柴田勝家の密書見つかる、越後に出張り、情勢把握にも失敗が明らかに2018/11/16 | パイプと煙と愚痴と

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織田家中、ナンバーワンの実力者にも関わらず、本能寺の変の際に、羽柴秀吉に明智光秀討伐で後れを取り、後に秀吉にも敗れ、自害することになった柴田勝家の『密書』が新潟県新発田市で発見されたとのこと。

 

これは本能寺の変から8日後に柴田勝家が織田方の武将・溝口半左衛門に宛てて書かれたもので、サイズが小さいことから密書と見られるとのこと。

 

これまで柴田勝家は越中で上杉方と戦っていたことから、光秀討伐に出遅れたとされていましたが……

 

実際には越後まで出張っていたことが判明。

 

上杉謙信亡き後、跡目争いで衰えた上杉家を、柴田勝家の軍団が猛攻中。これまでは越中にいたとされていましたが、書状から越後まで出張り、上杉景勝を討ち取る勢いであったことが判明。

 

指揮官陣頭の柴田勝家らしい所ですが、これが裏目に出て本拠地の北ノ庄城に退却したのは7日後……

 

さらに大阪にいた丹羽長秀との連携がうまくいかず……

 

明智光秀の動向把握にも失敗……

 

どうやら正しい情報が得られないまま時が過ぎ、秀吉が中国大返しで、明智光秀が討ち取られ、以後は歴史のとおり。

 

こうして見ると、秀吉の中国大返しは後世の作り話って感じも。柴田勝家には先を越されたくない秀吉が強行軍しただけで、柴田勝家としては丹羽長秀らと連携してじっくり挟撃する作戦だったのかも。

 

はじめから秀吉を眼中に入れてなかったのは、織田家筆頭のプライドが邪魔をしたってところでしょうか。

 

本能寺の変があと数日遅ければ、柴田勝家は上杉家を滅ぼし、越前から越後を支配する大大名となり、秀吉の天下取りも簡単ではなくなったはず。

 

歴史にifは禁句ですが、面白い発見となりました

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