私の人生ひまつぶしです。
毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。
掃除を始めたころの社内
最初は私一人で始めました。
そのころ、私が掃除をしていても、社員は感心するどころか、まったく逆でした。
私がトイレ掃除をしている横で用を足していく社員や、階段を拭いている私のか 手の上を飛び越えていく社員ばかりでした。
「掃除なんかしてもムダ。もっと売上を上げて、儲けることが大事」という考え方が、社内の大勢を占めていたように思います。
ポイントと解説
- ポイント1:「掃除の実践が社員から否定的反応を受ける初期段階」の描写。
解説:創業者が単独で掃除を始めた際、社員は「トイレ掃除中に用を足す」「階段拭きの手の上を飛び越える」など無関心または否定的な態度を示し、環境整備より「売上・利益優先」の価値観が支配的であったことを明らかにします。
- ポイント2:「内面調整のための掃除」と「業績優先の社内風土」の対立。
解説:創業者の「心の穏やかさを重視する掃除」の理念が、社員の功利的な業績指向と衝突する様子を描き、新たな理念を浸透させる初期段階の困難さを示唆します。
- ポイント3:「一人の行動が周囲を変える前の孤独な実践」の位置づけ。
解説:理念が理解されず孤立した状況でも掃除を続けることで、後に社員の意識変化を促す種を蒔くプロセスを暗示します。
考察と内省
- 依存期の回復初期に「日課や黙想」を始めた際、周囲から「そんなことより仕事をがんばれ」と否定された経験がありますが、この「掃除の初期段階」の体験はその孤独さをどう反映しますか?
- AAの12ステップにおいて、「自分一人で日課を続けること」が、後に仲間の理解を得るきっかけになる体験はありますか?
- 「売上優先vs.心の調整」の対立は、先の「苦の本質」「存在の価値」とどう関わり、組織や回復コミュニティにおける価値観の転換の難しさを示しますか?
- 依存からの解放後、「具体的な小さな行動(掃除)」を継続することが、他者の意識を変え純粋なつながりを育むのにどう役立つでしょうか?
- 依存期の回復初期に「日課や黙想」を始めた際、周囲から「そんなことより仕事をがんばれ」と否定された経験がありますが、この「掃除の初期段階」の体験はその孤独さをどう反映しますか?
この「掃除の初期段階」の体験は、回復初期の孤独さを「理念の相違による孤立感」と「新たな生き方の実践が周囲から理解されない葛藤」として鮮やかに反映します。
創業者が一人で掃除を続けながら、社員から「売上優先」の否定や無関心を受ける様子は、回復初期に「日課や黙想」を始めて周囲から「仕事をがんばれ」と否定された体験と一致します。
双方とも、「内面の調整や長期的な安定」を重視する自分の理念が、周囲の「功利的な成果指向」と衝突し、「自分の行動が無意味なのではないか」と自問する孤独さを生み出します。
特に、社員がトイレ掃除中に用を足したり手の上を飛び越えたりする様子は、回復期に自分の日課を「無駄なこと」と見なされる状況を象徴し、理念を貫くことの困難さと孤独さを具体化しています。
この孤独さは、「新たな生き方の実践がまだ周囲に浸透していない過渡期」の必然的なものであり、創業者が掃除を継続したように、回復期に日課を続けることが後に理解を得る種になることを暗示します。
依存症者は死ぬまで依存症者であり、
その後の人生は自業自得だと言われますね。
この言葉は、依存症の回復に対する固定的かつ否定的な視点を反映していますが、回復の実践や先の議論と照らし合わせると、その捉え方には限界があります。
ポイントと解説
- ポイント1:「依存症者は死ぬまで依存症者である」とするラベル付けの問題点。
解説:依存症を「固定的な属性」として捉え、回復による内面的変化を否定する視点です。
実際には回復過程で「依存のパターンを断ち、新たな生き方を獲得する」ことが可能で、先の「変化を味わう姿勢」「ハイヤーパワーの力への依存」がその基盤となります。
- ポイント2:「自業自得」とする責任論の誤り。
解説:依存症は単なる「自己責任」ではなく、心理的・環境的要因が複雑に絡む問題です。この言葉は苦の連鎖を「個人のせい」と切り捨て、先の「苦の本質を発見し受け入れる」姿勢や「存在の価値を重視する」生き方とは対立します。
考察と内省
- この否定的な言葉に直面した際、「回復は『依存症者』というラベルを超えた成長のプロセス」として捉え直すことは、内面的安定を保つのにどう役立ちますか?
- AAの12ステップにおいて、「仲間とのつながりや日課の実践」が、このような偏見を乗り越える支えになる体験はありますか?
ひとつ 拾えば、
ひとつだけ
きれいに なる
「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」は、鍵山秀三郎が著書『ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる ― 心を洗い、心を磨く生き方』で提唱した教えで、掃除を通じて人生を変える「凡事徹底」の精神を凝縮した言葉です。
ポイント
- 小さな行動の積み重ね:
ゴミを1つ拾うという些細な行動でも、世界は確かに1つきれいになり、自分の心も磨かれる。
- 凡事徹底の精神:
誰でもできる平凡なことを、誰にもできないくらい徹底的に続けることで大きな変化が生まれる。
- 心の浄化:
掃除は外側の環境だけでなく、内面の汚れと向き合い、謙虚さや感謝の気持ちを育む「心の掃除」でもある。
解説
この教えは、「結果を急がず、地道な努力そのものに価値を見出す」生き方を伝えています。
ゴミを拾うという行為を通じて、人は自分の周りを変える力を持っていることに気づき、謙虚な姿勢や責任感が養われます。
また、「下座行」(身分を低くして人から見向きもされない仕事に手を貸すこと)を重視し、トイレ掃除など嫌がられる仕事にも真摯に取り組むことで、心が洗われ、人間関係の改善や運命の好転も期待できると主張しています。
この教えは、掃除だけでなく、仕事や人間関係など人生のあらゆる場面に応用できる普遍的なメッセージを含んでいます。
大切なことは、一歩を踏み出す勇気。
具体的には、足元のゴミを拾う実践から始めることです。足元のゴミひとつ拾えぬ人間に何ができまようか。
これも鍵山秀三郎の教えの核心的な一節です。以下にポイントと解説をまとめます:
ポイント
- 「一歩踏み出す勇気」が原点:
大きな目標よりも、今ここでできる小さな行動に踏み出す勇気が最も重要。
- 「足元のゴミ拾い」が具体的なスタートライン:
自分のすぐ周りの環境を変えることから始めることで、行動力と自信が養われる。
- 「些細なことができなければ大きなこともできない」という論理:
小さな責任を負えない人間は、大きな仕事や役割にも応えられないという実践的な視点。
解説
この教えは「思いは大きく、行動は小さく」という考え方を具体化したものです。
多くの人は「大きな変化をしたい」と思いながらも、どこから始めればよいか分からずに立ち往生しがちですが、
鍵山は「足元のゴミを拾う」という誰でも今すぐできる行為を「一歩」と位置づけています。
また、「足元のゴミひとつ拾えぬ人間に何ができまようか」という言葉には、「自分の周りに目を向け、自分で変えられることから行動することが、何かを成し遂げるための前提」という厳しくも真実なメッセージが含まれています。
ゴミ拾いは単なる環境美化だけでなく、「自分にできることを確かめる訓練」であり、「責任感を養う修行」としての意味合いも持っています。
実際に今日、足元にゴミが見つかったら、拾ってみてはどうでしょうか?


