1943年、ナチス・ドイツから供与された潜水艦が若狭湾、丹後半島の東7~8kmに沈んでいたことが明らかに。
昭和18年、すでに第二次大戦のさなか、ドイツから喜望峰、インド洋を渡り、日本にたどり着き、技術情報や人材を送り届けたとされています。
ドイツではIXC型U-511と呼ばれていましたが帝国海軍編入時に呂号第五百潜水艦(呂-500)と呼ばれることに。
日本で同型艦の建造計画もありましたが、結局、日本では実戦には参加せず、終戦まで生き延びるも、1945年、占領した米軍により、他の潜水艦とともに自沈処分されました。
調査した浦環・九州工業大特別教授によると、状態は非常に良く『日本の潜水艦技術の向上に貢献した呂500が実際にあることを示せた』としています。
同海域では他に呂-68、伊-121も発見されたとのこと。
戦時下のナチス・ドイツと日本の交流は良く知られており、ナチス・ドイツがU-234で核兵器用のウランを日本に輸送(途中で終戦となったとされる)したとも言われています。
思わぬものが海底から見つかったものです。


















