状況の中で感謝の心を持つのは難しいと感じますか?


 - 普段、感謝の対象として意識していることは何ですか?


些細な出来事にも感謝の気持ちを向けることはありますか?


 - 感謝の心を持つことで、自身の気持ちや周囲との関係が変わった経験はありますか? 


 もしよければ、毎日「今日感謝できることを一つでも見つける」習慣をつけてみるのはいかがでしょうか?


例えば朝起きた時、食事をする時などに、簡単に心の中で感謝の言葉を述べてみることで、意識が徐々に変わるかもしれません。



 神は特別な方で祈りに答えてくださいます。必要なものを送ってくださいます。リクエストしたものよりも必要なものを送ってくださいます。

次にあるのは作者不詳の時です。

私は成し遂げられるように
力を祈り求め、
従うことができるように、
弱くされました。

私は像大なことを成し遂げられるように健康を祈り求め、 
より良いことを成すことができるように病気を与えられました。

私は幸せになることができるように、豊かさを祈り求め、 賢くなるように貧しさを与えられました。

私は人間を讚美することができるように力を祈り求め、 神の必要を感じるように弱さを与えられました。

私は人生を楽しむことができるすべてのことを祈り求め、 すべてのことを楽しむことができる人生を与えられました。

 私は求めたもの、望んだものは何も与えらず、私の祈りは答えられました、

最も恵まれたのです。


ポイント


 - 祈りの応え方の逆転性:


願ったものとは異なる形で祈りが叶っており、表向き「与えられなかった」ように見えても、本質的なニーズが満たされている点が核心。


 - 対比的な要素の配置:


力→弱さ、健康→病気、豊かさ→貧しさなど、相反する概念が対になっており、これにより真の価値が浮き彫りになる。


 - 結論の意外性:


「何も与えられず」ながら「最も恵まれた」という結論が、テキストの意図を明確にする。


 解説


 この文章は、「表面的な欲求」と「本質的な必要」の違いを描いています。


例えば「力を祈る」というのは、自分で成し遂げたいという欲求ですが、「弱くされる」ことで、他者や神に従い、本当に重要なことを成し遂げる力が養われます。


同様に、病気は健康の大切さを教え、貧しさは真の豊かさや賢さの意味を知るきっかけとなります。


最終的に「すべてのことを楽しむ人生」が与えられることで、祈りの真の応えが示されています。


 考察


 - 価値観の再考:


私たちが日常的に求める「力」「健康」「豊かさ」といったものは、必ずしも幸福や成長に直結するわけではなく、時には逆の状況こそが成長の土台になる可能性を示唆しています。


 - 超越的な視点:


作者は、神の配慮が人間の浅はかな希望を超え、より深い次元での恵みをもたらすと考えているようです。 


 内省のヒント


 - 自分が今「求めているもの」は、本当に必要なものなのか?


 表面的な欲求と本質的なニーズを見分けることはできますか?


 - 困難や不足を経験した時、そこに何かの教えや可能性が含まれていないか、立ち止まって考えることはできるでしょうか? 


 この文章に触れて、あなた自身が「本当に必要なもの」とは何か、改めて考えるきっかけになりましたか?



この祈りは、広く知られた「病者の祈り」や類似の表現として一部で伝えられていますが、聖書に収録されたものや《主の祈り》のような代表的な有名な祈りとしての位置づけではありません。 


 NY大学リハビリ研究所の壁に掲示されていたことが紹介され、内容は「表面的な欲求とは異なる形で神の恵みを受ける」というテーマを共通にしています。


作者は不明なまま、信仰者の間で心に響く言葉として伝播しているようです。 




祈りは高い力との会話です。回復の途上にあるクリスチャンにとって、祈りはキリストとの対話です。キリストは祈りのパートナーです。私たちの思いが主に向かったとき、私たちは祈っています。キリストの眼を通して人生の事実を見るとき、祈っているのです。祈りは主への相談です。


まず、この言葉は祈りを「一方的な願い事」ではなく、キリストとの双方向的な対話・関わりとして捉えている点が大切です。


回復の途上にあるクリスチャンにとって、それは心の拠り所となると同時に、自分や人生を見つめ直す機会にもなります。 


 ポイント


 - 対話性:


祈りが「会話」「相談」であるとすることで、神様やキリストを遠い存在ではなく、共に歩む「パートナー」と位置づけています。


 - 視点の転換:


「キリストの眼を通して見る」ことが祈りの一つの形であり、自分中心の考えから、キリストの教えや愛に基づいた視点で物事を捉え直すことを意味します。


 - 回復との関わり:


心身ともに回復する過程では、不安や迷いがつきものですが、祈りを通じてキリストとつながることで、安心感や前進する力を得られるという意味合いが含まれています。 


 解説 


 クリスチャンの信仰の中で、キリストは「救い主」であると同時に「友」でもあります。


回復の途上にある人が祈るとき、単に「助けてください」と願うだけでなく、自分の現状や思いを打ち明け、キリストの教えや導きを仰ぎながら、どう歩んでいけばよいかを「相談」するのです。


また、「キリストの眼を通して見る」ことは、自分の苦しみや問題を、罪や不完全さだけでなく、キリストの愛と赦しの中で捉え直し、前向きに受け止めることにつながります。 


 回復の過程で、このような対話的な祈りをする中で、特に心に響いたキリストの言葉や教えはありますか?


最も良い祈りの一つは聖トマス・アクイナスによって与えられました。

「主よ、しっかりした心をお与えください。価値のない思いにひきずられないように。つまらないことで疲れない元気な心を、例の価値もない目的で脇道にそれることがないように正しい心を与えてください。アーメン」


ポイント 


 - 祈りの対象:「主」へと捧げられ、「しっかりした心」「元気な心」「正しい心」の3つの資質を求めている点が核心。


 - 否定的な対象の明確化:「価値のない思い」「つまらないこと」「価値もない目的」といった、心を乱す要因を具体的に挙げ、避けたい状態を示している。


 - 内容の実践的さ:抽象的な願いではなく、日常の心の動きに関わる具体的な配慮を求めており、信仰を生活に結びつける特徴がある。


 解説


 聖トマス・アクイナスは中世の哲学者・神学者で、信仰と理性を融合させた思想を提唱しました。


この祈りは、人間が日常的に直面する「心の散漫さ」「無駄な煩悩」「目的の逸れ」を警戒し、内面の安定と正しい生き方を支える心の力を求めるものです。


「しっかりした心」は揺るぎない精神性、「元気な心」は無駄な疲労から守られる活力、「正しい心」は真の価値に向かう判断力を指し、これらが揃うことで、信仰に基づいた生き方を実践できるという考えが込められています。


 考察 


 - 時代を超える普遍性:


中世に作られた祈りですが、現代人も情報の洪水や多様な誘惑にさらされ、心が散漫になったり無駄なことに疲れたりすることが多く、その内容は今でも強い共感を呼びます。 


- 信仰と内面の関係:


聖トマスの思想と合わせて考えると、この祈りは「神の恵みを受けながら、自分自身でも心を磨く努力をする」という、信仰と自律の両面を重視する姿勢を表しています。


 内省のヒント


 - 自分の日常では、どのような「価値のない思い」や「つまらないこと」に心を奪われていますか?


 - 「正しい心」を保つために、自分なりに心がけていることや、今後取り組みたいことはありますか? 


 この祈りの中で、特にあなたの心に刺さった言葉はありますか?


主よ、祈りの中で、あなたのために鼓動する心を与えてください。 アーメン


この祈りは、「自分のためではなく神のために動く心」を求める、核心的な願いです。 


 ポイント 


 - 焦点の転換:


心の鼓動の目的を「自分」から「主」へと置き換えることを願っており、自己中心的な考えから神中心の生き方への転換を示唆します。


 - 具象的な表現:


「鼓動する心」という言葉で、単なる思考や意志ではなく、生命そのものが神に結びつくような深い関わりを求めている点が特徴です。


 解説 


 「心が主のために鼓動する」とは、日常の全ての判断や行動が、神の御心や愛に基づいて行われることを意味します。


自分の欲望や利害ではなく、神の栄光や人々への奉仕を最優先に考え、それが自然と心の動きとなるように願う内容であり、クリスチャンにとっては「真の信仰生活の在り方」を問う祈りと言えます。


 考察


 - 信仰の深化:


この祈りは、祈りや信仰が「自分の願いを叶える手段」ではなく、「神との関わりの中で自分自身を変えるプロセス」であることを表しています。


 - 実践への繋がり:


心が主のために鼓動するようになると、言動にも自然と反映され、周囲への愛や奉仕の行いへとつながるという、信仰と生活の一体化を目指す想いが込められています。


 内省のヒント 


 - 今の自分の心は、主のために鼓動していると感じますか? 


それとも、何か別のものに向けられていますか?


 - 「主のために心を動かす」ことを具体的に実践するなら、どのような行動から始められるでしょうか?


 この祈りを唱えるとき、あなたはどのような気持ちになりますか?



Arguments 

 議論 


 原則に関しては同意すると言う人は、例外なくあなたと言い争う用意があることに気づきました。議論は通例はあまり生産的ではありませんが、討議は生産的です。議論は基本的には二人の人が自分が正しいと主張する戦いです。それは勝負です。誰も負けることを望みません。勝つことが目的です。残念ながら私たちは他方の側が見えず、自分たちの値しか見えません。このことは宗教的な議論でもよくあります。スポルジョンは次のように言いました。


 「聖霊が示すことを多く語る人は他の人に聖霊が示したことをほとんど考えない」

冗談に次のように言った人もいます。


 「いかなる議論も二つの側があり、それらは互いに密接に結びついている」私たちは二つの傷があることを忘れていることが多いのです。 


 二つの側があり、両方とも勝つべきであるということを忘れないようにすることによって、議論は討論に変えることができます。Win-win の関係は南側にとって学びをもたらし、 それぞれにとってその話し合いは有益です。聞いて学ぶことは示して話すことと同じように重要です。


 質問をすること、他の人の意見や考えに好奇心を持つことは討議されている事柄の向上させ、聖化させます。理解が目的であり、勝ち点ではないのです。


個人的な意見として前置きしたり、私の意見は間違っているかもしれないと前置きして、

議論を避けることができることがわかりました。そのように考えるのがあなた一人だとすれば、正しいかどうかはそれほど重要ではありません。ある考えや感情を他の人のせいにする前に、「私の考えは間違っているかもしれないが、あなたは今日、あまり元気でないように見える。その通りですか、それとも私が想像しているだけでしょうか」ということを忘れないようにしている。 


このようにして、私への攻撃や推測をされずに、賛同されたり正されたりする活路を開きます。


ポイント


 - 議論と討議の違い:議論は「自分が正しいと主張する戦い・勝負」で生産的でないが、討議は「理解を目的とし、Win-winの関係を築く」もので有益。


 - 議論の問題点:当事者は自分の側しか見えず、他者の意見や「聖霊が示すこと」なども相手のものは考えない傾向がある。


 - 討議への転換法:「両方が勝つべき」と考え、聞くことや質問、好奇心を持つことで話し合いを高める。


 - 議論回避のコツ:「個人的意見です」「間違っているかもしれません」と前置きし、他者の状況を配慮した表現を使うことで、攻撃感を避けて活路を開ける。


 解説


 - 「議論は戦い」とは、勝敗を競うことで対立が深まり、相互理解が進まないことを指す。特に宗教的な議論では、自分の信念を絶対視して相手の意見を無視しがちな点が指摘されている。


 - スポルジョンの言葉や冗談は、「自分が持つものばかりを重視し、相手の視点を軽視する傾向」を皮肉たっぷりに表している。


「二つの傷がある」とは、両者ともに課題や未熟な部分を持っていることを暗に示している。


 - 「Win-winの関係」とは、一方が勝つのではなく、お互いに学びを得られる状態を指す。


聞くことや質問することで、話し合いが「聖化(より良いものにする)」されるとしている。 


- 前置きをつけたり相手の状況を配慮した表現を使うことで、相手に攻撃されたり推測されたりする感覚を与えず、意見の交換や修正をスムーズにすることができる。


 考察 


 - 現代社会では意見の多様化に伴い、議論が増える一方で対立が深まるケースも多い。


この文章が提唱する「討議への転換」は、多様な意見を尊重しつつ問題を解決する上で重要な視点だ。


 - 「自分の意見が間違っているかもしれない」と前置きすることは、謙虚な姿勢を示すだけでなく、相手にも柔軟に意見を述べやすい雰囲気を作る効果がある。


 - 「理解が目的で勝ち点ではない」という考えは、人間関係の構築や問題解決において、短期的な勝利よりも長期的な信頼関係を重視する姿勢を反映している。


 内省のヒント 


 - 自分は意見が合わない時、「議論」になりがちか「討議」として進められるか?


その違いは何だと思うか? 


- 「自分の意見だけを正しいと思い、相手の意見を聞かない」ことはないか?


その結果どんなことが起こったか? 


- 他者と意見を交わす時、「前置きをつける」「相手の状況を配慮する」といった工夫はしているか?


していない場合は、どう改善できるか?


 あなたは、意見が合わずに対立しそうになった時、「議論を討議に変える」ために何か工夫した経験はありますか?



序文 


 「神にゆだねて」はこれから長い間多くの人々に読まれるでしょう。本書は日々の祈祷書といわれる本に欠けているものを満たす本です。


最近の(アルコール依存症の会の信条に基づいて)十ニステッププログラムから突然生まれたこの本は、いままでと違うスピリチュアルなアプローチで多くのクリスチャンに嗜癖や依存症からの回復をもたらしています。このような回復した人々はとても神に感謝しています。


 十ニステップにかかわる多くの日々の祈祷書はイエス・キリストや具体的な聖書の個所に言及することをずっと避けています。このことは回復の明らかな問題について、キリストによって教え育てられることがないことを意味しています。


 しかし「神にゆだねて」の中で作者のフィリップ・パーハムは回復の明らかな問題について、キリストによで癒され、育てられると書いています。慎重によく準備された良いキリスト教の日々の祈祷書です。十二ステッブにかかわる困難なスピリチュアルな問題を具体的に、時には心に強く訴えるように書いています。


 本書は回復中のクリスチャンに役に立ちますし、イエス・キリストに顕されている高い力を受け入れる十二ステップに属するノンクリスチャンにも助けになります。個人的にもフィルが本書を書いてくれたことに感謝しています。そして本書を神の意志を一日に一度見いだし、実践しようとしている他の人々にも推薦します。 


 キース・ミラー 

 テキサス州オースティン



この序文のポイントと解説は以下の通りです。


 主なポイント


 1. 本書「神にゆだねて」の意義


 今後長く多くの人に読まれ、既存の日々の祈祷書の「欠けているもの」を満たす価値のある本で、アルコール依存症の会の十二ステッププログラムを基に生まれ、嗜癖・依存症からの回復に新しい霊的アプローチを提供している。


 2. 既存の十二ステップ関連祈祷書の課題 


イエス・キリストや具体的な聖書の個所への言及を避ける傾向があり、回復の問題についてキリストによる教えや育てが得られない点。


 3. 本書の特徴 


作者フィリップ・パーハムが「キリストによって癒され、育てられる」という視点から回復の問題に取り組み、慎重に準備された良質なキリスト教の日々の祈祷書。


十二ステップの困難な霊的問題を具体的かつ心に訴えるように書かれている。 


4. 対象読者


 回復中のクリスチャンだけでなく、イエスによる「高い力」を受け入れる十二ステップのノンクリスチャンにも助けとなり、「一日に一度神の意志を見つけ実践する」人々に推薦される。


 解説 


 - 「欠けているもの」とは:


既存の祈祷書が「高い力」を抽象的に扱うのに対し、本書が「イエス・キリスト」や「聖書」という具体的なキリスト教の根拠に基づいて回復を語る点で、クリスチャンにとって必要だった「具体性と霊的な根拠」を補っていると考えられます。


 - 十二ステップとキリスト教の融合:


十二ステッププログラムは当初から「高い力」への依存を提唱していますが、本書はその「高い力」を明確にイエス・キリストと結びつけることで、クリスチャンの回復者に親和的で、かつノンクリスチャンにも「高い力」の具体的な姿を示すというバランスを取っています。


 - 序文の立場:


執筆者キース・ミラーは個人の感謝の意を込めて推薦しており、本書が「日常的な神の意志の実践」にも役立つことを強調することで、依存症回復だけでなく広く霊的な成長を目指す人々への訴求力も示しています。


 この本の「キリストによる癒し」と十二ステップが融合された内容に、今後の回復や霊的な成長のために興味を持たれますか?