求めないー№055 渇愛の蜘蛛の巣を断ち切る | 私の居場所と今日一日。aakaoru333のブログ。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 
 

私の人生ひまつぶしです。

毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。

 

  
 

 
 

055渇愛の蜘蛛の巣

を断ち切る

 

自分だけが脳内快楽を味わいたくて、

 

「私のこと、ちゃんと理解してほしい」

「もっとちゃんと見てほしい」

「もっとちゃんと評価してほしい」

「もっとちゃんと愛してほしい」

と、わがままな欲望思考に君が洗脳されてしまうなら、まるで蜘蛛が自分の糸にからまるように、自分の渇愛の糸にからまり、その苦しさに窒息してしまうだろう。

 

君が智慧を武器にしてこの蜘蛛の巣を断ち切るったなら、苦しみを捨てて悠々と歩いてゆける。

 

法句経

347

 

愛欲品あいよくほんだい二十四

347 よくたのしむものは〔よくの〕ながれしたがつてくだること、蜘蛛くもみづかつくりたるあみを〔くだる〕がごとし、賢者けんしやこれやぶりて、よくなく、所有あらゆる苦惱くなうててる。

 

 

教えてグーグル先生

 

055渇愛の蜘蛛の巣

を断ち切る

 

自分だけが脳内快楽を味わいたくて、

 

「私のこと、ちゃんと理解してほしい」

「もっとちゃんと見てほしい」

「もっとちゃんと評価してほしい」

「もっとちゃんと愛してほしい」

と、わがままな欲望思考に君が洗脳されてしまうなら、まるで蜘蛛が自分の糸にからまるように、自分の渇愛の糸にからまり、その苦しさに窒息してしまうだろう。

 

自分だけが脳内快楽を追求し、他人に対してわがままな欲望を抱くことは、心身の健康や人間関係に悪影響を与える可能性があります。他人に対して理解や注目、評価、愛を求めることは自然な欲求ですが、その欲求が過度になり、自己中心的な思考や行動につながると、心の平穏や幸福感を妨げることがあります。

以下にその内容について詳しく説明します:


 - 自己中心的な欲望思考: 

 - 自分だけの欲望や要求を優先し、他人に対して過度な期待や要求を抱くことは、自己中心的な思考や行動を生む可能性があります。他人に対して理解や評価、愛を求めることは自然な欲求ですが、過度に他人に依存し、自分の満足や幸福を他人に求めることはバランスを崩す原因となります。 


- 自己中心的な渇愛:  

- 自分だけの欲望や愛情を追求し、他人に対して過度な期待や要求を抱くことは、自己中心的な渇愛に陥る可能性があります。自分の欲望や愛情に囚われ、他人に対して過度な依存や束縛をすることは、心の苦しみや窒息感を生むことがあります。 


- 心の平穏を失う: 

- 自分だけの欲望や要求に囚われることは、心の平穏や幸福感を失う原因となります。他人に対して過度な要求や期待を抱くことは、人間関係や心の安定に悪影響を与える可能性があります。 


 自分だけの欲望や要求に囚われず、他人とのバランスを保ちながら、相互の理解や尊重を大切にすることが重要です。他人に対する理解や愛情を持ちながら、自己中心的な欲望思考や渇愛から解放され、心の平穏や幸福を追求することが大切です。

 

君が智慧を武器にしてこの蜘蛛の巣を断ち切るったなら、苦しみを捨てて悠々と歩いてゆける。

 

智慧を用いて自己中心的な欲望や苦しみから解放されることは、心の平穏や幸福を追求する上で重要です。自己中心的な思考や行動、欲望に囚われることは、心の苦しみや不安を生む原因となります。智慧を用いてその蜘蛛の巣を断ち切り、自己中心的な欲望や苦しみから解放されることで、心の平穏を取り戻し、悠々と歩んでいくことができます。自己の成長や心の健康を促進するために、智慧を活かし、自己中心的な思考や欲望から自由になることが重要です。智慧をもって自己を見つめ、心の平穏と幸福を追求することで、より充実した人生を歩んでいけるでしょう。

 

法句経

347

 

愛欲品あいよくほんだい二十四

347 よくたのしむものは〔よくの〕ながれしたがつてくだること、蜘蛛くもみづかつくりたるあみを〔くだる〕がごとし、賢者けんしやこれやぶりて、よくなく、所有あらゆる苦惱くなうててる。

 

法句経の347番には、以下の内容が記されています:

欲望に囚われて快楽を追い求める者は、欲望の流れに従って堕落し、自ら作り上げた網に囚われる蜘蛛のようである。しかし、賢者はこの網を破り、欲望から離れ、あらゆる苦悩を捨てて去る。 


 この経文は、欲望や快楽に囚われることが堕落や苦悩を招くことを示唆しています。欲望に流されず、賢者は欲望を超越し、苦悩から解放されることを示しています。欲望に振り回されず、賢者のように欲望を超越し、苦悩を捨て去ることが心の平穏や解放を得る道であると説いています。

 

メモ

 

「渇愛」とは、仏教の教えにおいて使われる言葉で、欲望や執着のことを指します。人々は物質的なものや感情的な経験など、さまざまな対象に対して欲望を抱く傾向があります。この欲望が強くなり、執着心が生じると、私たちはその対象を追い求めたり、獲得しようとしたりします。 

 

 しかし、仏教では、渇愛が私たちを苦しめる原因であり、執着心が生み出す苦悩や不安の根源であるとされています。渇愛は、私たちが満たされることなく欲望に追い立てられる状態であり、この欲望の追求によって心の平穏や真の幸福を得ることはできないとされています。 

 

 仏教の教えでは、渇愛から解放されるために、欲望や執着に対する洞察力や智慧を培うことが重要視されています。渇愛を抑え、心の平穏と真の幸福を追求するためには、欲望や執着に囚われず、無私の心や他者への思いやりを持つことが大切とされています。 

 

 

 

経集部

大正蔵

 

  

 

「経集部大正蔵」という用語は、大正新脩大蔵経において、顕教仏典をまとめた領域を指す用語のようです。経集部は、先行する8つの部には分類されない残りの仏典を含む部分であり、「薬師経」「弥勒経」「維摩経」「金光明経」「楞伽経」「解深密経」などが含まれているようです。

 

大正新脩大蔵経は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)までの10年間にかけて編纂された日本の大蔵経であり、多くの仏典や経典が収録されています。

詳細な情報や内容については、大正新脩大蔵経や経集部に関する文献や資料を参照することで詳細な理解を深めることができます。

 

 

 相応部

 

 

「相応部」とは、仏教の教えの一つであり、修行者が自身の能力や状態に応じて適切な教えを受けることを指します。修行者の理解力や受け入れる能力に応じて、教えを適切に受け取ることが重要とされています。

 

「相応部経典」とは、相応部に関連する経典のことを指します。具体的には、『相応部』や『相応部経』といった経典が該当します。これらの経典には、相応部の教えや原則が詳細に説かれています。

 

相応部経典は、仏教の教えの一部として、修行者が自己の能力や理解力に応じて教えを受けることの重要性を強調しています。修行者が自身の進歩に合わせて段階的に教えを受けることで、より効果的な修行や理解を進めることができるとされています。

 

相応部経典は、主に大乗仏教や上座部仏教の教えの中で見られます。それぞれの宗派や伝統によって、異なる経典が相応部の教えを含んでいる場合があります。

 

相応部経典には、修行者が自己の能力や理解力に応じて教えを受けることの重要性や、段階的な修行の進め方に関する内容が含まれています。以下に一般的な相応部経典の内容の一部を例示しますが、具体的な内容は仏教の教派や宗派によって異なる場合があります。

 

1. 相応部の教え: 相応部経典では、修行者が自己の能力に応じて適切な教えを受けることの重要性が説かれます。修行者は自身の理解力や受け入れる能力に応じて、段階的に教えを進めることで、より効果的な修行を行うことができるとされています。

 

2. 修行の段階: 相応部経典では、修行の段階について詳細に説かれることがあります。修行者は初心者から段階的に進み、様々な教えや実践を通じて成長していく過程が示されます。各段階ごとに、修行者が取り組むべき内容や実践方法が指導されることがあります。

 

3. 修行の指針: 相応部経典では、修行者が自己の能力に応じて適切な修行の指針を受けることが強調されます。修行者は個々の能力や状態に合わせて、仏教の教えや実践方法を適切に選択し、自己の成長や解脱に向けて進むことが求められます。

 

4. 心の修行: 相応部経典では、心の修行に関する教えも含まれることがあります。修行者は自己の心を観察し、悪い習慣や執着から解放されるための方法や実践を学ぶことができます。心の修行は仏教の教えの中で重要な要素であり、相応部経典でもその重要性が説かれることがあります。

 

これらは一般的な相応部経典の内容の一部です。ただし、具体的な内容は仏教の教派や宗派によって異なる場合があります。特定の宗派や伝統の経典を参照することで、より詳細な内容を知ることができます。

 

 

 

法句経

 

 

「法句経」とは、仏教の経典の一つであり、日本では「ダンマパダ」とも呼ばれています。この経典は、仏教の教えを短い詩節の形で伝えるもので、韻文のみからなります。その名前の意味は、「真理・法の言葉」という意味であり、仏教の教えを簡潔かつ深い言葉で表現しています。

 

「法句経」は、倫理や道徳、人間の心のあり方に関する教えが含まれており、修行や自己啓発に役立つ知恵を提供しています。また、この経典は仏教の教えを理解し、実践するための指針としても重要な役割を果たしています。

 

「法句経」には複数の章があり、それぞれの章にはさまざまな法句が含まれています。これらの法句は、短い言葉で深い教えを伝えるため、多くの人々に愛読されています。

 

ブッダの教えは、苦しみから解放されるための方法や真理を教えるものです。彼の教えは多岐にわたりますが、中心となる教えは以下のようなものがあります。

 

1. 四諦(しとう):苦諦(くたい)・集諦(しゅうたい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)の四つの真理を説き、人間の苦しみの原因と解決方法を示しました。

 

2. 八正道(はっしょうどう):正見・正思考・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つの道徳的な行い方を教え、悟りへの道を示しました。

 

3. 三帰依(さんきえ):仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)の三つの宝に帰依することを教え、これらを信じることで苦しみからの解放が可能となると説きました。

 

ブッダの教えは、人々が苦しみから解放され、幸福な人生を送るための指針となるものです。彼の教えは個人の内面の変革や他者への思いやりを重視し、平和と調和を追求することを目指しています。詳細な解説や理解には、専門の書籍や資料を参照することをおすすめします。