”私の課題。家族にとってアルコール依存症とはどんな病気なのか?”1年前のブログを振り返る。 | 私の居場所と今日一日。aakaoru333のブログ。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 

 

私がアルコール依存症と告知されたのは

2021年3月15日でした。

 

その直前に、母親から言われた言葉は「あなたは一人で生まれて来て、一人で死んでいくのよ」でした。

 

それっきり出会うことはありません。

 

主治医がアルコール依存症の告知と同時に私に言った言葉は「あなたは怖がりで、プライドが高く、ナルシストです。さびしくて、さびしくて、このままでは生きてはいけませんよ」でした。

 

「私はひとりぼっちでさびしいから酒を飲んでアルコール依存症になった」と最初は思っていました。

 

いまはそうは思いません。

 

いつの頃からか酒を飲むことが習慣になり、アタマが壊れてひとりぼっちになったことにも気がつかず、社会生活が破綻してもなお酒を飲んだのは「アルコール依存症とはそういうビョーキ」なのだということでした。

 

 

過去の思い出を振り返り投稿しよう

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2023年4月29日

 

先日、私は先行く仲間から「家族にとってアルコール依存症とはどんな病気なのか?」というプリントをいただきました。

 

これは家族教室からの提言でした。

 

 

 

   私は何度も読みました。かつての私の姿です。だから「よく見てみなさい」と言われたような気がします。

 

   私がアルコール依存症と告知されたのは2021年3月です。家族と別居したのは2009年みたい。みたいというのは覚えてないのです。私はアルコール以外の精神疾患で病みました。

 

   当時の記憶はありません。私のアタマは壊れていました。入院して医師の管理下にあったので、今の私が当時のカルテを見れば異常な状態でした。

 

「まずは、ごめんなさい」

 

私は2009年のどん底からなんとか社会復帰していままで生きてきました。恥しかない人生です。最近の病がアルコール依存症です。

 

私がこんなブログを書いていることは自分で不思議です。

 

家族と私は1800キロ離れています。私が社会復帰してからの10年間は最低限の連絡はしています。このブログアドレスは教えていませんが、引っ越し前のLINEブログのアドレスは伝えています。

 

「病気は不幸です」

私はそろそろ終活しないといけませんね。

 

その前には「埋めあわせ」。先行く仲間にはどうして今「家族教室の提言」なのか聞くつもりです。

 

 

 

 

 

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私は昭和生まれです