初の証言としては、自衛隊のC-1輸送機の元副操縦士が、伊豆上空あたりで、123便を目撃していたとの証言がありました。民間機にしては、異常な姿勢に見えたが、管制塔から特段の指示はなく、そのまま交差してしまったとのこと。ただちに追跡すれば、その後の状況は変わっていたはずですが、民間機の管制官が自衛隊機に追跡の指示を出すのは現在でも不可能でしょう。
また、当時の航空幕僚長が、航空救難団からの情報より、警察から寄せられた目撃情報を優先してしまったことについて『慙愧に堪えない』と述べています。当時はまだGPSなんて便利なものはなく、電波の方位からの位置測定に信頼を置いていなかったのも、これまた致し方ないでしょう。
昨今はすっかり日航機のパイロット奮闘とお涙頂戴の話しばかりの中、元日航パイロットが酸素マスクの問題に触れていたのは目新しいかも。
事故機の客室は、急減圧により、酸素マスクがおりていますが、コックピットは操縦士などが、自力でマスクを装着することになっています。
しかし、ボイスレコーダーの分析から、正副パイロットに航空機関士が、酸素マスクを装着していなかった可能性が高いことは、事故調査の初期から指摘されていたのに、いつの間にか消えてしまいました。
酸素マスクを付けていないとすると、正しい判断が出来ていたかが大きな疑問となります。
アンコントロールを宣言しながら、執拗に羽田に戻ろうとしたの疑問とされています。
着水の選択肢をベテラン機長が考慮しなかったのも、酸素不足の影響と考えられるところも。
後にユナイテッド航空232便不時着事故 でも、油圧系を全喪失しましたが、たまたま日航123便を教訓にスロットルでコントロールする方法の訓練を受けた教官兼任機長が同乗じていたため、速やかに最も近い飛行場に着陸を強行、乗員乗客296人中111人が死亡する大惨事とはなったものの、救えた生命もまた多数ありました。
他の航空会社でも、同様の状況をシミュレーターでテストしたところ、着水は不可能ではなかったとの結論に達しています。
まだまだ、日航123便事故から学べる教訓はたくさんあるはずですが、すっかり年中行事化して、それも遺族の高齢化で、そろそろ終わりになりそう。
少なくとも生存者がいたのですから、もう一度聞き取りをすることと、シミュレーション技術も格段に進歩じたのですから、事故原因の見直しとサバイバルの可能性について、再調査するべきでしょう。