本日2022年4月18日は誕生日前日。
去年の誕生日はお付き合いしていた人に
その妹さんやお母さんに
おめでとうと言ってもらっていました。
実家に帰ってお祝いしてもらいました。
嬉しかったなあ。
あえてここに書き記し
思い出と化させてください。
体や表ヅラは歳を重ねているのに
心は幼稚になっていくような。
私は昔から
「大人っぽいねえ」
「落ち着いてるねえ」
と言われて育ってきた。
年相応なことは何も無くて
見た目も心も。
長女だからなのか
女の子だからなのか
わかりません。
母が天然で抜けていて
顔も幼く、パーツも整っていて
綺麗よりは可愛いが似合い、メイクも要らないほど
父はどちらかといえばしっかりしてる方なのか
そんなのもわからないほど
子供たち家族のために働いてる人です
物心がついたときには
お姉ちゃん、しっかりもの、大人だね、落ち着いてるね、小さなお母さんみたいだね
この言葉が何より出てきます。
この言葉と共に生きてきてきました。
この言葉が悪いわけじゃない。
むしろこの言葉たちは一生私の守護霊のように
なってくれるのだと思っています。
けれど良いところもあれば悪いところもあって。
私はこの言葉しか知らない
この言葉に似合うようにしか生きてはいけない
そう思って大人になりました。
そして今残っているものは何もありません。
年相応になり、
長女という以外でお姉ちゃんなんて環境次第で当たり前
自分以上のしっかりもの等当たり前
二十歳もすぎて戸籍も見た目ももう大人で当たり前
それなりに社会に揉まれてきて落ち着くことも当たり前
同級生には母親として過ごしている子もいます
全てが当たり前になり
私に残ったのは
「誰かと比較して自分の価値を見出す」
ことだけでした
きっともしかしたら他にも残ったのはあると思いますが今何より浮かぶのはこれです。
この「誰かと比較して自分の価値を見出す」ことは
使い方次第で強くもなれます。
確かに強く生きてこれました。
だけど、比較対象を自己選別する力はついていなくて私は使い方を変えたときに自らの首を絞めていました。
決して。全て悪いわけじゃないんです。
ただ。使い方をもしっかりと選べる力はつけて来るべきだった。
私は遅めのスタートですが、比較対象を自分で選ぶ力
そして、比較しないということを
身につけて
自分でしめた首を
どうにか解こうと試しています。
職場を変え、病院を変え、薬を変え。
今できること、やれることを
模索してやってみています。
こう自己分析できるようになったのも
成長してる印なのかな〜なんて(^^)
そんな誕生日前日でした。