私の日課・DR・WHEN FAITH IS MISSING ・信仰が見えなくなるとき | 私の居場所と今日一日。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 

 

私の人生ひまつぶしです。

毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。

 

 

 

 

 

 

私の英語自習

活動日記です

 

 

 

 

 FEBRUARY 4 

 WHEN FAITH IS MISSING 

 

 Sometimes A.A. comes harder to those who have lost or rejected faith than to those who never had any faith at all, for they think they have tried faith and found it wanting. They have tried the way of faith and the way of no faith. 

 

 TWELVE STEPS AND TWELVE TRADITIONS, p. 28 

 

 

 信仰が欠けているとき 

 

 時に、A.A.は、信仰を全く持ったことのない人々よりも、信仰を失ったかまたは拒絶した人々の方が取り組むのが難しい。

 

なぜなら彼らは、信仰を試してみてそれが不十分であると分かったと考えているからです。

 

彼らは信仰による道も、信仰なき道も試したのです。 

 

 『12ステップと12伝統』 

 

ポイントと解説 

 

 - ポイント

 

1:信仰が欠如した場合の困難さ 

 

アルコール依存症匿名会(A.A.)は、12ステップの中に「より力強いものへの信仰」を含む考え方があるが、信仰を失ったり拒絶したりした人ほど、全く信仰を持ったことのない人よりもA.A.への取り組みが難しいとされています。

 

理由は「信仰を試してみたが不十分だと判断した」という経験があるためです。

 

 2:両者の道を試した経験の影響 

 

これらの人は「信仰に基づく生き方」と「信仰のない生き方」の両方を試した経験があり、どちらも自分には合わないと感じている可能性があり、新たな取り組みに踏み出すことをためらう要因となっています。 

 

 考察と内省 

 

 - 考察:

 

信仰がないことと、一度信仰を持った後に失望したことでは、心理的なハードルに違いがある点が示唆されます。

 

全く経験のないものには可能性を感じる余地があるのに対し、「試してみてだめだった」という経験は、新たな挑戦を避けるように作用します。

 

またA.A.における「信仰」は特定の宗教を指すのではなく、個人が信じられる何か(自己、他者、宇宙の摂理など)を含む広い概念ですが、過去の失望経験があると、このような広い意味での信仰すら受け入れにくくなることが考えられます。

 

 - 内省:

 

自身にも「一度試してうまくいかなかったため、同じようなものには手を出さない」という心理があるかもしれません。

 

そのような経験が、本当に自分に合わないものを避けているのか、あるいは新たな可能性を閉ざしているのかを問いかけてみることが重要です。

 

また、「信仰」という言葉に抵抗がある場合でも、自分が信頼できるものや頼りになる存在は何かを考えることで、困難を乗り越えるための支えを見つけるきっかけになるかもしれません。 

 

 もし何かに対して「試してみたがだめだった」と思う経験があるなら、それは本当にそのものが不十分だったのか、それとも当時の自分の受け取り方や取り組み方に理由があったと感じますか?

 

ここでの「信仰」とは 

 

 A.A.の『12ステップと12伝統』における「信仰」は、特定の宗教や宗派に限定されるものではなく、個人が自分よりも力強いもの(Higher Power)に対して持つ信頼や依拠の心を指します。

 

この「より力強いもの」は、宇宙の摂理、自然の営み、人間全体の善意、自分自身の内なる声、あるいは伝統的な神様など、個人が納得できるあらゆるもので構いません。

 

 ポイント解説

 

 - 広い概念であること:

 

A.A.では、「信仰」を硬性的な教えではなく、依存症の克服や生き方の軸となる「支えとなるものへの信頼」として位置づけています。

 

 - 自己中心的な考えを超える意味:

 

アルコール依存などの問題は、自己中心的な思考やコントロールしようとする欲求が深く関わるとされ、信仰はそれを超えて「他者や何か大きなものとつながること」を促す役割があります。

 

 - 過去の経験との違い:

 

「試してみて見つからなかった」と感じる信仰が特定の宗教的教えだった場合でも、A.A.の提唱する信仰は個人に合わせて柔軟に捉えられる点が特徴です。 

 

 自分なら「より力強いもの」として何を想定できますか? 

 

もしくは、このような広い意味での信仰に対して、どんなイメージを持っていますか?

 

 I was so sure God had failed me that I became ultimately defiant, though I knew better, and plunged into a final drinking binge. My faith turned bitter and that was no coincidence. Those who once had great faith hit bottom harder. It took time to rekindle my faith, though I came to A.A. I was grateful intellectually to have survived such a great fall, but my heart felt callous. Still, I stuck with the A.A. program; the alternatives were too bleak! I kept coming back and gradually my faith was res-urrected.

 

 「神は私を見捨てたに違いない」と確信してしまい、それでもわかってはいたのに、ついに反抗的になり、最後の大酒飲みに明け暮れました。

 

私の信仰は苦いものに変わり、それは偶然のことではありません。かつて強い信仰を持っていた人ほど、より激しく底に突き落とされるのです。 

 

 A.A.に入ったとはいえ、信仰を再び燃やし直すには時間がかかりました。これほどの転落から生き残れたことは、頭では感謝していましたが、心は無感動なままでした。

 

それでも私はA.A.のプログラムにこだわり続けました。他に選べる道はあまりにも暗すぎたのです!

 

何度も通い続けた結果、徐々に私の信仰はよみがえりました。

 

 ポイントと解説

 

 - ポイント

 

1:信仰の失望が引き起こす行動
 

「神が自分を見捨てた」と確信したことで反抗的になり、最終的な飲酒の過飲に陥っています。信仰が苦いものに変わったことと、この堕落は因果関係にあり、かつて強い信仰を持っていた人ほど底に落ちる際の衝撃が大きいと述べられています。
 

2:A.A.加入初期の心理状態

 

生死を境に逃れたことは知的に感謝していましたが、心は冷酷なままでした。それでも代替案が暗澹たるものだったため、A.A.のプログラムに固執し続けました。
 

3:信仰の再生には時間を要する


継続的にA.A.に通い続けることで、徐々に信仰が蘇っていきました。信仰の回復は一蹴ではなく、持続的な取り組みを通じて進むことが示されています。

考察と内省

- 考察:

 

かつての信仰の強さが、失望時の苦しみや堕落の度合いを大きくする要因になることが具体的に示されています。

 

これは「大きな期待が裏切られた際の心理的ダメージが大きい」という人間の普遍的な傾向と一致します。

 

また、A.A.における信仰の再生は「知的な理解」ではなく、「継続的な参加と実践」を通じて心の変化が生まれる点がポイントです。

 

代替案がないからこそ続けられた経緯は、困難な状況でも「一歩ずつ続けること」が変化の始まりになり得ることを示唆しています。


- 内省:

 

自身にも「大きな期待を寄せたものが裏切られ、心が閉ざされたり反抗的になったりした経験」があるかもしれません。

 

その時、「代替案がないから続ける」という選択ができたのか、あるいは完全に立ち止まってしまったのか振り返ってみることが重要です。

 

また、「心が追いつかないまま知的には理解している」という状態に陥ったことがあれば、その時にどのように心のギャップを埋めることができたか考えてみると、今後の困難な局面での対処法につながるかもしれません。

過去に大きな失望を経験した際、「継続すること」で徐々に状況や自分の気持ちが変わった経験はありますか? 

 

もしあれば、その時何が変化のきっかけになりましたか?

  

 

 

 

 

 

教えてグーグル

先生

 

信仰が見えなくなるとき

 

信仰をなくしたり捨てたりした人たちにとってAAは、一度も信仰を持ったことのない人たちよりもむずかしいことがある。

 

なぜなら、この人たちは、信仰をもっていたのに、それが役に立たなかったと思っているからだ。

 

その人たちは信仰のある道と信仰のない道の両方を歩いてみた。

 

 - ポイント


1:信仰経験者の困難さ


 信仰を失ったり捨てたりした人は、全く信仰を持ったことのない人よりもA.A.への取り組みが難しい場合があります。


 2:「信仰が役に立たなかった」という認識 


その理由は、かつて信仰を持ったものの、それが自分の問題解決に役立たなかったと判断しているためです。 


3:両者の道を経験した影響


 これらの人は「信仰に基づく生き方」と「信仰のない生き方」の両方を試した経験があり、どちらも自分には合わないと感じることで、新たなアプローチへの抵抗感が生まれます。


 考察と内省


 - 考察:


信仰を経験した後の失望は、未知のものに対して持ちうる「可能性への期待」を失わせるため、心理的ハードルが高まります。A.A.が提唱する「より力強いものへの信仰」は特定の宗教に限定されないものの、過去の経験が「信仰」そのものに対する不信感を生み、受け入れにくくなることが考えられます。


このような状況は、依存症だけでなく人生の様々な局面で見られ、「一度失敗したから同じようなことは無駄」という固定概念が成長を阻むケースが少なくありません。


 - 内省:


自身が何かに対して「試したけれど効果がなかった」と判断した経験があるかもしれません。


その時、「そのもの自体が無意味だったのか」「自分が試した方法や捉え方に問題があったのか」を改めて考えてみることで、新たな視点が得られる可能性があります。


特に「信仰」に関しては、過去に抱いていたイメージとA.A.の提唱する概念が異なるかもしれず、その違いを確かめることが重要です。


 過去に何かを試して失敗した後、「同じようなものだから無駄だ」と思い込んでいたけれど、後から違う側面を見つけて考えが変わった経験はありますか?


神にそむかれたものと思い込んで、反抗的になっていた。

 

実は本当のことはちゃんとわかっていたのだが・・・。

 

そして最後の連続飲酒に入った。

 

私の信仰が恨みがましいものに変わったのは、単なる偶然ではなかった。

 

深い信仰を持ったことのある人間は、いっそう激しい絶望を味わう。

 

私もAAにつながったものの、信仰を取り戻すには時間がかかった。

 

これほどに激しい落ち込みを生きのびることができたことを、頭では感謝していたものの、心のなかは凍てついていた。

 

それでも私はAAのプログラムにしがみついていた。それ以外の方法はあまりにも苛酷すぎた。とにかくAAを通い続けた。

そしてゆっくりと、信仰がよみがえってきた。

 

  - ポイント


1:信仰の失望が引き起こした行動と心理 


「神に背かれた」と思い込み反抗的になり、本心では状況を理解していながら最後の連続飲酒に陥りました。信仰が恨みに満ちたものに変わったのは偶然ではなく、深い信仰を持つほど絶望も激しいことが示されています。


 2:A.A.加入初期の心と頭のギャップ 


激しい苦しみを乗り越えられたことを頭では感謝していましたが、心は冷酷なままでした。代替案がないほど厳しかったため、A.A.のプログラムにしがみつき続けました。


 3:信仰回復のプロセス 


継続的に通い続けることで、ゆっくりと信仰が蘇ってきたことから、変化には時間と持続が必要であることがわかります。 


 考察と内省


 - 考察:


深い信仰が裏切られた際の心理的ダメージの大きさが具体的に描かれています。「頭では理解しても心が追いつかない」状態は、感情と理性の乖離として人間に共通するものであり、A.A.における変化が「知識の習得」ではなく「体験と継続を通じた心の変容」であることを示唆しています。


また「代替案がないから続ける」という選択は、困難な局面で「最小限の行動を継続すること」が突破口になり得ることを教えてくれます。


 - 内省:


自身が大きな失望や挫折を経験した際、心と頭の間にギャップが生まれたことはないでしょうか。その時、「どこかにしがみつくこと」ができたか、あるいは立ち止まってしまったか振り返ってみることが重要です。


また、変化に時間がかかることを許せるようになると、焦りによる余計なストレスを減らし、着実な成長につなげられるかもしれません。


 大きな試練を乗り越えた後、心が凍てついたような気持ちになった時、何か小さなことで心が少しずつ温まってきた経験はありますか?

 

 

 

分かちあい

ありがとう

ございました