1985年8月12日、18:12に何事もなく飛び立った日航123便B-7474SR-100型機は……
そのわずか12分後に、圧力隔壁の修理ミスによる破断で、垂直尾翼が吹き飛び、油圧系もダウン……
機長らの必死の操縦にも関わらず、18:56に御巣鷹山に墜落、単独航空機事故としては最悪の520名死亡、4名生存の大惨事となりました。複数機の事故としてはテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故の死者583人が最悪 。
事故原因は圧力隔壁の損壊により、垂直尾翼が破壊、油圧系がダウンしたのが公式の事故原因です。しかし、疑問点も多く、いまだ新説からトンデモ説まで多数ありますが、事故調査記録の大半はすでに廃棄されたとされており、これも疑惑の原因。
機長らの必死の操縦が讃えられていますが、機長らが酸素マスクを装着していなかった可能性が高く、正しい判断が出来ていたかも疑問点。これは、操縦不能になったにも関わらず、執拗に羽田空港へ戻ることを試みていたことから、事故調査中から指摘されているもの。
生存者の証言から、緩やかな『急減圧』であったのは確かなようで、これはヘリオス航空522便事故 でも、与圧系のトラブルに乗員が気づかないまま、ほぼ全員が気絶したことが墜落原因とされています。
また、生存者への聞き取りが不十分なことや、事故原因となった圧力隔壁の修理を行ったアメリカ人技術者に至っては、ボーイング社による事故隠しとも取れる行動も。
30年を経過して、新たな証言が、そろそろ出て来そうな感じですが、ネット社会になっただけに真偽の判定はさらに難しくなったとも言えます。